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コーチング代として500円をいただいて嬉しかったのと、誰しも聞いてもらうべき話があると言うこと

先月から、コーチとしての資格を取得するためのコースを受講中のワカメ。資格取得のためには、その途中で実際にクライアントを持ち、かつ課金をする必要がある。始める前は「いやー、私がコーチングで課金するなんて恐れ多すぎる・・・、困ったなトホホ」と思っていたのだけど、やむを得ず従う。

課金に対して日和度合いMaxな私としては、(教育機関曰くワンコインでもいいというので)1時間500円で開始。するとクライアントとして手を上げてくださった方は皆さん「え。500円でいいの?」と快く支払ってくださることに気が付く。

守秘義務をお約束した上で、全身でクライアントの話を聞き始めると、まるで深い井戸から水がこんこんと湧き出るかのように、みんな聞いてもらうべき話を持っているから驚く。村上春樹の小説で、夢読みの話が出てくるけれど(世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、など)、人の心にはたくさんのお話が詰まっているのだ。

そして今日は、ずいぶん長いこと会っていなかった、学生時代の友人から連絡をもらった。SNSの実名アカウントで私がコーチングを勉強中と発信したのを見て思い出してくれたという。彼の会社での人間関係について聞いてほしいと言うので、近所の公園で待ち合わせをして1時間ちょっと話をした。これまた守秘義務があるので悩みや話の内容は書けない。でも私の彼に対する関わり方だけについて話すと、私はあえて彼の日常の世界に存在しない、しかも15年ぶりに会う「他人」としてあれこれ質問をした。

どんな会社・組織にも明示的なルールに加えて不文律がある。特に不文律は、普段言葉にしていないだけに、外部者との会話を通して突然くっきりとした言葉になったりすることがある。例えば上司を苗字で呼ぶか、名前で呼ぶか、役職で呼ぶか、とか。会社案内に明示的に書いてあるようなことじゃないけど、実は人間関係の「目線」にすごく影響する要素だ。でも外部者と話さないと、ものすごい影響があるのに誰もその存在に気が付かない前提あるいは呪縛みたいになったりする。

さらに、話に登場したある人物を見立ててロープレをしてみたり、「例えばオフィスでこんなことをしてみたら何が起きると思う?」と言った想像の幅を広げるお手伝いをする。私としては思考のストレッチ体操のイメージだ。体でいえば背中を押したり、足を広げたりすることで、可動域を広げるストレッチをするけど、体ではなくて心と頭に働きかけるのと同じ。

1時間ほど話したあと、彼は社外の人とこうやって深い話ができる機会はないからまたたまにお願いしたいという。それで、じゃあクライアントとして契約しようということになった。今後は1時間500円で!と伝えると彼がおもむろに財布を取り出して「今日の分も払わせてほしい」という。それで写真の500円をありがたくもらって帰ってきた。

もともとお金をもらうつもりもなかったし、「今日はいらないよ」と言ったのだけど、その気持ちが嬉しくて。だから今日は私の、500円記念日。

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