人口知能の弱点。感動の量産。
人口知能が東大合格に挑戦した時、
問題文の意味の解析がまだ難しいという記事を読んだことがある。
人工知能は同じリンゴでも形が違うと戸惑うそうだ。
想像力やコミュニケーション能力をもっと磨く必要があるため、
研究の一環で、
人工知能を載せたコンピュータで、
小説の執筆ができるか試していると聞いた。
星新一のショートショート約1000編で言葉やリズム、
起承転結の作り方を分析。
単語や形容詞を無作為に組み合わせて、
物語の骨格を構築。
文章や単語を引用し、
似た雰囲気の物語を作る。
たしかに、
本屋に行けば読んだところで書けない
「小説の書き方」みたいな本がたくさんある。
そんな技術の応用を本気でやってるんだろう。
つまりは“大量生産”だ。
この研究の果てに、
一定レベルの小説は大量生産できるようになるんだろう。
さて、そんな小説に需要はあるのか?
なんだか残念な想いがするが、
きっと需要はあるんだろう。
きっと知らないうちに文章を読むだけでは、
コンピュータが自動で書いたとわからない小説が蔓延するんだろう。
さらに応用できれば、
読者が読みたい内容の小説を自ら作ることも出来るんだろう。
読者のニーズに直接答える、商業的な小説。
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先例はJ-POPだ。
音楽理論は解明され大量生産的に、
そして商業的に音楽が作られる。
「この歌手はここからここまでの声域だから、
その範囲内で。
前作は落ち着いた感じだったから今回は明るい感じで。
CMなどのタイアップに使いやすいように
イントロからサビで始まるようにして。
最近流行ってるし電子音使ってよ。」
そんな感じの発注が作曲家に。
そしてバカみたいに同じような歌詞が載っかって世に出回る。
同じような流れで小説も作られる日がくるんだろう。
誰とはわからないがとりあえず大衆が満足するような物語。
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3年前、
日本大好きなオーストラリア人のメタラーと音楽の話を熱くした。
その会話の中で、
日本のJ-POPをどう思うか?
という私の問いに彼はこう答えた。
「良いよ。良い曲が沢山ある。
だが… 感動はしないね。
日本だけではないが、
良いと感じるものはポップスにもたくさんある。
しかし商業的に生み出された音楽に、
感動は与えられない。絶対にね。」
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私は音楽も小説も大量生産できる技術を否定するわけじゃない。
むしろ商業化する技術を歓迎する。
なぜならば“淘汰される”からだ。
一定レベルの小説をコンピュータが作れるならば、
きっとそのレベル以下の小説家は世に出れないだろう。
小説家は厳選され、
本屋に並ぶのは質の高い物語だけになる。
つまらない本を読んでしまった時のガッカリ感を味わなくて済む。
音楽もそうだ。
私はもう何年もTVの音楽番組なんて見てないし、
どの音楽が、どのアーティストが売れてるのかなんて気にしない。
それでも私の元へ届く音楽に、私はよく感動する。
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きっと芸術の分野には機械化できない領域がある
… 現時点では、だが。
人間を構築する中で人間的な部分、
そこは機械化が許されない領域なんだろう。
産業革命、IT革命を経験した現代で、
言葉で定義できないその部分を鍛えることが重要だと思うんだ。
なにか「自分的」な部分を大切に育てることが、
人生を豊かにしてくれるように最近強く思う。
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