エイリアンとは可能性の原石。 深読みエイリアンVol.4
このマガジンでは、みんなが大好きな映画『エイリアン』シリーズを深読みしていきます。
Vol.4では『エイリアン3』を読み解いていきます!
前作から7年。
1992年に『エイリアン3』が公開された。
監督はデヴィッド・フィンチャー。代表作は
・ゴーン・ガール
・ファイトクラブ
・ドラゴンタトゥーの女
・セブン
・ベンジャミン・バトン奇妙な人生
・ソーシャル・ネットワーク
お薦め順ではあるものの、そこに差はほとんどなく、
どれもハズレのないプラチナムービーである。
▼余談だが、映画を観まくってたら
「監督」というカテゴリで映画を選ぶようになってきた。
読書で例えれば、
好きな作家を見つけてその人の著書を片っ端から読む感覚だろうか。
良い監督には良い脚本が集まり、良いキャストが集う。
ただ逆もしかり。
良い俳優、女優は良い作品に出ている傾向が強い。
そのへん「映画」っていう文化はやはりアメリカっぽいというか。
「努力の結果」が現実にしっかりと反映され、
「評価」という指標がとても力を発揮している。
▼『エイリアン3』はデヴィッド・フィンチャーの記念すべき初監督作品である。
えてして、芸術家の初期作品には、
情熱を具現化する強引さと、
以後の活動における片鱗を示す。
本作はフィンチャー作品に一貫するスタイリッシュなスピード感がある。
▼本作に出てくるエイリアンは1匹だ。
前作で「エイリアン・クイーン」という衝撃的なキャラがいたにも関わらず。
そこに、前作を監督したジェームズ・キャメロンなど関係ない、
「俺は俺の撮りたいものを撮る」という
デヴィッド・フィンチャーの意思を感じる。
その設定によってシンプルでスピーディ、
シリーズで1番わかりやすく純粋なパニック・エンターテイメントとなっている。
▼しかしそこまで、と言ってしまいたい自分もいる。
純粋なパニック・エンターテイメントと「なっている」というか「でしかない」というか。奥行きが少ないのだ。
どんなことにも小難しい深読みをしたい私にとって、
物足りなかったのも事実。
その原因は私の中で明快で、
アンドロイド(今でいうAI)が物語にまったく関与していないからだと考える。
ただそこは監督の意向なわけで、
AIが関わることによる複雑性を排除して、
どストレートな物語に仕上げたと解釈してもいい。
▼物足りなかったが「エイリアンシリーズで3は飛ばしていいか」と聞かれれば答えはNOだ。
ハッピーかバッドかわからないが、
エンディングはすべてを終わらせ、
シリーズをまとめあげた。
本作でエイリアンシリーズは完結する。
と言いながら、その後に現時点で3作品あるわけだが、
ここに『エイリアン3』のシリーズにおける価値がある。
本作で完結したからこそ、その後のシリーズ展開があったと考えている。
▼というのも、次作『エイリアン4』は、
本作から200年後というぶっ飛んだ設定となっている。
詳しくは次回に書くが、
そういった大胆な発想は、
本作のシンプルさがあったからこそだと思うのだ。
さらにいうと、
オリジナル『エイリアン』を指揮したリドリー・スコットが
『エイリアン3』からちょうど10年後に、
エイリアンの起源を探る『プロメテウス』という作品を発表する。
その作品の構想において、
AIをそのコアに置くことを決めたのは
『エイリアン3』を観たからじゃないかと私は推測している。
AIを排した本作を観て、
逆にAIがもたらす巨大な可能性を確信したのではないだろうか。
これはもちろんエイリアンシリーズの広がりにも繋がることだ。
畢竟、
デヴィッド・フィンチャーがエイリアンをシンプルにまとめ上げたからこそ、
その世界にあった可能性の原石がギラギラと光りだしたのだ。
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