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エイリアンとは感性のリトマス紙。深読みエイリアン Vol.3

巨匠リドリー・スコット『エイリアン』から6年。
1985年『エイリアン2』が公開された。
監督はジェームズ・キャメロン。
代表作は
『アバター』
『ポイントブレイク』
『ランボー』
『タイタニック』
『ターミネーター』(お薦め順)などなど、
わざわざ紹介するのが恥ずかしいビッグタイトルばかり。

しかし彼にとって『エイリアン2』が果たした役割はあまり知られていない。

『ターミネーター』発表後に集めた注目を一時的なものではなく、
確固たる監督としての評価としたのがこの『エイリアン2』なのだ。

というのも「続編映画」というジャンルにおいてこんなにも評価されている作品を私は知らない。「史上最高の続編映画」との声もある。本作は監督としての評判と共に、エイリアン・シリーズのブランド力を確立した作品と言える。


▼日本でのタイトルは『エイリアン2』だが、原題は『Aliens』であり、つまりエイリアンの複数系となっている。

タイトルの通り、本作に出てくるエイリアンは1匹ではない。
しかも2、3匹とかそういうことでもなく、数え切れないほど出てくる。
前作との大きな違いとして「エイリアン・クイーン」と呼ばれるラスボスが登場し人間を絶望に落とすのだ。

このアイデアにジェームズ・キャメロンの凄さ、他の追随を許さない想像力がある。彼は続編製作にあたって、すでに最強の生物であったエイリアンを、生物としてさらに発展させ、進化させた。

バケモノの女王は大量の卵を産み、1匹でも最悪なのに無尽蔵のエイリアンを人間に放つ。人間側も強い火力のある装備を持ち、エイリアンたちと対峙する。

今作のキャッチコピーは「今度は戦争だ(This time it's war.)」。

▼ジェームズ・キャメロンの独自性はそれだけではない。

バケモノ系SFのツボを押さえると同時に、恐ろしい生物を利用しようとする人間たちの思惑をストーリーに盛り込んだ。本作以後、人間以外の脅威と戦う物語や表現において、「けどやっぱり人間が1番怖いんだよ」みたいな示唆は定石となる。

エイリアンという強烈な存在があるものの、
脈々と根底に流れるのは人間ドラマなのだ。

私はエイリアンと他のB級映画との明確な違いをそこに感じる。

▼そして本作にもロボット(今でいうAI)の暗躍が描かれている。

エイリアンという圧倒的な存在感があるからこそ、際立つ演出なのかもしれない。

つまり、エイリアンとは一種の自然災害で、そこにヒトは無力なのだ。

一方で、AIはヒトが生み出した。
子が発達し母を超えるとき、その人智の及ばない脅威は人災と言える。
そしてそれに対してもまた、ヒトは無力なのだ。

この対比はバケモノ系SFだからこそ味わえる表現だ。

▼『エイリアン』をゲテモノB級映画とするかしないか、その答えは単に受け手側の感性がB級かどうかと密接する。

「なんか怖くて気持ち悪いやつでしょ」と言うのは安易だ。探究心の欠如だ。

このことは映画に限ることでもない。

目の前にあるものから何かを得ようとする姿勢、
この世のすべてから学ぼうとする意思。

評価されていることの意味を考えること、
だれかの表現の根本を問うこと。

これらを辞めた大人のなんと多いことか。

私は「エイリアン」を相手の感性を探るリトマス紙としていく。

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