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スワロー亭のこと(21)古本、新本

スワロー亭は古本屋として始まった。

扱う商品は古本がメイン。

それ以外に開店当初から扱っているのは、快晴堂の洋服。こちらは古着ではなく、すべて新品。開店前に、快晴堂の社長とのあいだで取引の相談がまとまって、見繕いによる商品を受け取っていた。だから開店と同時に快晴堂の洋服は店頭に並んでいた。

もうひとつ、当初から取扱アイテムだったのは、小布施町内の出版社である文屋の本。奥田はデザインで、中島は執筆・編集で文屋の本の制作に携わってきた経緯があり、その流れで置かせていただくようになった。こちらも古本ではなくすべて新本。

店をやっているうちに、縁あるミュージシャンのみなさんのCDを扱わせていただく機会もジワジワ増えてきた。基本的に、奥田の友人をはじめ、なんらかのかたちで直接交流したことのある方々の作品を揃えているが、そのほかにもライブを観に行ったら演奏や歌がたいそうすばらしく、ライブ後に「うちで扱いたい」とご本人に相談し、その場で仕入れて販売するようになった作品もある。まれに、ライブ以外のルートで知って、「こりゃいい作品だ」とメールなどで販売元に問い合わせて仕入れたものもある。いずれも中古ではなく新品。

そのほか、「店に置いてほしい」と話をいただいて扱わせていただくようになった本やグッズなどの作品がいくつか。オール新品。

このようにあらためて指差し確認をしてみると、意外というかなんというか、セカンドハンドの商品は本だけ(扱う点数はもちろんこれが最多)で、新本・新品もけっこう扱ってきている。ただ自分自身についてだけいうと、そのことにあまり自覚はなかった。

あるとき奥田から次のようにいわれた。

「新本を仕入れたい。」

これを受けて思い返してみると、古本屋として店を始めたのは、本人たちの強い意思からではなく、委託販売に応じていただける古書流通大手企業との縁が結ばれたことが発端だった。

自分たちが住んでいる町に本屋がないのは寂しいから、自分たちで本屋をやろうか、というのは当初から話し合っていたことだった。その時点で考えていたのは「古本屋」ではなく「本屋」だった。

しかし書籍の流通には取次の壁がある。吹けば飛ぶような個人経営の極小本屋が大手取次企業からまともに新本を仕入れて回転させていこうとすると数多のハードルが立ちはだかる。さてどうしたものか、という場面で大手古書店とのありがたい出会いがあった。古書販売チャネルの充実に意欲的な同社が当方にとってやりやすい条件を示してくださり、取引が始まった。

古本屋も本屋であることには違いない。できるかたちで始めればよい。

というわけで古本屋としてのスワロー亭が始まった。

が、古本屋をやりながらも奥田は新本を扱う本屋をやりたい気持ちを拭えずにいたようだった。

「古本には古本のおもしろさがある。でも新本にはやはり新本ならではの存在理由がある」と奥田はいう。その本がリリースされるタイミングというのは、その本が世に出るべきとき、その本が世の中で読まれるべきときである。そして自分は、今読まれる必然性のある本を、その本を必要とする人たちに届けたいのだ、とのことだった。

なるほどたしかにそのような面はあるだろうと思う。出版社がリリースする本は、担当者が惚れ込んだ作品や作家を世に広めたい、広める価値があるのだと信じて企画するものももちろんあるが、世の中に今、必要とされる英知や情報を広めなければならないと使命感に裏打ちされて生まれ出るものもある。

「今、世の中に必要とされている本」を広くタイムリーに届けることができるとすればそれは古本よりは新本だろう。いや古本も、博学・目利きのセドリ氏が「○年前に発刊されたこの書籍は今こそ読まれなければならない」と仕入れて売るケースはいくらもあるだろうと思うが。

古本のおもしろさのひとつに「発掘する楽しみ」はある。新聞雑誌よりも保存性があるとはいえ、やはり発刊から年数が経つほどに読まれなくなっていく本は多い。長い年数を乗り越えて読まれつづける名著、古典と呼ばれる書籍も少なからず存在しているが、その陰ではかなく消えていく本はその何倍にのぼるのか。しかし消えたと思っていた本が古本屋という装置を通過することによって息を吹き返し、それを潜在的に求めていた誰かの手にふたたび届けられる、新たな生命を得る、ということがある。

タイムカプセルを開くようなワクワク感もあるだろう。1冊の本を介して、長い時間や遠い空間を飛び越え人と人の意識がつながりあう。なにかが共鳴しあう。それはドラマチックなできごとだ。

俗な一面を挙げるなら、古本のほうが概して新本よりも安く購入できるという点も消費者から見ればメリットはメリットだ(ただし人が本を買うとき、値段は第一の理由にはならない。定価で売られていたとしても確実に買うであろう本が安ければそれは嬉しい、というくらいの話)。

などなど古本の魅力はさまざまにある。それは間違いない。

でも。

新本を扱いたいのよ。

と奥田がいう。

とくだん新本を拒む理由は中島にもなかった。

現に自分たちもしょっちゅう新本をあきなう本屋に出かけては、リリースされたばかりの本をついつい買ってしまう。店にも家にも読んだことのない商品及び私物である本が一生かけても読みきれないほど並んでいるにもかかわらず。

よし、仕入れられるものなら仕入れよう。体力のおぼつかない個人経営店とあって、おそらく買い取りを条件とされるであろう新本の取引には、これまでの古本の委託販売にはなかったリスクが伴ってくるが、「新本も扱ったほうがおもしろい」という点で両者の意見は一致し、情報収集が始まった。

出版社、とひと口にいっても、ドデカイ会社もあれば一人親方で立ち上げた出版社もある。出版テーマやコンセプト、こだわりどころなど、一本筋が通っていたり、個性がはっきりしていておもしろいのは小規模な版元のほうかもしれない。また一方、活字離れが進み本が売れないと呪いのようにいわれつづけている状況下にあってなお、本屋、古本屋の看板を新たに掲げる人たちも後を絶たない。

そこには「小規模でも」あるいは「小規模だからこそ」流通したい、流通できる、という出版社や本屋の熱い思いがあり、小規模流通の需要がある。

その需要に応えるべく、出版社と本屋をつなぐ小さな取引のプラットフォームを、ほかでもない出版社が自ら立ち上げていた。ミシマ社が運営する「一冊!取引所」だ。取引そのものは個々の版元と連絡を取り合い、それぞれの提示する条件に沿っておこなうことになるが、小規模出版社の情報をある程度まとめて得られることや、小部数の仕入れが可能となることは非常にありがたい。

スワロー亭もこのシステムを利用して、仕入れ可能な本を取り寄せることにした。

(燕游舎・スワロー亭 中島)


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