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2022.11.26 音の津々

思いがけず2022年後半、店は催事の多い状況。

8月8日、加藤シモンさんとOkikaさん、スワロー亭奥田のコラボによる「はてしなきひょうたんがワープする夜」。

9月3日、葛目絢一さん、和田史子さんをお招きしてのホーメイライブ&ワークショップ。

9月19日、「やっぱりカレーだねフェス」に絡めたSui Nacazimaさん、鈴木彩華さんとの「なんちゃってインド音楽」。

10月22日、青空亭のお二人(チャンキー松本さん、いぬんこさん)と、急遽のご出演をおねがいした西本さゆりさんによる朗読劇「蛸焼刑事」。

そしておそらくスワロー亭当年イベントの締めくくりとなる11月26日「音の津々」。

いずれも一つひとつ振り返れば3000字くらいの文章は記憶だけで今すぐ書けそうな濃密で愉しいライブだった。

なかでもやはり「音の津々」は、構想6年を経てようやく実現した(単に自分たちがあまり積極的に動かなかったためといえばそうだが)こともあり、ひときわ感慨深い。

吉田省念さんはスワロー亭奥田と旧知の方。省念さんの母上、みどりさんと奥田はバンドを組んでいた時期があるという。父上ヨシダミノルさんは、テクノロジーアート、パフォーマンスアートの先駆者とも称され、前衛芸術家として活躍された方で、一時期近所に住んでいた奥田はミノルさんのアトリエ兼自宅をときどき訪れており、なにかの事情で吉田邸の留守番をしたこともあると聞いた。その吉田夫妻のご長男が省念さん。ずっと交流が続いていたわけでもなく、省念さんが小学校6年生くらいのときに街角で偶然バッタリ出会ったのを最後に長年のブランクが空いたが、10数年前に京都のガケ書房で、奥田が以前共演させていただいたEttのライブがあったので出かけていき、その際バンド「吉田省念と三日月スープ」として出演しておられた省念さんと久しぶりの再会を果たした。

小布施に越して以降、長野市のライブハウスに省念さんが出演される情報を得て、二人で観に行った経緯もある。記憶はややおぼつかないが、その最初が2016年11月末だった。休憩時間にごあいさつをさせていただき、ポツポツと近況報告などを交わした際に「店に行きますね」と省念さんはおっしゃった。その言葉を、いわゆる「ごあいさつ」かもしれないし、とあまり正面から受けとめることなく、翌日は車で出かけていた。そこへ奥田の携帯電話が鳴った。省念さんからだった。小布施に向かっておられるのだったか、すでに到着されているのだったか、そのような状況を聞いて、慌てて戻り、店に上がっていただいた。なんのおもてなしもできない丸腰状態だったが、「せめて」とお茶を淹れ、当時の好物であったブラックサンダーを、気に入って使っていたサンペイ窯のナナコさんの皿に並べてお出しした。声もなく「くっくっくっ……」と笑う省念さん。「ブラックサンダーを、陶器のお皿に……くっくっく……」。笑いながらこちらをじっと見ておられた様子が記憶に焼きついていた。ああ、なんというか、世界を平らかな目でまっすぐ観察する人なのだなあ……と思った。

省念さんからyatchiさんのお名前を初めて教えていただいたのがそのときだった。yatchiさんのファーストアルバム『metto piano』のリリースからまだ日が浅いころだったのだろう。友達がこういうアルバムを出していて、たいそう良いんです、と省念さんは話しておられた。聞いたその場でメモを書いて、仕事机の端にメモを貼っていた。

それからあまり間を置かず、長野市内の別のライブハウスで次の機会に恵まれた。ふたたび二人で観に行き、最前列で鑑賞。yatchiさんと初めてお目にかかったのはそのときで、ライブ会場で販売されていたCDを仕入れさせていただき、自店で販売することになった(省念さんから聞いたとおり『metto piano』はたいそう良いアルバムだった)。省念さんには、前回のライブのときも、2度目のときも、「小布施でもライブをぜひ」という話をした。が、なかなか話は実現しなかった。省念さんの拠点は京都市内。お呼びするには時間もお金もかかる。スワロー亭の規模でしっかりとお支払いするにはなんらかの工夫を要しそうだった、ということもあるし、省念さんはお忙しいのではないかと遠慮がちになってしまって予定を具体化できないところもあった。

腰が重かったわけでもないがそんな状況が数年続いた。

そこからようやく一歩を踏み出すきっかけは、想像もしなかった形で訪れた。

2022年5月、ギタリストの笹久保伸さんをお招きしてライブをやる機会があった。その前月、小布施から車で2時間ほど南下したところにある伊那市の「赤石商店」で、どのような経緯なのか、「ペルー祭り」というイベントがあり、ペルーギターの継承者と称される笹久保さんも参加されるという情報を得た。赤石商店は伊那のホットスポットとしてたびたび名前を耳にするところで、一度行ってみたいと思いながらちょっと遠方ということもあってなかなか行けずにいた場所だった。笹久保さんにごあいさつする好機でもあるし、一石二鳥だね、というわけで、その場の勢いでペルー祭りのライブにオンラインで申し込んだ。申し込みの際には自分の住所と名前と電話番号を伝えただけだった。が、メールで確認の連絡を取り合ううちに、店主の埋橋さんから「スワロー亭というお店をやっているんですね。その話も聞かせてください」とコメントをいただいた。なにかしらのルートで素性を突き止めたらしい(笑)。さすがは赤石商店である。

そんなやりとりを経て訪ねた赤石商店で、「来月、うちで笹久保さんのライブをやるんです」というあたりから始まって、もろもろ立ち話をしていたら、「今度古本イベントをやるんですが、よかったら出店しませんか」というお誘いをいただいた。「喜んで」と参加することに。「赤石ブックマーケット」と銘打たれたそのイベントは、出店者が集まるスタイルではなく、赤石商店に店番をしてくれる人がいて、出店者は本を段ボールに詰めて送るだけでよい、というやり方だった。スワロー亭からも本を詰めた箱をいくつか送った。開催期間の終了が迫ったとき、埋橋さんから「残りの本はどうしましょうか?」と連絡をいただき、せっかくだからイベントもちょっと見に行って、ついでに引き揚げてくることにした。

ブックマーケットの後始末のやりとりをするなかで、またまた立ち話をしていたら、なんと埋橋さんがyatchiさんのファンであることが発覚。「うちでライブをやれないかなあと思っているんです」というような話が出て、「実はうちもyatchiさんと吉田省念さんのライブをやりたいと前々からご本人にも相談していて、でも日程がなかなか決まらなくて」と応じると、「ならば合同企画でお呼びするのはどうでしょう」という話に発展。ようやくスワロー亭奥田も本気で日程の交渉に臨み、(本題までが長くなったが)今回の開催に漕ぎ着けたのだった。

省念さん、yatchiさんのアルバムで入手可能なものは全部購入してしょっちゅう聴いていたし、仕入れができたものはすべてスワロー亭で販売もしてきた。店でCDをかけていると「これ誰のですか」と尋ねられ、紹介すると喜んでお客様が買っていかれる場面もあった。自分たちにとっては、ずっとやりたかったライブの実現。しかしそんなことは知ったこっちゃない周囲の人たちに、お二人の音楽の魅力を伝え、「ライブに行きたい」気持ちになってもらうことはそう容易ではなかった。そのことに弱気になってしまう場面もあったが、都度切り替えながら、つたない広報に注力した。

そして当日。

なぜかこの日、スワロー亭が属する自治会「中町」の行事「スタンプラリー」が行われた。自治会内の5店舗を、引率の大人と子ども数人のグループに分かれてそれぞれ見学しつつスタンプを集めて歩く企画。スタンプラリー用の消しゴムはんこを作るときにはスワロー亭中島がお声かけをいただいて指南役をさせていただき、みなさん初めてといいながら素敵なはんこを仕上げておられた。もともと夏休み中に開催するはずだったスタンプラリーは、町内でのコロナ感染状況にかんがみて延期に。以降音沙汰が絶えていたのが、ライブの少し前に自治会の役員さんが店に現れ、「ライブの予約か!?」と思ったら「スタンプラリー協力のおねがい」だった。よりにもよってライブ当日、そのうえリハーサルと微妙に被ってきそうな時間帯である。しかし日時はすでに決まっており、スワロー亭の事情だけで変更することは不可能。「わかりました、バタバタしているかもしれませんが、どうぞ」と応じてその日を迎えた。

同じ自治会内でスワロー亭に来たことのある人は限られる。自治会や商工会の用事で来た人は何人かはいても、ふつうにお客様としての来店はほぼゼロ。この日スタンプラリーの引率で来られた大人の方々も「初めて来ました」という方ばかり。「おもしろいですね、また来ます」という方もいれば、一刻も早く任務を遂行して解放されたいムード満点の方も。子どもたちも同様。6グループくらいが五月雨式に訪ねてきたが、グループによってずいぶん雰囲気も滞在時間も行動パターンも違い、それを眺めるのは案外おもしろかったが、なにしろ通常の営業時と勝手が異なりすぎてちょっとめまいがする心地だった。

そのスタンプラリーがなんとか終了すると、役員さんがご丁寧にも御礼のあいさつにお越しくださった。玄関先で役員さんと立ち話をしていたら、そこへニュッと現れた二つの黒い影。

あれ? お客様が来られたのかな? と思いきや、よく見れば省念さんとyatchiさんではないか。事前に連絡を取り合い決めていたとおりの時刻をめざしてキッチリお越しくださったのだった。

役員さんとの話が意外となかなか区切りにならないので、お二人への対応を奥田に託して中島はもうしばらく立ち話。

やっとそれがひと段落したところへ、近所で店をやっている友達が狙いすましたようなタイミングで、スワロー亭に興味を示したというお客様を案内して来てくれた。関東方面から来られたというそのお客様は出版社の営業担当だという。「本のラインナップはどんな方針でおこなっているんですか?」から始まって「うちの会社はこういう想いで、こういう本を作っていて」と会社概要を話してくださる。ありがたいことだ。ものすごくありがたいんだけど、しかし今は3時間後に本番を迎えるライブの準備をしなければならない。話はおもしろいが、どうしても身が入らない。熱心に話す御仁の背後では、省念さんとyatchiさんがステージ設営を始めておられる。ひとしきりになったところでお客様も「お取り込み中すみません」と言ってくださったので「バタバタしていてすみません。よかったら今日のライブ、すごくよいので観にいらしてください」と見送る。

なんだか本番前なのにワーワーしている。

そんな中、省念さんのギターがノイズを発する事態が勃発。アンプとの位置関係の問題か? 電源に何かが? 原因が特定できない中、ギター自体になにかが起きている可能性を考えた省念さんは楽器屋さんを探し、調整・修理をしてもらうため一旦外出。店までの往復の所要時間を考えると本番までに戻れるかどうかギリギリという予測。それでもそのノイズをなんとかしたい。万一定刻までに戻れなければyatchiさんのソロでスタートをと言い残しギターを担いで車に飛び乗り、不慣れな土地で楽器屋さんを目指す省念さん(こんなときだけGPSに感謝)。

結果的には予約のお客様数名の到着が少し遅れたのを待っている間に、定刻の5分過ぎくらいのタイミングで省念さんはご帰還。一同安堵。

省念さんが出かけておられる間に、奥田がテルミンで参加しyatchiさんとオープニングに即興でもやろうかという案も出ていたが幸か不幸かそれは幻と消えた。

玄関扉を開けた省念さんは「いつでもステージに立てる。セッティングを完了次第すぐにでも演奏を始められる」オーラに包まれていた。楽器屋さんのある隣町からの道中、しっかりコンセントレーションを高め、もろもろをととのえてこられたものとみえた。

数分押しながらもなんとか無事にスタート。

オープニングは今回のツアータイトル「音の津々」をイメージしたお二人の即興。さすが、一時は一緒にバンドを組んで活動なさったこともある、交流の長いお二人。やさしく繊細でありながら攻めてる感じもある美しい音が奏でられ、場が徐々に動きだす、好感触の幕開け。

つづいては、省念さんのソロ。

1曲目「Dead Flower」の冒頭、♪How many もう数えきれないよ……の声を聴いた瞬間、中島は頭頂部から足のつま先まで背面をビリビリビリビリ……とエレキが走って、しばらく止まらない状態。鳥肌、というのとは違って、体内をなにかの粒子が激しく飛び回っている感覚。うおーーーなんじゃこりゃー!!!

あれはなんだったのか。当の省念さんがそれくらい「届ける」意思をもって、集中して、研ぎ澄ませて、あの最初の一音を発したことによる現象なのか???

ライブ後、それを話すと「それもあるかもしれないし、受信者に『受け取る』準備ができていたから、ということもあるかもしれない。その場にいた全員が同じように感じたかどうかもわからないし」と奥田。たしかに、あの体感をみんなと共有していたのかどうかは不明。

思い出すのは、ずいぶん前に観た小澤征爾指揮によるコンサート。オープニングの最初の音が鳴ると同時にその場の空気がぐらっと揺れたような感覚と一緒に涙腺が崩壊、という経験をした。その体験を人に話したら、「それは指揮者が小澤征爾だったからでしょ」というような返答。おそらくは「あなたが小澤征爾を色眼鏡で見ているからだ」というニュアンス。ちょっと複雑な気持ちではあったが、そういう面が「ない」とはいいきれない。いずれにしても、そこに居合わせた観客全員が号泣していたわけではないことを思えば、涙腺崩壊は自分の中のなにかが起こした現象と受けとめるのが妥当なのかもしれない。

しかしそうだとしても自分一人で起こしたことではなく、ある状態をもってそこにいた自分に「小澤征爾が指揮するオーケストラが奏でた初めの一音」が出くわして、現象は起きた。そういう相互の作用の接点が、その場においては「自分の涙腺」だった、ということか。

発信者と受信者がいて、発信者が発したなにかを受け取ったとき、受信者の表層、インターフェイスの部分になにかが起こる。受信者が複数いる場合は、受信者が発するもの(or内包するもの)の違いによって、それぞれに異なる「なにか」が起こる、または起こらない。発信者の内側でも、居合わせた誰とも違う「なにか」は起きているかもしれない。

……というのはもちろんライブが終わってから振り返ってムジャムジャ考えた妄想。

本番はたっぷり、じっくり、しっとり、お二人の歌と演奏を堪能させていただいた。まことに失礼ながら、日ごろお二人のCDを、ジャケットやブックレットを読まずにただただ聴いているため、曲のタイトルやそれが生まれた背景が頭に入っていない。ただただ聴いて、ただただ「いいなあ」と浸っている。省念さんの『黄金の館』などは何カ月にもわたって(なぜか)泣きながら聴きつづけていた。しかしとにかく曲名がわからず、ここで「あの曲がどうで、この曲がこうで」と書き記すことが困難だが、「あ、この曲好き」「この曲も聴けて嬉しい」と思う場面多数。

本番直前に不測の事態が発生したことによって、ギリギリ感も織り交ぜながら、さらに味わい深い体験となった部分もあったのかもしれない。なにが起きても、「よい音楽を届ける」というお二人のゆるぎない思いに守られるようにして、「ああよかった……ホントよかった……と噛みしめることができる最後」はあらかじめ約束されていたんだなあと、終わってから気づく。

「ゆるぎない思い」と書いてみると、この言い方がふさわしいかどうかちょっと怪しい。「思い」として強いものを内に秘めている、というよりも、「よい音楽を届ける」ことはお二人の中では大前提、当たり前、ふつう、自然、のこととしてあり、それがいつ、どんな場所にいても変わらない、ということかもしれない。出演者としてキッチリ定刻に会場に身を置くことよりも、もしかしたら少々定刻に遅れるかもしれないリスクを引き受けてでも可能であればギターのノイズを消去することを選んだ省念さんのあのときの判断を思い返すだけでもそのことはクリアに窺える。

個人的に、強く記憶に刻まれたことがひとつ。

本番前にお二人にほうじ茶のペットボトルをお出しした。一夜明けて、店の前に停めていた車を取りにきたお二人にお土産を渡した際、荷物の整理のために開けられたyatchiさんのトランクの端っこに、前日のほうじ茶が格納されていた。もう1本のほうじ茶は、前夜ライブ終了後に玄関前に置かれていたので、忘れて置いて行かれたのだなと思い、引き揚げて店のレジ台あたりに保護していたのを、このとき省念さんが「あ、これ僕の」とおっしゃり持ち帰られたという(自分がちょっと外した間の出来事だったので、後で奥田から伝え聞いた)。

それだけといえばそれだけのことだが、お二人のお人柄がよく表れた場面だったような気がする。

ペットボトルのお茶は出演者にとって、ライブ中に喉を潤すのに便利ではあっても、本番が終わってしまえば「それなりの重量がある荷物」に変わる。これまでにうちでお呼びしたミュージシャンの方々にも、たいがい本番前になんらかの飲み物をお出ししているが、それがペットボトルであった場合、終了後に飲みかけのペットが会場内に置き去られていることは珍しくない。遠方から来られた出演者なら楽器や衣装や宿泊用の荷物も多いし、それは致し方ないこととも思う。1本百数十円。なんなら新幹線に乗る前に自販機で新しいお茶を買ってもさしたる痛手もない。という状況下で、お二人が前日、本番前にお出ししたペットのお茶を持ち帰られたという事実によって、少なくとも自分の記憶上は、お二人のありようについて好ましく感じる度合いがさらに強まって上書き保存された。

またお呼びできる機会を得られたらすごく嬉しい。

(スワロー亭・中島)

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