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スワロー亭のこと(9)書棚、テーブル、漬物樽

古本屋「スワロー亭」を開店するとき、資金らしい資金をかけるゆとりはなかった。中古住宅を買った時点でほぼ蓄えは尽きていた。もともと「無理せずできる範囲のことを小さくやろう」と思っていたので、とくに焦りももどかしさもなかったが、開店当初はとにかく周囲の人たちからのいただきものにかなり支えられていた。

まず本屋に必須の書棚。

先にも書いたがほとんどの書棚は、親しくしていただいていた近所の知人から譲り受けたもの。質のよい材でできた、つくりもしっかりした書棚ばかりだったので、ありがたかった。力持ちの若者たちにビールを振る舞って、重量のある書棚を運び込んでもらったのが、開店に先立つ2015年7月28日だった。

ちなみに残る何本かの書棚は、同年秋に奥田の母親が大阪から小布施に越した際に、併せて運んだもの。おもに奥田の父親が使用していたもののようだ。

書棚に続いて、今度はテーブルセットがやってきた。にわかに訪れた本オープン(2015年12月29日)から2カ月弱が過ぎた2016年2月21日。

うちと同じ通りに面した徒歩2〜3分の場所に、芸術家のY先生がアトリエを借りておられた。共通の知人がいるなどのご縁で、一度そのアトリエへお邪魔したことがあった。個人的にはヨーゼフ・ボイスの直筆サインがこともなげに壁に貼られていたことがツボだったが、それを含めてあれこれ話しているうちに、ふとY先生が「このダイニングセットをよかったら引き取ってもらえないか。このアトリエもやがて引き払わなければならず、もううちでは不要だから」とおっしゃった。

これがまたかなり重厚なつくりの、どっしりとしたダイニングセットだった。6人掛け仕様で、サイズもそれなりに大きい。「置き場所を確保できるだろうか」と心の隅で思いながら、奥田も中島も「ありがとうございます!」と応えていた。

そのやりとりがあったのが、夏だったのか、秋だったのか。Y先生がアトリエにいらっしゃるうちは、きっとそのままそこで使われるのだろうと思い、すっかり油断していた。

ところがその日、つまり前述の2016年2月21日、Y先生が「テーブル、持ってきていい? 僕も一緒に運ぶから!」と飛び込んでこられた。「はい」か「イエス」か「喜んで」しか選ばせない勢いだった。気圧されて(笑)、数日後に運び込むことになった。

しかし手持ちの普通車ではそのテーブルを載せられない。急遽、町内の知人から軽トラックを貸していただき、Y先生のお宅からテーブルと椅子6脚を運んだ。

移動の便を考慮したものなのか、テーブルは天板と脚が分割できるつくりだったが、天板だけでもかなりの重量。一人ではびくともしない。2〜3人がかりでやっと運んだ。椅子もテーブル同様に1脚1脚が重い。

「さしあたり」くらいの気持ちで、古本屋の店内にスペースをあけ、ひとまずテーブルを据えて椅子を並べた。雰囲気はとてもよい。古本屋に似合うテーブルセットだった。いかんせん、重みがすごいので、一度据えたその場所から、その後長く移動することはなかった。

このダイニングセットは、いただいてみるととても重宝した。営業時間中は、お客様が座って本を読んだり休憩したりする場所として使っていただいた。ときどき仕事の打合せがあると、そのテーブルが集合場所になった。天板サイズがゆったりしているので、書類を広げるには好都合だった。その後開催することになるライブでも、お客様が座ってお茶を飲んだり、演者が楽器を並べたりするのに使った。

Y先生のあの勢いにリアルタイムでは少々面喰らったが、「いつでもいい」事柄はどこまでも先送りしてしまう燕游舎なので、結果的には先生の勢いに助けられた。

ダイニングセットと同じ2016年に、もうひとつ、スワロー亭に嫁いできたものがある。

これもまた年季の入った、漬物樽だ。

ある日SNSで隣町に住む知人が「漬物樽、ほしい人いますか? ばあちゃんの家で不要になったので譲ります」と投稿していた。見た瞬間、「おもしろそう」と思った。奥田に確認すると「いいねえ、いただこう」という。

連絡を取り合ったところ、県境を越えたところにある「ばあちゃんの家」から知人が運んできてくれるという。ありがたくご厚意に甘えた。

ダイニングセット搬入から約半年後の8月27日。漬物樽がやってきた。

大きい。中島の身体サイズでも余裕で屈葬できそうだった。

80年ほど使われてきた、つい先日まで現役だった樽だという。蓋を開けたら、たしかに現役の香りがした。

さてこれをどう活用しようか。なかに本を並べる案もあったが、深さがありすぎて出し入れが難しそう。結局、蓋をした上を平台として使う格好となった。

場所を取るわりに収納はできなかったが、この漬物樽は店の入口付近でいい雰囲気づくりをしてくれた。お客様との会話の糸口も、漬物樽に何度も提供してもらった。

古い書棚。古いダイニングセット。古い漬物樽。

意図せずに、自分たちでは手に入れることがかなわない「経てきた長い時間」を、周囲の人たちからいただいた。

いただいたモノ自体ももちろんありがたい。でもいちばんの価値は、それぞれのモノが店にもちこんでくれたその時間だったのかもしれないと、今になって感じる。

思えば古本屋とは、そういう長短さまざまの「時間」がいろいろな経路をたどって集まってくる場所なのだ。

そういえば新築ピカピカの古本屋というのはあまり見かけたことがないような気がする。開店資金の問題もあるだろうし、やはり古本屋は古い建物で、古い書棚に並んでいるほうが似合うからそうなるのだろうか。

(燕游舎・中島)

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