見出し画像

スワロー亭のこと(20)店舗増床

時間が前後するが、2018年10月に店主の奥田が還暦を迎えた。

奥田は割合と自分の誕生日になにかをやろうとするほうだ。スワロー亭を初めて開店したのも奥田の誕生日だった。2015年のこと。

日ごろ1対1で暮らしていると、意見が割れたり価値観が違ったりしても1対1、50%と50%、半々だ。比率で半分もの人(実質は「1人」だとしても)が自分と違う考えをもっている、となると自分の考えがどこか間違っているのだろうかとわが身をかえりみてしまう。奥田が自分の誕生日にことよせてなにかをしようとするとき、自分なら恥ずかしくなってしまう場面だなと思うが、そう思う自分がひねくれているのだろうか、とつい思ってしまう。

奥田が「自分の誕生日に店を開店したい」といいだし、機会があれば周囲の人たちにもそのことを話すようになったとき、話を聞いた知人の一人が「よく恥ずかしくないですね」というリアクションを返してきた。そうか、こういう場面で恥ずかしいという感覚は成り立ちうるのだな、とちょっとだけ安堵したことを思い出す。

逸れつつある話を元に戻すと、2018年10月、奥田は還暦を迎える自分の誕生日に「たこ焼きを振る舞うイベントをやりたい」といいはじめた。まあちょっと恥ずかしい気もするが、本人がやりたいというなら、ほかでもない振る舞いでもあるし、日ごろ支えてくださるみなさんに御礼ができるからいいか、と深く考えず提案に乗ることにし、たこ焼きの材料と、ほそぼそながら出せるかぎりの種類のドリンクも用意した。

SNSでちょこちょこと告知をした以外は、ごく身近な人たち数人に口づてで「こんなことやるんで、よかったら」と声をかけた程度だったが、その日は予想外に大勢の人たちがスワロー亭を訪ねてくださった。そしてこれまた考えてもみなかったが、来店される人たちが手に手になにかしらのプレゼントまで携えてきてくださった。ありがたいことだ。

スタートからしばらく時間が経って、ふと気がついたら店内が人でいっぱいになり、座れない人は立ったままたこ焼きを食べていた。お客さんが来るたびに主役はあいさつをし、お礼を述べ、流れで話が盛り上がったりもする。その間、自分はたこ焼きを焼いたりソースをかけたり青のりを振ったり注文に応じてドリンクを運んだりしていた。

このような催事をやってみると、店舗仕様ではない個人宅の台所は、店舗スペースと離れていて動線の効率が悪く、そのうえ狭い。思いがけなく来店されたお客さんがその動線上に腰を据えて奥田と話し込む場面もあり、身動きがとれない事態も。また店舗そのものも満足な広さが確保できていないことを感じる。

この日のたこ焼き振る舞いにかぎらず、ライブやイベントをやるたびに店の狭さと動線の不自由は感じてきた。加えて書棚をもっと充実させたい欲も湧いてきた。

さらにいえば、この建物は店舗や仕事場を含むとしてもなお2人で使うには広すぎるらしく、活用されず物置やたんなる空きスペースになっている場所があった。

自然な発想として、「空きスペースを店舗の一部として活用できるようにしたい」という方向へ話はつながっていく。

長い前置きだったが2019年、「ちょっと店を増床しようか」という話がどちらからともなく出てきた。

それぞれの希望をラフ図面に書いては話し合い、別案を出し、図面に修正をかけ、店舗のあちこちを歩き回り、サイズを測り、をかさねる日々が始まった。

二人共通の希望として、

・書棚を増やしたい。

・店内に手洗いを新設したい(パブリックとプライベートを分けたい)。

・試着室を設けたい。

があった。

逆に、二人の意見がまとまらなかったり、迷いが出たりした点もいくつか。

ひとつは、店に厨房設備を設けるべきかどうか。つまり、営業の一環として飲食物を扱うかどうか。

スワロー亭を始めた当初、なにもかも手探りというなかで、一時期は無料でお茶を振る舞っていたことがあった。お茶を手にしてもらうことで、椅子に座る理由もできるし、腰を据えて本をめくるきっかけにもなる。

が、その振る舞いはいつの間にかやらなくなっていた。

来店されるお客様から「お茶は飲めるんですか」と尋ねられることはときどきある。そのたびに「お出しすることができればいいんですが、設備も資格も整っていなくて。いつかやりたいとは思っています」というような受け応えをしながら、自分たちの意思はどうなのかと考え、話し合う。

ぼんやりとした希望として「お茶を飲んでもらえたらいいな」とは二人ともが思う。ただ、「近所においしいコーヒーの焙煎屋さんがあり、ドリップコーヒーを卸しで仕入れたり、淹れたてコーヒーをポットでテイクアウトしたりもできるんだから、それをやったらいい」とライトなノリで思える奥田と、「人様の口に入るもの」になんだか重く責任を感じてしまう中島の意見はなかなか一致しない。

もうひとつは店舗と自分たちの仕事場を分けるべきかどうか。

古本屋の運営のほかに、奥田も中島もそれぞれ仕事をしている。もともとの仕事ぶりにおいて、すでに二人の様子には違いがある。

奥田は複数の仕事を並行して進めながら、こっちをちょっとやって一旦休み、そっちをちょっとやり、あっちもちょっとやり、またこっちに戻り、というやり方をすることが多いらしい。だからお客様が来られて仕事が中断しても、お客様が帰られたあと、難なくその続きを再開できる。

中島はそれとは違い、ひとつの仕事をやり出したらズブズブにそこにはまりこんで抜け出せなくなる。とくに書籍の執筆編集をやっているときは、そのコンテンツの世界に意識を全部注ぎきるくらいにしないとなかなか深みに達することができない。その工程の途中で、不意に外部入力に対応する必要に迫られると、その瞬間には頭に浮かんでいたアイディアの断片や言い回しや書籍の骨組みなどがすっ飛んでしまい、戻ってこないこともある。そういう性質の中島にとって、ランダムに来店されるお客様に対応しながらの机仕事の進行は難易度が高かった。たとえば店舗と仕事場をオープンなワンフロアにして、お客様がこられるたびにあいさつをしたり質問に応えたり雑談をしたりしながらの机仕事が中島に可能なのか? 首を縦に振るのは難しかった。

折衷案として、「引きこもる必要があるときは扉を閉じれば引きこもれるが、オープンにしてもOKなときは扉を開放する」式を二人で考案した。

もうひとつ、終盤まで意見が割れた点として、土禁にするかどうかがあった。中島は衣料品部門を担当していたこともあって土禁推進派。奥田は「靴を脱ぐのが面倒だから」と帰ってしまうお客様がいるのはもったいないというような理由から土禁反対派。その時点では、店舗の3分の2が土足で歩けるスペース、残る3分の1が土禁スペースとなっていたが、奥田はその土禁スペースまでも土足で歩けるようにしたい派だった。

チャンスがあれば友人知人の意見や体験談なども聴きながら、話し合いに話し合いをかさねた末、最終的には土禁が採択された。今となっては経緯をはっきり思い出せないが、中島がなんとかかんとか土禁のメリットを並べたてたり土足のデメリットを強調したりして押し切ったのだろう。

きちんとした設計は、この中古住宅を買ったときに改装をお願いした町内の建築士さんにふたたびお願いした。

自分たちの望みをわかってもらうことは簡単ではなかったが、そこは奥田がふんばって根気強く建築士さんや大工さんらに説明・説得してくれた。

2019年暮れ、改装工事が始まった。

自分たちの希望とは異なる方向に進みかけていた工事を止めて軌道修正をしなければならない場面もあり、その影響もあってか、工期は当初予定よりもいくぶんか延びた。

そうこうする間に新型コロナが流行しはじめていた。

もともと工事のために長期休業を予定してはいたが、最後のほうはなんの休みかよくわからなくなっていた。まだ信頼できる情報もかぎられていた2020年初頭、たまたま時期がかさなった改装工事を理由としてまとまった休みをとるということができたおかげで、自分たちが大きく揺れずに済んだところはあったような気がする。

(燕游舎・スワロー亭 中島)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?