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欲張りに生きるには??

ふとしたタイミングで、自分は「生物」である事を再認識する。
生物である限り、「終わり」があり、ネジが切れたように動かなくなる時がくる。
不可逆な世界に生きていて、写真の中の世界は過去のまま、戻れない日々を送っている。
いつか動けなくなるその日へ向かって。

そう考えた時に、如何に「今」を生きるか、と考える。
皆がみな、次の瞬間が分からない「今」を、(恐らく)連続的に経験しながら、どんどん先へ押しやられて生きている。
先程、甘い菓子パンを食べたが、その時はもう戻ってこない。また、今こうやってnoteを書いている事を、パンを食べている時は想像しなかった。
過去は戻らず、未来は常に白紙だ。

過去を回顧する時、「あの時はこうだった」という解釈は、それが過去だから出来るのだ。
「今」や未来を解釈する事は特殊な能力が無い限りできないだろう。

過去の解釈方法や未来予測は、また別の時に書くとして、今は「今」の生き方を考えたい。
生き方、信条は人それぞれだと思うが、私の場合は「後悔したくない」というのがある。
後悔するかどうかは、実際は解釈の問題であり、過去の捉え方でどうとでもなるが、私は、どう解釈しても後悔しない生き方が出来たらと考えている。
つまり、かなりの「欲張り」という事だ。

過去を振り返る時に、どのタイミングで振り返っても、「あの時、ああして良かった」といえる日々を送りたい。

それが私にとっての最善の生き方であり、今なお試みている生き方でもある。

果たしてそのような生き方はそもそも可能なのだろうか。

中学時代や高校時代、私にとってはどちらかというと「伏せておきたい」時代だ。
鬱々とした時代でものすごく後悔しているし、「もっとこうすれば」という事ばかり浮かんでくる。
言ってしまうと、既に「後悔する」時期を経験してしまっているのだ。
では何に後悔しているのだろう。
私の場合、
「挑戦しなかった事」
「自分の好きなものを追求しなかった事」
の2つが大きく挙げられた。
・失敗を恐れて前へ踏み出さなかった事
・周りに流されて自分の事をおざなりにした事
の2つに言い直せる。

逆に、今の今まで後悔しなかった時期もある。
その時期は、少し苦しかったり大変だったり、恥をかいたこともあった時期だったが、満足している。いつ振り返っても、心からポジティブに捉えられる。
それは、「挑戦したから」「自分の好きにこだわったから」だった。
後悔していない時期の特徴は、周りの人の解釈がどうであれ、自分が満足できるという事だ。
他の人にとっては大した事のない事でも、自分にとっては宝物になる事がある。
私の、自分としては後悔していない時期について他人に話しても「ふうん?」としか言われない事が多い。
しかし、私にとっては誇りだ。
逆に、周りが賞賛してくれていた時期だとしても、自分は後悔している場合もある。
中学時代、高校時代は、まさにそれだ。
共通して、「まわりの目を気にしてた」「好きな事、やりたい事に飛び込まなかった」事が原因だった。

だとすると、欲張りにも、後悔のない日々を送るには、「挑戦をし続け」、「自分の好きな事に向かい続ける」必要があると考えた。
心をより自由にし、自分の声に耳を傾けること。
周りにとって「無意味」でも、自分にとって価値があるのであれば、全力で実行する事。
「今を楽しんでいる」「後悔のない人生を送れている人」というのは、そういう性質が、少なからずあるのではないだろうか。

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