見出し画像

自分を愛するカケラ

手の写真を綺麗に撮ってみようと試行錯誤してみた

画像1

なんとかとれた。。

今日は私のコンプレックスについて

書き留めたいわけで

先日コンプレックスから開放される

自信へのカケラをくれた

あゆみさんが

南アルプスの市議として立候補された。

画像2

彼女との出会いは

2018年ハワイ

ファッションショーの

レンタルドレスの提供と

モデルとしてのステージ出演 

藤田あゆみさんは

ケアネイリストとして同行されていた。

でも塗らない。。???

ももいろネイル???

つけたりはったりするギラギラゴージャスじゃないの?ファッションショーやで?

ってことで

私はお願いしなかった

画像3

画像4

日本じゃないという開放感と一丸となって楽しんだショーの達成感からか彼女とも打ち解けるうちに

道産子なの?とお互い盛り上がる

帰国後いつか会いましょうね!と

彼女は山梨に私は大阪に

Facebookを通して彼女の活動を垣間見る中

画像5

!!!

、ステキな活動が目に止まる。

また会いたい人になった。

そんな中彼女が大阪に来てるという。

しかもサンケイ ブリーゼブリーゼに。

その頃ちょうどパーソナルトレーナーとして

サンケイ ブリーゼブリーゼの店舗内にて

研修生として働き出していた。

なんだろこの引き寄せの法則みたいなん。。と

少しザワつく胸で連絡をとり会いにいった。

もともと私は子供3人おるし活動的だし

着物で仕事してきたし。

爪の長さは

せいぜい米粒が乗るくらい。

とはいえ。シングルマザーだからこそ

二足三足のいやムカデ並みのワラジだからこそ

常に指先まで華やかである事に気を遣っていた。

時に家事してるの?綺麗だねと褒められるのも

誇らしかった。

2年前に再婚し。

主人のクリニックではリハビリ助手として

また

パーソナルトレーナーとしては

お客様の筋肉の緊張をほぐす

マッサージから始まる指導のスタイルの為

なお短めに清潔感のある指先を目指し

自然な 色の付け爪にチェンジしていたが。

自爪が綺麗だったらなと。常々思っていた

でも自爪を晒す事は出来なかった

が。恥ずかしすぎて。。

だが。しかし いや必然的に

ついに。彼女に魔法をかけられた。

40年という自爪コンプレックスからの

開放だ。

〜飾らなくても 美しい指先へ 〜

〜ももいろネイル〜への転身である。

そんなオーバーなと思うかもしれないが

簡単にいうと 付け爪人生へサヨナラしたのだ。

画像6

北海道の片田舎で5人兄弟姉妹の長女として育ち

かなり厳しめの教育を受けた。

今でこそ虐待として騒がれるかも、しれないが。

叱られるときはぶたれるのは常識の時代

腰が立たなくなるほど竹刀やベルトでぶたれた

原因はもちろん自分にあるが つらかった。

ある事が原因で(またそのうち書こうとおもう)

甘える事もあまり出来なかった。

お姉ちゃんなんだからと自分でね。と

弟が母に爪切りで爪を切ってもらうのが横目に

とても羨ましかった。

なぜか気づいたら噛むようになっていた。

噛むと叱られる

叱られると噛む 

そんな連鎖が生まれていたように思う。

声が小さいし礼儀正しくなると思うからと

母に剣道を勧められ剣道を始める

誇らしそうに見つめてくれる母が嬉しかった

が、爪がコテで黒ずんでいく。

画像7

人に指先を見せるのがとても嫌になったのを

とても鮮明に覚えている。

爪切り=爪噛みとなり

どんどん汚い指先へと変化した

この頃の写真を見ると殆ど

握った手で写真に写っている。

知らず知らずに隠すようになっていた。

中学生になり オマセな女子は

マニキュアとか塗るようになるが

わたしにはほとんど爪がなく

朝刊新聞配達も初めた為 なおいっそう

指先が汚くなっていた。

そして指先は

いつしか 気にならなくなっていた。

色んなしがらみから逃げるように

16歳で上京、、といっても

都会は怖い。と。

愛知県の片田舎の工場に勤務する

飛行機から眺めた愛知県の景色は

お寺ばっかり⁇と瓦屋根にびっくりしたのが

懐かしい。

集団就職し。

安全靴を履き

基盤にハンダ付しシンナーで手を洗う

爪なんてなくなるし指先もボロボロになった

その後若さゆえの好奇心で解雇

啖呵をきり 自分の荷物を焼却炉でもやして

出てきた田舎に帰る場所なんかない。

路頭に迷いかけた時

食い道楽の街の大阪ならすぐ仕事あるで!と。

誰が言ったのか笑

両手に荷物もって。来阪

食べれる 住める で飲食店グループに勤務する

そこで初めてのサービス業

カレー屋勤務。。カウンター囲み式、、

どうしてもお皿を置くとお客様の目線が

手元になる。露骨に嫌な顔をされた。

指先を隠せない。

ちょっと綺麗な先輩のお姉さんが

貼り付けるタイプの付け爪を教えてくれた。

18歳夏 付け爪デビューした。

爪をつける事で

少し所作も綺麗になったように思った。

慣れないハイヒールも履くようになった

女の子らしくなれた気がした。

時が流れ

安定した収入が取れるようになった頃

高価なネイルサロンが登場した。

剥がれない付け爪だ。

おそらくこの 付け爪に。

おそらく小ベンツ1台分のお金は使ったことだろう。

贅沢なお値段のサロンも多かった。

今じゃ女子高生でもできる値段だけど。

子供がうまれた23歳。

割高だったけど。

出張してくれるネイリストにお願いした。

子育てに追われて指先にケアが

行き届いてないと思われたくなかった。

自爪を晒すのはとても怖かった。

ある時

手に怪我をして入院の為 オフした。

画像8

汚くて

退院後 

画像9

すぐにネイルサロンへ走る。

それほど自爪を人に見られたくなかった。

ただいつのまにか

爪が長く大きくなってることに気付けた。

そう付け爪人生も悪くない。

守られて自爪が大きく変化したのだ。

でも。

でも自爪のままである事が怖かった。

画像10

こんな状態でネイルかよ。。と

自分でなんだか笑えた。

そんなモヤモヤを

抱えながら生きてきた。

でも変わりたかった

シンプルに飾らなくても

愛せる愛される手に爪になりたいと思い出していた。

そんな時 

藤田あゆみさんに出会った

画像11

自分の爪先に笑顔が生まれた

44歳 付け爪人生にサヨナラした

画像12

そして自爪を美しくいられる事は

自分を愛せることの一つだと

押し売りすべく正しい 爪の知識を蓄えようと思い

自粛期間中のzoom講座

ももいろネイルのセルフケアマイスターとなった

画像13

塗ったりつけたりもシーン別に楽しめばいい

でも。私はもう自爪がいい。

ももいろネイルで家族と共に生涯を終えたい

安全靴と無理なハイヒールで変形し

付け爪でキラキラさせていた足も今は

何もつけていない

足の爪もももいろネイルだ。

ナチュラルで健康的に。

家族と私の大切な友人に。

これから出会う大切な人に伝えていきたい。

感謝を込めて応援しています

画像14

彼女は私に自分を愛するカケラをくれた人です










よろしければサポートお願いいたします サポートいただきましたお気持ちはクリエイター活動費 また社会貢献活動費として費やせるように頑張ります!