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わたしと五月病

五月病(ごがつびょう)は、社会人や大学生や中高生や小学生などに見られる、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状の総称である。
日本においては、新年度の4月には入学や就職、異動、クラス替え、一人暮らしなど新しい環境への期待があり、やる気があるものの、その環境に適応できないでいると人によってはうつ病に似た症状がしばしば5月ゴールデンウィーク明け頃から起こることが多いためこの名称がある。

Wikipedia「五月病」より

わたしは典型的に五月病が出やすいタイプの人間です。昔から今までずっと。そもそも4月がすーーーーーっごく苦手です。なんなら3月初めくらいから憂鬱です。まず学生のころは新学年(特にクラス替えがある年)が不安で不安で仕方がない。前述の引用に「4月には新しい環境への期待がありやる気があるものの」と書かれていますがそんなものなかったです。もう不安100%。いや120%か200%かとにかく不安だけ。クラス替えがなくても担任が持ち上がりじゃない年もあったのでそれだけでも憂鬱。そして人見知り。本来慣れればめちゃめちゃ喋るし人と接することも苦ではない性格なのですがとにかく最初が苦手すぎる。人見知りすぎて学生のころは全学年でクラスメイトに「最初のころこの子本当にしゃべらないなと思ってた!」とか「絶対おとなしい子だと思ってた!」と言われました。心を開いた途端とんでもなく喋るのでギャップ王()だったと思います。心を開くまでの時間がまあまあ長いので五月病には最適(?)でしたね。GW明けても微妙な距離感…が故にGW明けの登校がとんでもなく憂鬱でした。
高校は3年間クラスが変わらない学科にいたのでその点は安心でした。というかあまりにも進級、クラス替えが苦手すぎて3年間クラスが変わらないこともその学科を選んだ理由のひとつでした。母にも「あんたクラス替えないの安心なんじゃない?」と言われた記憶があります。ちなみにうちの母はわたしと全く同じ性格なのでわたしの不安を秒で見破ってくる人です。ありがたい存在です。

社会人1年目のGW、カレンダー通りの職種だったので4月末の連休と5月頭の連休の狭間に平日があったのですが思いっきりおなかを壊して休みました。体調に出やすいタイプ。絶対こいつ辞めると思われてるだろうな…としくしく泣きながらベッドにいました。案の定休み明けに出勤したら元気なパートさんに「○○さん絶対辞めちゃうと思った~!来れてよかった~!」と言わ
れました(苦笑)多分嫌味ではなかったと思います、めちゃめちゃ素直に全部言葉にする人だったので(笑)
社会人2年目と3年目のGW明け、異動して1年目とは違う場所で働いてたのですが出勤こそしたものの具合悪くてぶっ倒れそうになりながら働いてましたね(遠い目)めちゃくちゃ忙しいところだったのでドタバタやってるうちに終わったような記憶はうっすらあります。

そして社会人4年目、この職場では3年目のGW。2019年の元号改定による超大型10連休でした。わたしはそのうちの7泊8日を神戸~東京で友達と遊んで過ごし最後は家でゴロゴロして例年の不安もさほどなく、出勤したら忙しいだろうな~くらいの気持ちでいました。もちろんめちゃくちゃ忙しかったです。そしてその日のGWの週金曜の最後にやらかしました。普段から金曜日は忙しかったのですが大型連休明け最初の金曜日ということもあり本当に目の回るくらい忙しかったのです。その日の最後に大ミスをやらかしました。でもその仕事をわたしに頼んでいた先輩はすごく優しくて、忙しい中頼んじゃってごめんね、わたしももっと早い時間にもう一回確認しておけばよかったね、大丈夫だよと何度も言ってくれてお客さんへのフォローもすべて対応してくれました。上司も怒鳴りつけることなどはなく次からは抱えてる仕事早めに報告しようね、とか言ってくれたら他の人もできたから無理だと思ったら言ってねとか最大限のフォローと次の対策を一緒に考えてくれていました。今思えば本当に人には恵まれていたと思います。そして週末を過ごして月曜日。家から徒歩15分ほどの職場だったのでいつも通り家を出て歩いていました。ふと、金曜日やらかしちゃったな、出勤したらもう一度先輩には先週のこと謝ったほうがいいな、今日はミスなく終わりたいな…と考え始めました。それを少し考えていたらだんだん呼吸が苦しくなってきて涙が止まらなくなり歩けなくなりました。そこから一歩も動けずうずくまり震えながら母に電話しました。過呼吸状態でほとんど話せなかったのですが明らかにおかしいわたしからの電話を受けてわたしの通勤路を車で辿ってきました。そのまま帰り、結局その後まともに出勤することは一度もなくその職場を退職しました。

翌日、翌々日は出勤しようと思ったのですが起きて朝ご飯を食べようとする前にまた過呼吸が始まり泣き始めどうすることもできなく、まずその週を1週間休むことにしました。ただそのまま長く休むこともできないので上司に一度病院に行ってと言われ市内の心療内科を受診しました。母も軽いうつ症状が出ることがある人なので抵抗はありませんでした。診断としては不安障害で軽めの抗不安薬を処方されました。
その後も翌週に出勤しようと準備をしたりもしましたがいざ起きると不安に襲われ過呼吸が始まり出勤することはできませんでした。その間もこのままずっと行けなかったらどうしようという不安で眠れなくなったり夜になると泣き出したり動悸が激しくなったりという症状が増えていき寝つき薬をもらったり抗不安薬を少し強いものに変えてもらったりしました。
その後にもういちど出勤を試みた日があったのですが、職場の計らいもあり接客はせず別室で事務作業をすることができました。久しぶりに職場の人と話したり、出勤できた・仕事ができたと思い嬉しかったです。そして閉店後に締め作業をするために下りてきてね~と言われて閉店後ならお客さんもいないからゆっくり仕事できるし大丈夫だ!なんだできるじゃん!と思っていたのですがいざその時間が近づくとまた過呼吸になりました。事務作業はひとり別室でやっていたのでこのままだと倒れる!と思い必死で下に下りて助けを求めました。さっきまで元気そうに作業できていたのに突然過呼吸&号泣で下りてきたらびっくりしますよね。すぐ帰って大丈夫と言われ(当時の上司の名誉のために、決して冷たい言い方ではなかったです。この日は元々少しでも体調が悪くなったら途中で帰って大丈夫と話していました)家に連絡をし、帰りました。いうまでもなくその数日後にこのままじゃ埒が明かない、ということで退職の意向を伝えました。あまりにも精神状態が不安定だったので父と会社へ行きましたが自分の口から伝えました。上司にも本人の口から聞けて良かったと言っていただきました。休職や異動の提案もしてくださっていた中で当時は本来の仕事に戻れる自信を完全に失っていたので退職という選択肢を選びました。それが正解だったかどうかは多分ずっとわからないです。

今の職場は忙しさとは程遠く、自分のペースで仕事ができること、また毎年新卒社員が入ってくるような職場でもなく4月だからといって大きく環境が変わるようなことがなくここ数年は落ち着いた新年度を迎えています。とは言っても何も変わらないのに相変わらず新年度を迎えるのはとっても不安で、3月~4月はなんとなく憂鬱です。3月中旬くらいから4月になるの嫌だな~と漏らしてます。なんにも変わっていないのに動悸が激しくなる日もあります。少し慌ただしい予定があると思ったら前日眠りづらくなる日もあります。抗不安薬などはとっくに飲まなくなりましたが突然不安が襲ってくる日は年に複数回あります。もうこういう性格なんだな、付き合っていくしかないんだなと思っていますがまたあのときみたいに急に大きすぎる不安がやってきてなにもできなくなったら、仕事に行けなくなって好きなことにも手がつかなくなってしまったらどうしようと思うことも多々あります。

きっと今悩んでいる人もたくさんいると思います。こういう人もいるよ、あなただけじゃないよ、という意味も込めて5月の今、わたしの話を書いてみました。

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