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18世紀イギリスで発生した廃墟ブームとは?その一

最近自宅で引き籠っているので廃墟の美術史の本を読んでおります。読み進めていると、なんだよこれおもしろいじゃん・・・ワクワクですわ・・・!て感じなので、読んだ内容を忘れないためにもここで記事にしてみます。


一般的な認識として、廃墟には「暗い、汚い、危険、物騒、犯罪、心霊・・・」などという負のイメージがありますよね。ですが、我々のようにやたらめったらカネと時間をつぎ込み廃墟に通い詰めるような人間がいるのもまた事実です。廃墟行くまではないにしろ、写真見るのは好きって人も結構多いですね。

廃墟のなにがそんなにいいの?って聞かれたとき、「廃墟が作り出す独特な美の景観が素敵」てのが廃墟を好む大きな要因のひとつだと思います。

では、その廃墟を美の鑑賞とするムーブメントのはじまりは一体いつ頃で、どういう理由で発生しどのような変容を遂げてきたのか?

今回はこいつを主題とし細かいところはすっ飛ばしてパパパと書いてゆきます。

ではいきます。

廃墟が芸術的題材としてぐいぐい表に出始めてきたのは18世紀のヨーロッパにおいてです。そんな前にさかのぼるんかってかんじです。ビビる。

ちなみにこの時代の人たちが言う廃墟ってのは古代ローマ遺跡とかになります。現代によくあるクソしょぼつまんねーホテル廃墟とかそんなんじゃあ勿論ない。建材は当然石のみで立派も立派。風格すごい。今は世界遺産だもんそりゃそーだよね。
でもヨーロッパでも芸術による「廃墟ブーム」がくるまではそれら遺跡たちも特に価値あるもんとは思われず、むしろ新しい建物つくるために廃墟ぶっ壊して石取り出して建材にしたりするくらいどーでもいいもんと思われてたし、みんなそりゃまー無関心だったんですって。

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話がそれました。

当時、イギリスの貴族や芸術を志す人たちはグランド・ツアーといって大陸に渡り芸術のお勉強をして回っていました。なんかすごめな修学旅行みたいなかんじ。数年間とか旅してたみたいです。
(グランドツアー自体は芸術に限らず政治文化作法等いろいろ学ぶための旅行ですが今回は芸術方面にのみ言及します)

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そんで旅行先で目にした風景画やローマ遺跡の景観にいたく感銘を受けます。イギリスにそれらの絵をたんまり持ち帰った彼らは、今度は自分たちでそんな感じの素敵な絵を再現したくなります。それで国内イギリスにて自然美探勝旅行を始めます。(旅行ばっかしてんなこいつら羨ましい)

理想的な自然美を求める旅の結果、イイ感じの風景画が多数生み出されます。

すると、もっともっといい風景がみてえんだ!んで描きてえんだ!となります。欲しがり屋さんです。

このへんで生まれた概念が「ピクチャレスク」と呼ばれるものです。ピクチャレスクとは何かというと、「絵にふさわしい」みたいな意味です。
画家たちはより「絵にふさわしい」風景やモチーフ、つまり「ピクチャレスク」な素材を求めるようになったのです。(インスタ映えを追う現代っ子ポイじゃん)

続いて、そのふわふわしているピクチャレスクという概念が実際どういうものなのかをガッチリ言語化しようやということで、数々の議論がバチバチ戦わせられることとなります。
ここで「美」と「ピクチャレスク」って全く性質が異なるものだよ、と論じられました。

「美」とは、その自然のままで人に快を与える性質。
「ピクチャレスク」とは、絵画として描かれたとき人に快を与える性質。

そしてピクチャレスクという美学的性質はその対象が持ちうる物理的な特性によって決まるとされました。その特性・要素が下記のものです。

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「美」の性質はピクチャレスクの逆をいくもので「滑らかさ」「まるみ」「安定」ってかんじです。

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つまり、「滑らかつるつるは安らぎがあって見てると心地よいけど絵にするとちょっと平坦で退屈ですよね…。画面にある程度ゴツゴツガタガタ凸凹粗さがあったほうがスパイス効いてて刺激的っす!燃えるっす!」みたいな感じです。

そしてこの美学・感性にすっぽりフィットしてきたのが、廃墟なのでした。

廃墟こそ、ピクチャレスクに欠かせない一つのモチーフとしてぐんぐん存在感を高めてきたのです。

その二へつづきます。






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