思考実験としての「軍縮」

モヤっと思考実験する。

1920年代には軍縮ブームの時代と現代は相似しているという仮説について書く。

第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間のタイミングで、世界が軍縮に向かう事で、大戦の悲劇は繰り返されないというムードができたのだと思う。

気になるのが、その間、1922年にソ連が誕生している事。

そして、米国に共産党ができ、日本でもかなりスパイが紛れ込んだ。

やがて第二次世界大戦が始まった。

日本は石油資源の確保のために参戦。

終戦後は、朝鮮の共産化、中国の共産化、さらには東側諸国の誕生という何とも前途多難なスタートとなった。

結果だけを見るとほぼ「ソ連」(スターリン)の目指した世界が実現したと言える。

茨の道の戦後日本だったが、朝鮮特需で一気に復興を遂げた。

翻って今の日本。

鉄は国家なり、のはずだが、その象徴たる、呉製鉄所は閉鎖、和歌山の製油所も閉鎖。

「脱炭素」で、来るはずのないカーボンニュートラル社会を目指し始めた。

この「国力を犠牲に、経済規模を無理やり縮小させている」感じが、1920年代の軍縮時代とどことなく相似している。 

日本に資源は無いので輸入に頼らざるを得ないはずであり、石油やLNGを代替できるエネルギー源は現状無いし、今後も無かろう。

既存のインフラを廃止するのは中長期的に見て得策なのか。

今や、米国はLNGの輸出国になり、天然ガスのパイプラインを持つ、ロシアは戦争を始めてしまった。

なんかヤバいのだが、具体的に何がどうヤバいのかが掴めない鵺のような2023年の始まりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?