ボサノバの誕生について。
ボサノバの誕生は1960年代に遡る。
経済成長をしていくブラジルの若きミュージシャン達は、伝統なサンバでもなく、あるいは当時アメリカを席捲していたジャズとも違う、新しい音楽を模索していた。
元々、お祭り好きな国民である。
軍事政権と、中級階級のアパートの生活の閉塞感は耐えがたいものだったことは想像に難く無い。
のちに、ボサノバブームの火付け役になったミュージシャンの一人、ジョアンジルベルトは、部屋で弾くも、隣近所に、邪魔にならぬよう風呂場でコードを研究する日々を送ることになる。
これは想像だが、甘くささやくようなボサノバの歌声も、あるいは、その当時の狭い家に住まざるを得ないという住宅事情から来ているのかもしれないと思うと実に興味深い。
その音楽の潮流はやがて“Bossa Nova”(新しい傾向)と呼ばれ、広く、受け入れられ、開花していくことになる。
楽器の中でもギターは比較的手に入りやすかったことも中流階層の若者に広く受け入れられた理由であろう。
多くのボサノバミュージシャンは米国に渡り、バーデンパウエルのような一部のギタリストはヨーロッパに渡った。
故郷を懐かしむ彼らの郷愁は、やがて、“Saudade”(サウダージ、懐かしさ)と表現され、音楽の中にも見られるようになった。
これもまた想像だが、2000年代初頭の日本のミュージックシーンでも、ボサノバが注目されていた。
実際、「Tokyo Bossa Nova」と呼ばれるコンピレーションアルバムはその象徴的な作品の一つで、シリーズ化された。
当時は、毎週のように、新宿のタワレコに行っていたものだ。
私は日本人の音楽的感性と、ボサノバという音楽固有の感性は非常によく合うと、強く思う。
アコースティックギターの響きが日本人の感性と非常に相性が良い。
ボサノバギターは親指でベース音を弾いてリズムを取りながら、人中薬指で、はじくように弾く独特の奏法、あるいはコードもテンション音を含むコードが用いられる事で、ジャジーな、「お洒落な」洗練された曲となる。
このスタイルを取り入れているミュージシャンは多い。
日本でも長く続いた商業主義的なポップや、ロックに閉塞感を感じて、日夜、密かにボサノバギター研究に夢中になるミュージシャンがいたのでは無いかと夢想する。
では、今後、日本や世界でボサノバが再びブームになるのか。
音楽自体が、CDが廃れ、サブスリプションかわ主流になった今は、ボサノバは「お洒落なカフェミュージック」として消費される可能性がある。
よく言えば社会的に受容されたと言えなくもないが、そこに新しい時代の潮流を担う、かつてのボサノバの姿は無い。
残念なのは、昔からあるバーの様なライブハウスは、なくなりゆく流れにある。
高田馬場のCorcovadoは、かなり昔に閉店してしまった。
ライブの前のあの高揚感は、なかなか得難いものである。
取り留めのない話になった。
音楽とは「個人的な体験」であり、日々の営為である。
私は常にそれを絶やすことなく薪をくべ続けるしか無い。
本稿は以上。
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