1973年のピンボール(村上春樹)
好きなのだが、何が好きなのかと問われると答えられない作品がある。
その内の一つが、村上春樹の1973年のピンボールだ。
今、手元にあるのは、風の歌を聴けとの英語の合冊版である。
1973年のピンボールは、あえて大袈裟な表現を散りばめた作品のように見える。
1973年が、どんな時代だったかは推察するしか無いのだが、もはや政治の季節は終わり、平和な、ある種の虚脱の中で、人々が思い思いの生活を模索していた時代なのではないか、と想像する。
まるで、光の差す、温かいプールの底にいるような。
淡々と口数少なく過ごす日々。それを「温水プールの底にいるよう」と例える。その言語感覚が面白い。
Month after month, year after year, I sat alone at the bottom of a deep swimming pool. Warm water, gentle light, after silence. Then more silence…
多分、1960年代後半の騒がしく、熱狂的な空気は既に消え去り、それでも続く、掴みどころの無い日常に自分を適応させながら、どうにか生きていかなくてはならなかった時代。
それが「1973年」に込められたメッセージの一つなのだと思う。
物語が断章のように進むので、独特の味わいがあるのと、村上春樹作品を語る際によく言及される「比喩表現」の萌芽も見られる。
そういう所を、楽しむ(愉しむ)のが、本作を読むコツである。
(だから、「あんなに好きだって言うから読んだのに、理解出来なかった…」と私に文句を言われても困る。)
重ねて言うが、「1973年のピンボール」は、私の好きな村上作品の中ではトップだ。
主人公が、心奪われるのが、ピンボールであり、スペースシップだ。
スペースシップ、あるいはピンボールで熱狂する時代は、記憶もないほどに遠い昔に過ぎ去っていた。そして、彼が導かれる場所は…。
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