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お金はあとから来るもの。

ディズニーのヒロイン。
最近自分のことをそう思っている。

またあたおかな事を言い出した。
大体の人にはそう言われるのだろう。

でも、本当にそうなのだ。
やりたい事があってそれが本当に私にとって必要なら何だかんだでお金は集まってどうにかなってしまう。

私が興味があるのは未知の挑戦。わたしが面白そう!やりたい!とガチで思えるかが大事なのだ。

わたしの人生ゲームにお金は元々の画面に出ているコマンドに無い、といったらいいのだろうか。

あ!面白そうなものみっけ!はい、このミッションをするにはー!10万円かかりまーす!と言われてそれが本気でやりたかったら、何かしらイベントが起きて自分の手元に入ってきている。そんな感覚。

とかく手持ちはないがお金を回してる感覚。
これだけはある。

何故にこんなにも自分の手元にお金が残らないのか、昔から不思議だった。

複雑な家庭事情のせいにしたり、色々思ったりしたが、そもそも自分の中にある世界観の設定の中に、お金という概念が存在しなかったのだ。

そりゃあ必要としなければ入ってこない。
でも必要な分は何をしなくとも毎度奇跡が起きて入ってきた。
今までを振り返るといつもそう。

財布の中身がいくらだろうとわたしはそれに縛られなくなった。
人間が作ったものに自分の人生を支配されるのがとてつもなく嫌だったので外したかった。

先日友人からあるお誘いを頂いた。

大好きな友人で均整術という日本古来の体を整える施術ができる方でその施術アンドランチを破格で提供してくれるとのことだった。

その金額は6000円。

普通に働いている方からしたら別に大したことない金額かもしれない。

でもわたしは10月にヒッチハイク旅に出てから仕事っぽい仕事は3週間のみした箱根のリゾートバイトと、自身の英会話レッスンのみ。ゲストハウスの仕事は無給。その間も支払いは普通に発生していく。そして先日在籍していた生徒も辞め、さぁここから改めて構築してやっていけたらと思っていたぐらいだったのだ。

ただ話を頂いた時はその金額すら財布になかった。

でも絶対に何とかなる予感がした。
これはわたしが海外飛ぶ前に行く必要があると感じた。だから行きます❤と友人には返事をしていた。

そして数日後。ある明細と自治体からの郵便が母から届いた。

数日働いた1月分の給与明細と、青森市からのコロナ関係の給付金の書類だった。

結果入ってきたお金でわたしは友人に施術を受けられた。

我ながらギリギリの綱渡りのようなことをするよな、と思いながら、毎度お金を使って入ってくる度に、自分の視点が「ない」から「ある」に変わっていることに気づいた。

自分の体験を通してわたしは必要とすれば入ってくる、を実感している。

この必要最低額を自分がしたいことの規模に合わせて広げていくだけだ。


自分がやったことが評価されて結果お金が入ってくる。
それが今までの常識、マジョリティだと思う。
でもこれだと具合が悪くなったり何かしら不都合が発生した際に、入ってこない。
だから、自分がhappyに存在しているだけで入ってくる、に自分の中の設定を徐々に変えていった。

言わば、自分を自分で洗脳したのだ。

人間の意識は3週間から3ヶ月もすれば変わる、良くも悪くも。
自分がインプットするものの過半数を占める意見に寄っていく。

てことは、意識的にその状況を作り出せばいい。
あとから気づいたが、わたしはこれを10代の頃1ヶ月で英語がある程度話せるようになったタイミングで無意識にしていた。

何となく、分かっていたのだと思う。

あと数日で仲間と過ごした場所ともお別れだ。

海外が目の前に来ていることを日々感じる。

わたしは必要最低限のものだけ持って
またそこで生み出して回して
生きていく気がする。

最大限に最低限を引き上げる。

これが今年のテーマかにゃ?と思ったりするなう。


aki



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