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スポーツってなに?

disport → [di]sport → sport[s]
スポーツという語はもともとフランスの古語で「気晴らし」を意味する「disport:ディスポート」(港から離れる)から来ている。

スポーツ自体は実態の無い概念であり、基本的にはイングランドが起源である。
ではなぜ、フランスやドイツやイタリアではなかったのだろうか?

それは英国における階級とライフスタイル、「産業革命」によって及ぼされた影響が大きい。18世紀ごろまでは英国の階級は「王室・貴族」とそれ以外という区分であったが、産業革命がおこると三つの階級の上流階級、中産階級、労働者階級という区分に分かれてくる。

英国には上流階級の生活を表現する言葉として、ノブリスオブリージェ(Noblesse ovlige:高貴な身分に生まれついて伴う義務)という言葉があり、階級の持つライフスタイルやこだわりがあった。

英国における階級とライフスタイル
英国の上流階級とは「領主であった中世貴族」「16世紀に貴族となった新しい貴族」(血縁、世襲貴族)であり、その準ずる貴族として「ジェントリ」と呼ばれる大土地所有者や貿易や産業経営で財を成した資本家たち(貴族ではないが上流階級に属する)が該当する。上流階級は土地の収入を基盤に働かずしても裕福な生活ができた人たちである。

彼らはノブリスオブリージェの精神性を重んじ、広大な土地を所有する地主として単に贅沢を楽しみ収奪する存在だけではなく、経済的後援者としてのパトロンの顔を持ち、地域社会に奉仕する名士として振るまい、かつそれを周囲に示し続けた。それは、戦争があれば自ら率先して戦場に赴き、治安判事などの官職を無給で引き受けて地域の治安維持や収税に努め、慈善事業(ボランティア)に積極的に取り組んで地域社会に貢献することであった。

英国においてジェントリが「ジェントルマン」としての社会的尊厳を保ち続けていたことは良く知られている。商業的に成功した新興の富裕者(成り上がり者)とは異なり、ジェントリは自己の利益だけを顧みない名士的な存在であるとの印象を周囲に与えた。

ジェントリは、大地主で土地経営、植民活動、商業、鉱山業、造船業などを行った。身分は平民だが少数の貴族と共に支配階層となり、庶民院議員や要職を独占し、治安判事として地方政治をおさえた。

英国の上流階級は、時間的なゆとりと社会的な義務感から生まれる独自のライフスタイルを形成し、スポーツや遊びを創造してきた。時間的・金銭的なゆとりと自由があるが故に暇を持て余しており、やがて不自由(制約)を楽しむという発想へと繋がっていった。

狩猟や自然を相手にしたレジャー活動が好まれていた。コントロールできない予測不能性を秘め、人間の力ではどうにもならないものをどうにかしてやり遂げる。決着がわからないプロセスや不自由を楽しみ、その時間をできるだけ長く保つために、自ら制約(ルール)を設け非効率で達成困難な状況を創造した。

狩猟のほか、上流階級が好むスポーツはゴルフ、クリケット、ヨット、登山、競馬、乗馬、馬を使ったゲームのポロである。動物とのコミュニケーションや、自然への挑戦がゲームの面白さであり、このことは人間の能力を人間以外の対象や場に対して開いていく危険性をも含んだ活動である。

それぞれには広大な土地や高価な用具と、1日を費やし興じられるほどのゆとりある時間が必要であり、これらは余裕のある上流階級が好むスポーツであることが十分理解できる。

また、彼らの生活は他の階級と区別できる独特な形式を持ち、同じ階層の人々とのコミュニティを重視する社交という概念が豊かであった。特にレジャー活動と社交場を同空間にコーディネイトしたスタイルを持っており、彼らはレジャークラスとも表現される。

社交の場とブルジョアジー
中産階級は産業革命によって台頭した資本家や銀行家と、聖職者、医師、弁護士の専門職の人達であり、中産階級の中でも都市の裕福な商人を指して「ブルジョワジー」というようになった。その中には巨万の富を蓄え、上流階級に仲間入りするものや準ずる待遇を受けるものも現れ、新たな支配階級を形成しつつあった。上流階級と決定的に違うのは仕事をするという点であり、上流階級と労働者階級の間に位置付けられる。

ブルジョアジーは商業的に成功した労働者階級の新興の富裕者(成り上がり者)である。貴族やジェントリで構成されている上流階級にはなりたくてもなれないのである。しかし、社交の場を利用し自分の娘を上流階級の家に嫁がせ、自らの一族が上流階級の一派に入り込むというかなり政略的な見合いの場としてスポーツを利用した。

スポーツを単純な遊びや気晴らしとしてだけではなく、社交の場として積極的に利用していた。そこでは自らの富を誇り、商売上のネットワークを形成し、更には上流階級の層を招きコネを作る事等が目論まれていたようである。

ブルジョワジーと呼ばれた人々は、後に市民革命の主体となり、それまでの貴族などの上流階級が主体であった体制を革命によって転覆させた。産業革命以降は、政治的な参加権を得る者や産業資本家になる者が現れた。これによってブルジョワジーは19世紀中頃から資産階級を指し、貴族に代わる新たな支配階級を指す言葉として転化した

英国の産業革命と労働者
当時の労働者の生活は悲惨であり、低賃金で劣悪な環境での労働と生活を強いられた。ジンなどの強い酒で労働の憂さを晴らし、「ブラッド・スポーツ」と呼ばれる拳闘などで血を見ることによって労働のストレスを解消していた。

都市の工場労働者が中心となって行われた「ストリート・フットボール」では、流血と破壊は茶飯事であり、ゲームへの熱中と興奮によって暴動の様相を呈するようになっていった。そのため頻繁に禁止の対象となったが、禁止令は却って大暴動を引き起こしてしまうのである。そこで「合理的な娯楽」「健全な娯楽」を労働者階級に用意することが、社会的な要請事項でもあったのである。

産業革命によって工業化が進み羊毛で毛織物工業が起き、大地主であるジェントリによって羊毛生産のため耕地を牧場に変換される「囲い込み」が起きた。ジェントリは毛織物工業経営のため多くの農民の耕作地を奪った。その為、土地を耕していた農民が耕作地を失い浮浪化し、生活の為に都市部へ行き工場労働者へとなっていった。

産業革命によって誕生した多くの「労働者」の存在によって、社会的に「労働と余暇の分離」が進み、「時間」は管理の対象となっていった。労働者とは「労働」を時間単位で提供し、対価(給与)を得る存在である。

労働者階級にとっての余暇とは「生産に従事しない時間」であり、非日常を意味している。余暇が日常として確保されている上流階級とは捉え方が異なっていた。しかし、労働者階級は産業革命の恩恵により週末がもたらされ、余暇が日常化した。スポーツは非日常の特別な日に行われる「祝祭」であったのだが、労働者が週末に「気晴らし」でスポーツを行うことによって一般化し日常化したのである。

この頃から、アマチュアリズム、フェアプレイ、スポーツマンシップ等の精神や概念が形成されていった。これらの概念は境界や垣根を作る線引きの概念である。同一スポーツで対峙したときに、身体を資本として労働を行う工業労働者や炭鉱夫などにフィジカルでは適わないのである。その為、スポーツで収入を得る労働者を批判の対象として「プロフェッショナル」と呼び、「アマチュアリズム=ジェントルマン」と主張した。

disport
スポーツという語は「気晴らし」を意味する「disport:ディスポート」(港から離れる)から来ている。

労働者は「労働=苦」から離れること、労働から解放される「気晴らし」を求めた。
時間を持て余した英国の上流階級は退屈しのぎの遊びや「気晴らし」を求めた。

スポーツは上流階級で行われていた狩猟や自然を相手にするレジャー活動を身体活動を指していたが、やがて気晴らしのための運動全体を指す意味となったと言われている。

スポーツは遊びであり、文化は遊びの中で生まれる。
私たちが語るスポーツは「近代スポーツ」を前提にしている。

国民国家の誕生によって近代の概念が生まれ「近代スポーツ」は誕生した。スポーツは決して人類が古くから固有に保持していた文化ではなく、近代の人工物であり、欧州で誕生した概念である。昔は暴力に対する許容が高く、現代では興奮をスポーツが許容している。ルールの中で興奮を与え、興奮の中に秩序があるのがスポーツである。

スポーツの定義は数多くあるのは解釈の問題であり「こういう解釈でなければスポーツではない」という主張も当然ある。それには関係なくスポーツはこれからも行われていく。それは、スポーツを行う人達にとっては最も正しいものではなく、最も「有益な」解釈が採択されていくだけだからである。

『スポーツは人間にしかできない生の喜び』と表現する。

ちなみに、スポーツが日本に輸入されるのは明治時代初期であり、その頃は殖産興業、富国強兵をスローガンに掲げ近代国家建設に邁進しており、日本国民の養成が急務であった。その為、輸入されたスポーツは「身体を鍛える」が主眼となり、「遊び、楽しみ、気晴らし」の要素は切り捨てられていった。

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