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新型コロナワクチンについての忘備録 2021-03-07

コロナワクチンは短期的に「効く」のかもしれないが長期的な身体への影響や人類全体への影響についてはまだ未知。今、何らかの副反応が個々人のレベルで出ているかどうかという話ではなく、何かとても不可逆的で不都合なことが今後判明したり起こったりする可能性が当然ながら完全には否定できない。しかしそうしたネガティブな現象が起こった場合、ワクチン使用を呼びかけた医師やその支持者たちは、その事態に対して責任が取れるであろうか? これは今回のmRNA型ワクチンというものが完全に我々にとって未知であり、長期的な影響については、(開発者も含めて)まだ誰にも評価できない。これは無視できない側面である。事実、今のところ、政府機関が民衆にワクチン接種を強制し得ていないことも(それは目下のところ幸いなのだが)、その責任について、やはり「取れない」と判断していることの証の一つであるように思えるのだ。

さてこの度、(極めて遺憾なことに)ついに、政府でも医師でも免疫学や感染症の専門家でもない人物によるワクチン接種を強制すべきである、ととれるような発言が身近なところで放たれるということが起きた。ソーシャル・メディア上の話ではあるが。もしこのような意見や理解が圧倒的多数の世論を形成したなら、間違いなく強制は法律化されて、その網から誰も逃れられない状況を作り出すことになるであろう。このワクチン接種(人工的な薬物や技術による人類の生命のコントロール)を絶対的な善であると考える正義の論調に、自分は恐怖を覚える。

この論者はワクチン接種の必要性を医師の言葉であることをもとに権威化しようとしているのだが、医師という職業は、患者の疾病しか、いや、よく言っても目の前の患者自身しか見ていない(患者を診るとはそういうことだし、それが彼らの職責だ)。例えば、人類が生まれながらに持ち合わせている免疫の潜在力を考慮したり、また人類全体がそれを最大限に発揮できるような環境や条件を考える・・・などという巨視的なものの考え方というのは、疾病自体を扱う医師の専門外の話である。もちろん、そのような巨視的視野でものが考えられる医師という人々(例えば、萬田緑平氏など)も、ごく一部では存在していているようだが極めて稀有であってむしろ異端的な扱いである。だが、もし医師が目の前の疾病や患者のことしか考えられないとしても、それは職業的な立場上当然でもあり、そのこと自体の善悪をここでは評価しない。

少なくとも、多くの医師はワクチンの長期的な影響(それは新型コロナ感染症に対して有効であった場合、を含むが)や、人類全体への影響という観点で、不可逆的な個々のレベルでは身体的、集合的なレベルでは文明構造的な改変についての責任を負える立場にない。医師が責任を負えないとき、医師の言葉を紹介したり、医師の権威を借りてワクチン接種を広く勧める人物が、ワクチン後にやってくる世界についての責任を負えるはずがない

(ここで、一つ自分の考えを開陳しておくと、私は自分が1、2年に1度くらいはひどい風邪をひいて熱を出すことは自分の身体調整上必要なことであって、それによってよりよく生きてきたわけであり、「私たちは風邪のウイルスと共存して生きてきた」「風邪をひくことは自分の生まれながらの権利だ」と思っているが、現今の自粛している状況というのはその権利が侵されているのである。何を!とおっしゃるかもしれないが冗談ではなく真剣な話である。もし仮にワクチン接種によって2度と風邪がひけない身体にでもなったら、それは私に対するひどい権利侵害ではないか! だがそのような視点は「ワクチンがあれば大丈夫」「とにかく今はワクチンが待たれる」というテレビやラジオで聞かれるような論調を短絡的に信じ込まされている人々には理解を超えた話であろう。)

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百歩譲ろう。例えば、極めて強い感染力を持ち、感染した人の2人に1人は死亡するというような人類全体の生存に関わるような感染症が流行っているというなら、有効なワクチンの到来が待たれるというのは理解できなくもないが、現状のような程度の感染力と死亡率の(まあやや特殊な部分のありそうとは言え)「新型の風邪」をワクチンで制圧することが、人類にとって本当にいいことなのだろうか。自分の立場は否である。この私に誰かがワクチン接種を強要して、アーティフィシャルな生存の道をこれ以上採らせることが果たして正義なのだろうか?

少なくとも現今の状況を見渡した時の私の感覚で申せば、ワクチンの「有効性」について、十分に批判的な解釈が可能であると思っている。例えば仮に今それがポジティブに「効いた」としても、おそらくその有効性は長い目でみれば失われるだろうし、また新しいワクチンを開発しなければならないというイタチごっこにしかならないと予見可能だ。等しく人々が全員絶対に接種することに足並みを揃えることが喫緊であるという考えや主張には無理がある。そう私は考える。

ワクチンのゴールは基本的に集団免疫の獲得だから、ワクチン主義者は基本的に強制が前提だ。このことはワクチンの影響を心配する皆は驚かずに早目に理解しておいた方がいい。みんなでやらなきゃ意味がない、それがワクチンである。つまりワクチンを信じる人々の性向は、正義の主張である点でファシズムと極めて親和性が高い思想なのである。私は少なくとも、このような不確かな賭けに人類全体が参加することには反対である。常に「地獄への道は『善意』で敷き詰められている」のである。

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