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安倍暗殺の意味を想像する

安倍元首相の暗殺事件が米諜報機関によって起こされたという推測的前提で書く。この事件が「元統一教会(協会)の信者を母親に持ち、家庭生活を破壊した「協会」への恨みを持つ人物」かつ「元自衛官で銃器にも精通していた人物」と、当局の印象操作をそのまま鵜呑みする人々にとって、とても分かりやすいシナリオが用意された上での事件だったことを考えると、これは統一教会の日本からの撤退が前提となっていると考えることができるのではないか、と仮定してみた。

「協会」を米諜報機関による対象国支配の手段として機能させていることなどを鑑みて、自分は日本における当協会の存在がアフガニスタンにおけるタリバンの存在に近い意味を持っていると解釈してきた。アフガニスタンにおけるタリバンや、イラクにおけるフセイン政権のように、対象国の支配に都合が良ければ、このような極端な組織や政権を米国は利用するし、不要となれば呆気なくお払い箱にするという冷酷なまでの方針転換も米諜報機関(米国政府)の繰り返してきた方策だと考えれば、今回の統一教会を悪者にするシナリオは、日本における統一教会が、最早不要になったと「宗主国」が判断したことを意味しているのではないかと想像する。

統一教会の存在は、岸信介、朝鮮半島の文財閥(文鮮明)、そしてCIAの合作であったことから見ても、実質的に自由民主党の党運営に極めて深く関与してきたことは史実であると言えよう。したがって、統一教会の存在が「取り外される」ことは、自由民主党そのものの基盤の弱体化を米諜報機関が是として許容する判断が背景に存在すると考えられないだろうか? 米諜報機関による、間接支配のための日本における「実行部隊」(のひとつ)が統一教会であったとすれば、それの国内における弱体化を認めることは、意図的に米国の日本支配の鎖を緩めることであり、それは取りも直さず、少しずつ「国際社会」において日本を「ひとりで漂流させる」戦略へと舵を切り始めたと言えるのではないだろうか? 今回の安倍暗殺はそれほど大きな方針転換の狼煙(のろし)だったとは考えられないだろうか?

少なくとも、常に世界的な平和外交の「ソサイエティー」ないし「平和クラブ」としての顔を保持し続けてきた統一教会のメンバーシップ制は、その「ソサイエティー」の中でどの国も孤立させない保証書として機能してきた。かくも多くの国々の支配者層がこの「平和クラブ」に顔を出していること自体が、当事者たちの「平和への意思表示」として働いていることを示しているのかもしれない。だがその「平和クラブ」のメンバーシップを手放す(無関係だと宣言する)ことは、言わば「裏の国連」からの脱退に等しい意味を持つ可能性がある。特に、日本が正式に統一教会の排除を宣言することは、日本と韓国との裏取引や「テーブルの下での握手」といった「隠然たる本音」の部分の廃止を意味し、「対立すべき隣人」であるという右派勢力に向けての本来建前であった立場だけが一人歩きすることを放置することなるのではないか。

これはもっと想像を働かせると、日本が米国の軛(くびき)から自由になると何が起きるのかを米諜報界が知っていることを意味する。日本を戦争の惨禍に落とし込むためには、近隣で直接の危機を演出して日本を戦争に駆り立てる必要はなく(いやそれも演出される可能性はあるが)、単に支配の鎖を緩めるだけでことが済むと知っているからではないだろうか?

民主主義の観点からは、日本の政治からこのカルト宗教の影響が消えることは、どう考えても「いいこと」でしかないのであるが、その誰もが信じられる「いいこと」が実現した暁に、とても悪い結末が待っている可能性があることまで、われわれは想像すべきかもしれない。特にリベラルな反自民的知識人がこぞって統一教会を叩くとき(私も叩いてきた)、その最終的なゴールが実は米諜報界が目指した、日本人にとってとても悪い結果を招く逆説となるのではないか、と妄想が働くのである。

生前の安倍晋三の周辺が、表面では分かりやすい反中国、反韓などを口走って愚かな右翼たちを喜ばせ、また米国の東アジアの分断政策(divide and ruleの原則)に乗っかっているかに振舞っていた一方、米国に対しては面従腹背の方針を採って、ロシアや中国に対して隠然たる多元化外交を進めていたとすれば、それが気に入らない米国によって消されたとしても不思議はない(もっともそれは暗殺の理由のひとつに過ぎないであろうが)。実質的に自民党内の唯一のリーダーであった安倍晋三が殺されたことは、自民党の屋台骨の喪失を意味し、党の弱体化の第一歩の意味を持つ可能性がある。しかも安倍を単独で殺したとされる容疑者が「反統一教会」の権化であるというシナリオは、自民党の支持母体であり、米国の日本支配の手先として機能していた組織の解体(撤退)を意味するわけだから、自民党の弱体化の点では安倍を襲った弾丸は一石二鳥の銃弾であったことになる。いずれにしても、日本国内では一層統一教会への逆風が吹き、この組織を完全に弱体化させるまで、善意の市民たちの運動は止むことはないであろうし、その支持を受けてこのカルト教団の無効化は遠くない将来に完成するかもしれない。だが、ポスト統一教会の日本がどこへ漂流していくのかを見極める目を持たなければならない。

「統一教会がガチで世界平和を目指している善意の社交クラブだ」と考える思考実験を次回はやってみる。

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