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    遊び/お母さん


 小さい頃、私のまわりには子どもたちが沢山いた。姉はもちろん、お向かいの団子屋や綿屋、洋裁店、隣の文具屋などのお店をはじめ、裏の家々の
子どもたちが沢山いて、群れをなして遊んでいた。
 鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり、ゴムとび、お手玉、ビー玉、
パッタ(メンコ)など、近くの空き地で日が暮れるまで、遊びほうけていた。
 しっかり者のガキ大将やお姉ちゃんがいて、ずーっと離れた川の土手に群れなす子どもたちを10人以上引き連れて歩いていった。土手の草叢をゴロゴロと転がり落ちたり、段ボールをお尻に敷いてすべり降りたり、好き放題遊んだら帰るのだ。
 春は土手のヨモギやツクシを摘んだ。ヨモギは団子屋さんに持って行くと、ご褒美に団子をくれた。
 母からもらった10円を握りしめて、肉屋さんに走りコロッケを買ったり、とすけもの屋(駄菓子屋)でお菓子を買ったりした。紙芝居のおじさんがくると飴を買って紙芝居をみた。おかねがないときはまわりからのぞいたりした。
 近所の大人たちは、みな子どもたちを知っていて、声をかけたり、悪さをすると叱ったり、困ったときは助けてくれた。
 私は、堀をとんで遊んでいるうちに飛びそこなって落ちたり、鬼ごっこしているうちに畑の肥えだめに落ちたりしたが、その都度大人が引き上げてくれたり、井戸端で洗ってもくれたりした。
 でも、道路を目をつぶって歩いているうちに、間違ってどぶに落ちた時は、自分で這い上がって、泥だらけで家に帰り、母に叱られた。どぶはとても臭かった。

 桜の山に登り、夏の花火を楽しみ、川の土手の上で沈む夕日を眺めたり、冬は桶屋さんで小さな竹スキーを作ってもらって、雪の積もった斜面で滑って遊んだ。

 自動車は走っておらず、馬車が荷物をはこんでいた。馬糞が道に転がっていた。つながれた馬のオシッコは物凄い大量だった。

 小さい頃、公園も素敵な遊具もなかったが、安心して遊びほうけていた自分がいた。
 とても幸せだったんだなあと70を越した今思う。

  ※竹スキー   
    足の幅に合わせて割った竹の先を曲げてつくる。

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