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「不器用なまま、踊りきれ。超訳立川談志」立川談慶 を読んで

不器用を拗らせたような男が芸人になった。

 立川談慶ーーー。
 その名を知ったのは、水道橋博士が編集長を務めるメルマ旬報であった。

 プロフィールを読めば、慶応大学を卒業後、ワコールへ入社とエリート街道を走っていたはずが、立川談志師匠の16番目の弟子になったという経歴と知る。「花は咲けども噺せども」誕生秘話~初小説に賭けた思い、という章の中では、本の帯を談春師匠にお願いをするくだりが紹介されていた。そこで記されていたのは・・・

「不器用を拗らせたような男が芸人になった。上手く生き抜ける訳がない。でも、だから、愛しい。」

 私は落語家さんに詳しいわけでもなかったが、このフレーズが心にずっと、引っ掛かり、勝手に自分と談慶師匠の立場を重ねていた。そこから記事やら落語も聞かせていただいた。そして、本書を手に取った。

 私も、もはや48歳である。世間的にはベテランのおっさんだ。自分では35歳ぐらいのつもりだが。。。これまで随分と自己啓発本や社長の成功本を読み漁ってきた。そうすると、大概、言葉こそ違えど、言っている中身はそれほど大きな差はないものだと気付くし、何が大事なのか?それは普遍的な要素があることも多分に知るものである。

 とはいえ、テーマは「立川談志師匠」である。私も取り立てて詳しい方ではない。生前、2,3度、独演会に行った程度であり、私ごときがどうこう論ずるものでもない。しかし、若い頃から談志師匠に対して、本質を見抜く人、なにか閻魔大王のようなすべてを見通している、そんな勝手なイメージを抱いていた。そう思うにも理由があるがここでは割愛する。私も不惑と言われる40をとおに越してはいるものの、未だに何者でもない自分もいる。ここはひとつどんなものかと本書を手に取った次第だ。

 で、いきなりプロローグから心を鷲掴みにされる。二ツ目の昇進に9年半も費やし、真打昇進の際、談志師匠からは「談慶という奴は不器用を絵に描いたような奴でした。(中略)そういう回り道が芸の幅になるのです。」とあり、また、「落語のためなら、俺は叩かれやすい人間になろう」と記述がある。なんという物凄い俯瞰、時空で見るというのか、深く洞察しているというのか、その奥底を覗きたい気分に一気にさせられた。そして一気に読み込み、全てを読み込んだ今、また、読み直したい気持ちでいるのだ。それを人はバイブルというのかもしれない。

 この手の自己啓発系の本は、もはや砂金をすくうかの如く、一粒、二粒、何か参考になるものがあれば良しと思っていたが、砂金がボロボロとこぼれてくるではないか。。。それほどのまでに「そんな見方があるのか!」を舌を巻き、心を落ち着かせる言葉が溢れていた。その一部を紹介しよう。いや、自分にとっての備忘録かもしれない。

「千代の富士は努力じゃねえんだよ。ああいうふうに千回勝たなきゃ、彼自身が不快だったんだよ。」と。これは、「自分は今、努力している」そんな自覚がすらない人間が目覚ましい結果を軽々と出していくという話の流れによるものだ。これには唸った。「不快」なのだ。世間のイメージ、自分のイメージとにズレに対して。これは今の私にはとても支えにもなる言葉だった。私が運営するYouTubeのPlanet of Foodでも全く同じ思いを抱いてるからに他ならない。ちなみにこれである。世界の主婦3人と柴犬による食にまつわるトークショーだ。

 自分の思い描く数字には全く到達していないが、コンテンツそのものはもはや完成している。今、まさに「不快」の状態にいる。一刻も早くこの虚と現実の溝を埋めるかの戦いをしている。この言葉の意味は大きい。あとは結果を出すのみである。

 二つ目は「虚実っていうだろ?なぜ、虚のほうが先に来るか考えたことあるか?それはな、世の中の大半が虚だからだ。」

 これもまた、痺れる一言だ。よくみんな平然としているが、水面下では必死に足を動かすアヒルのようだ、そんな言葉もある。ファッション、広告、株価、恋愛、肩書き、いろんなものが虚じゃないか?と世界を一変させる考え方だ。「虚」は「虚」で慈しむ。虚数、虚言、巨根、違った。。。現実じゃない、虚の部分。でも虚の部分は見えていないけど、存在するかもしれないし、本当に存在してないのかもしれない。その危うさを巧みに使えば、人生は楽な気もする。だって、売れてない自分もいや、これは虚だと思えばいいわけで次へのパワーという解釈だったあるはずだ。そう言えば、明日は衆院選だ。虚を語る政治家がほとんどだろうが、素敵な虚を描けない、言葉にすら力のない政治家はやはりだめだろう。

 三つ目は「日本人には貧乏が似合っている。」だ。この言葉が雑誌の対談において「貧乏じゃ、国は滅びない。バングラデシュを見ろ。むしろ繁栄が国を亡ぼす。ほら、古代ローマは滅びただろう。」うーむ。けだし名言だ。清貧の思想が一時、流行ったこともある。つつましい中の生活にこそ、豊かさがあるという、考え方はいろいろと触れてきたが、古代ローマ引き合いにだしながらの説明に唸る。一瞬、貧乏が似合っている?それは江戸末期の坂の上の雲のごとく、貧しく上を目指すのが真の日本人の姿である!という論調かと誤解したが、そうではない。談慶師匠の補助線によると。。。「並み外れた経済発展などは目指さず、精神的に充足し、互いに助け合う社会をつくればいい」と。

 日本人とは何か?を論ずるのは中々、楽しい思考だ。どこに軸を置くのか?定義は何かを考える必要がある。島国である、単一民族である、天皇陛下という存在があってからである、、、。近代日本とは何か?軸によって見方は変わるだろうのだなとふと気づく。この思考自体が実に楽しい。

 他にも「文明」と「文化」の違い話、上昇志向は趣味でしかない、他人軸でなく自分軸で他者を評価しろ、etc.目から鱗の連発である。勝ち組、負け組みたいなくだらない二元論はうんざりだ!そんな方にぜひ、読んでもらいたい。本当に幸せに生きるコツに出会えるのではないだろうか。

執筆者:島津秀泰(放送作家)
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