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ポジションを取りたければ、「お金の流れ」から再設計しろ byキンコン西野

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

今日は、
「ポジションを取りたければ、「お金の流れ」から再設計しろ」
というテーマでお話したいと思います。

浮世絵がポジションを確立できた理由

今日のお話は全ての職業に当てはまることですが、僕自身はものづくりをしている人間なので、ものづくりをする人間の観点からお話しさせていただきます。

クリエイターさんであれば、誰しもがオリジナリティを追求して、人と違う表現をしたくなると思うんです。ただ、何も考えずにキャンパスの上だけで、オリジナリティを追い求めているクリエイターさんが多いです。

結論から言うと、圧倒的なオリジナルというものは、お金の流れから設計しないと生み出すのが難しい。キャンパス上の表現だけではなくて、お金の流れから設計しないと、オリジナリティは出しにくいと言えます。

これを説明する具体例として、浮世絵があげられます。「浮世絵がなぜ世界のアートシーンでポジションを獲得できたか」というところに、この話のヒントがある。

浮世絵は、海外でもすごく評価されていて、少なくともヨーロッパでは、ゴッホなどに影響を与えたとも言われています。ゴッホ以外にも、当時の画家で浮世絵の影響を受けている人たちは数多くいました。

なぜなら、浮世絵のタッチは、日本以外ではあまり見られないような独特のものだったからです。顔がぐにゃあって曲がっていて、背景も歪んでいて、ペターとしていて、みたいな。

あの独特のタッチが、浮世絵というものが世界のアートシーンで、非常に高いポジションを取れた理由です。では、なぜあの独特の表現が、ヨーロッパでウケたのでしょうか。

僕は文化オタクで、こういうことを調べるのが好きなので、色々と調べてみたのですが、主に2つの理由があることがわかりました。

まず一つ目は、『環境』です。

例えば、美術的な視点でいうと、ヨーロッパの絵画は『一点透視図法』と言って、写真のような表現になっています。背景画として描かれる街並みも、まるで写真のような仕上がりになっているのですが、その表現が生まれたのには理由があります。

ヨーロッパ諸国は、基本的に大陸です。なので、見てきた景色や文化が違うさまざまな人種が、そこを行き交っているわけです。

そこでは、あるひとつ建物を絵で説明するにしても、事実をありのままを表現する必要がありました。なぜなら、「こんな感じです」と言ったところで、生まれ育ちが全然違う人たち同士ではイメージするものにズレが生じてしまうからです。例えば、「こんなとんがり頭の屋根で」と説明しても、その「とんがり頭の屋根」だけでも色々な種類があります。

このように、コミュニケーションをスムーズにする上で、絵の中でも事実をありのままを表現する必要がありました。これがいわゆる『写実的』というやつです。

一方で、日本の浮世絵は、先ほども述べたように独特のタッチで描かれていて、現実を忠実に再現したものではありません。

その理由は、日本が島国だからです。浮世絵が流行したのは江戸時代で、その当時は、島の中にはほぼ日本人しかいませんでした。なので、「富士山はきれいな三角形で青い」といったようなことは、みんなの共通認識になっていたわけです。

その前提が共有されているので、「自分はその富士山をこう切り取って見ている」という『俺なりの富士山合戦』が始まって、『赤富士』みたいな表現が生まれました。見たことがある方も多いかもしれませんが、もちろん、夕方の富士山は赤みがかかってるんだけども、実際には『赤富士』のような赤さはありません。

要するに、情報に画一性があったから、表現に多様性が生まれたということです。皆が同じ情報を共有していたからこそ、「そこで違いを生み出そうよ」という文化が生まれ、それが『浮世絵』という表現になりました。


そして、ここからが本題ですが、アート界でのヨーロッパの絵画と浮世絵は、そもそもビジネスモデルやお金の流れが違います。

ヨーロッパの絵画は、油絵で絵具を上に上に重ねていきます。なので、基本的にその作品は1枚しか存在しません。その1枚を大金持ちが40億円で買う。『パトロン』と言われるような人が買うということですね。

一方で、日本の浮世絵は木版画です。つまり、印刷できるように作られているので、色が重ならないんです。なので、たくさん刷ってたくさんの人に500円で売るというビジネスモデルになりました。

まとめると、一人のお金持ちから大金を回収するのがヨーロッパの絵画で、大勢の庶民から少額ずつ回収するのが浮世絵です。

浮世絵とヨーロッパ絵画の間にはこういう違いがあります。どこからお金を回収するかによって、結果的に表現方法、この場合だと絵の具の重ね方が変わってきます。

オリジナリティを目指しているクリエイターというのは、この「どこからお金を回収するか」というお金の流れに目を付けなければいけません。

オンラインサロンにより生まれた絵本の分業制

僕は、自分の絵本を制作するときに、常にこれを意識しています。例えば、僕の絵本は分業制なので、1冊作るのに2000万円くらいかかってしまいます。仮に1冊の値段が2000円で、印税が10%だとすると、著者印税で制作費を回収しようと思ったら、毎回10万部売れないといけないわけです。

絵本は、5000部から1万部でヒットといわれるような世界なので、コンスタントに10万部売り続けるというのはなかなか厳しいんですね。

つまり、制作費を印税で回収するのははなから無理だということです。なので、僕はオンラインサロンを開設して、オンラインサロンの売上で絵本を作ることにしました。言い換えれば、読者の方からいただいたお金で、絵本を作っているわけではないということです。これによって、あまり聞いたことがない絵本の分業制という表現方法が可能になりました。

ちなみに、サロンメンバーに売っているのは、世界で誰も見たことがない絵本の分業制の裏側です。サロンメンバーは、「どうやって作られていくか」と「お金の流れがどうなっているのか」という部分を見ることができます。

こうやって、お金の流れを再設計することによって、結果的に作品のオリジナリティが生まれているという話です。

厄介なのは、日本はとにかくお金のリテラシーが低いので、クリエイティブの現場にお金の話は持ち込むと、多くの人が「銭ゲバですか?」という反応を見せてしまう。

でもこれは逆にチャンスだと思っていて、そういう人が多いおかげで、お金の流れを再設計する人が弾圧されて数が少なくなっており、結果的に、外野の声を無視するだけで比較的簡単にポジションが取れます。国民が一丸となって、オリジナリティの参入障壁を上げてくれているという状態です。


まとめると、オリジナリティを生み出すには、絵描きさんの場合、まずキャンバスに向かってはダメで、そのビジネスモデルから疑ったほうがいいです。ビジネスモデルを変えない限り、どれだけ一生懸命頑張っても、他と似たような表現になってしまいます。

僕からのエールとしては、世の中を面白くしようと、お客さんを楽しませようとしているのに、ビジネスモデルを根底から見直そうとすると、びっくりするぐらい攻撃を受けることがあります。

でも最終的には、そこで自分を攻撃してきた人たちもまとめて楽しませないといけないので、反論はほどほどにして結果で示した方がいい。「お互い頑張ろうね」といったところです。

というわけで、
「ポジションを取りたければ、「お金の流れ」から再設計しろ」
というテーマでお話させていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。


※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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