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キンコン西野がコンビ結成時に仕掛けた戦略

このnoteは2020年3月19日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供:ビッグファイブさん

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

今日は、
「キンコン西野がコンビ結成時に仕掛けた戦略」
というテーマでお話したいと思います。

史上初デビュー前の漫才コンクール優勝


僕は、『キングコング』というコンビで活動しています。1人はユーチューバーで、もう1人は絵本作家という、ちょっと変なコンビです。

一般的なお笑いコンビの活動からは逸脱していますが、2人ともお笑いが好きで、2人でいる時間をそれなりに大切にしています。

現在のコンビの活動は、『毎週キングコング』というYouTubeチャンネルの収録と、デビュー当時から続けている『なんばグランド花月』での漫才出番月に20本ほどです。

お互いそれなりに忙しいのと、『毎週キングコング』で会った時の鮮度が欲しいので、僕はコンビの活動をこれ以上増やそうとは思っていないのですが、梶原君は「コンビでテレビやりたい」と言っていたので、その話には乗ろうかなと思っています。

ざっと紹介しましたが、このようなコンビです。
2人ともそこまでお笑いは得意ではありませんが、僕らには唯一、お笑いで自慢できる事があります。

それは、『NSC』という養成所在学中に、『NHK上方お笑いコンクール』の大賞を取ったことです。長い長いお笑いの歴史の中で、養成所生、いわば素人が漫才大賞を取ったのは、僕らだけなのです。

毎年、芸歴10年近い若手とは名ばかりの若手が受賞するたびに、「本当におめでとう。こんなすごい賞なかなか取れないよ。僕らはデビュー前に取ったけども」という祝福コメントを送っています。嫌な先輩です。

どこかでお話ししたと思いますが、実は僕は高校を卒業して、吉本の門を叩く時、両親と「1年で売れなかったらきっぱりとやめます」という約束をしました。

この1年というのは、養成所を卒業してから1年ではなく、高校を卒業してから1年、つまり養成所在学中です。

養成所在学中に売れなかったら辞めなければいけなかったのですが、先ほど申し上げました 『NHK上方お笑いコンクールが』は、もう2月でした。まもなくタイムリミットが迫っていました。

つまり、この大会が僕にとってはラストチャンスであったということです。

この時に、梶原君を説得して仕掛けたキングコングの戦略は、大きく2つです。これは、いろんな現場で転用できる普遍的な内容だと思うので、今日はこのお話をしたいと思います。

一つ目は「確率論」、二つ目は「肩書き」です。

キングコングが仕掛けた「確率論」


一つ目の確率論に関しては、同じような話を以前もさせていただきましたが、僕らが吉本の養成所の門を叩いた当時、みんなはダウンタウンさんみたいな漫才をされていました。ぼそっと面白いこと言ったり、ボケの発想で勝負するという手法です。

そこに、昨日まで高校生だった奴が挑むわけなので、まともにやると勝ち目はありません。

そこで、梶原君に「ボケの発想は後回しにして、とにかくボケ数で勝負しよう」と提案しました。これは、後に『 M1グランプリ』で議論されるようになりましたが、当時はボケの手数など見向きもされなかったのです。

手数を増やそうと思えば当然、ふってふってふってふって落とすというような、派手なアッパーカットは打てなくなります。なので、最初から最後まで、ジャブのみで漫才を構成しました。軽い一発をバンバンバンと打つというジャブのみの漫才です。

あとは漫才のテンポを上げるために、とにかく元気いっぱいでやりました。僕らがいつも漫才の最初にやる「イェイイェイ」は、そこからきています。「元気いっぱいの漫才」なんて、もう聞くだけで面白くなさそうじゃないですか。

なので、これに対して、当時は「キングコングの漫才は浅い」などと批判されましたが、それは全然問題ありませんでした。深さを求めてしまうと手数が減るし、なんと言っても、昨日まで高校生だったわけなので、深さで勝負して勝てるわけがなかったのです。

そんなこんなでコンクールに挑みました。予選を勝ち上がり、決勝ステージに残ったのですが、決勝に残った10組のうち、9組はローテンポでぼそっと面白いことをいうコンビ、そして1組は、ハイテンポで手数で勝負するコンビでした。

ここからめちゃくちゃ乱暴な数学になってくるのですが、この時点で、審査員の心理としては、ハイテンポのコンビかローテンポの9組かの二択になるので、僕らが優勝する確率は50%です。

その後の1年間で、僕たちは関西の漫才コンクールを片っ端から荒らしていきました。手の内がバレるまでは、戦略がうまく機能しました。コンクールに出場して僕らが優勝する確率も、実際50%ぐらいだったと言えるでしょう。

その後、「やっぱ漫才は手数も大事でしょ」という手数論が取り沙汰されるようになってからは、みんなも手数を使うようになったので、そこから僕らはあまり勝っていないと思われます。

ここでのポイントは、梶原・西野目線から漫才を作ったのではなく、思いきり割り切って、審査員目線から漫才を作ったということです。自分の気持ちにウソをついているので、長く使える戦略ではないですが、勝負どころでこの確率論は使えます。

「おむすび屋さんを出したいのならパン屋しか売ってない街で出せ」というシンプルな話です。

キングコングが仕掛けた「肩書き」戦略

2つ目は「肩書き」の話です。
これは、キングコングを一瞬で売れさせるために使いました。

僕らは1999年4月に NSC に入学し、夏に出会って9月にコンビを結成しました。他のコンビに比べて結成は少し遅いです。

それで、コンビを組んで一発目に作ったネタで、養成所の月間MVPをいただき、特例で吉本興業の劇場のオーディションに出させてもらいました。

チュートリアルさんやフットボールアワーさん、ブラックマヨネーズさんといった、血に飢えたプロの先輩芸人さんたちがうじゃうじゃいる所です。そこでまんまと勝ち抜いて優勝し、劇場のレギュラーを頂きました。つまり、コンビ結成して1カ月後にはお金をもらって漫才をしていたのです。

これは、いわゆる「プロ」です。ただ「プロ」っていう肩書きがこの時の僕らには邪魔でした。その当時、僕が狙っていたのは3カ月後に迫っていた漫才コンクールでの優勝です。そこで欲しい見出しは、「超新人が優勝」ではなく、「史上初、養成所在学生の優勝」です。

というわけで、仕事が忙しくなってもう通ってもいない NSC の下半期の学費を払うことにしました。梶原君は「通わないんやったら学費払わんでええやん」と言ったのですが、そういうことではなく、「肩書きを買うんだよ」という説得をし、「 NSC 生」という肩書きを買いました。

これと同じ話で、「大学って意味あるんですか」という質問をしばしば受けます。シビアなこと言うと、特に日本の大学は、昔ほど学べる場所ではなくなったと言えるでしょう。

オンラインサロンがその代わりになるとは思わないですが、とはいえ、企業家さんやトップクリエイターさんのオンラインサロンに入っている学生さんたちからすると、自分たちが通っている大学の遅れっぷりに呆れている人も少なくないと思います。

ただ、大学生という肩書は、買えるなら買ったほうがいいです。肩書きの魔力を安く見積もらない方がよくて、やはり「若手起業家」と「学生起業家」ではパンチ力が変わってきます。あと、学生の間にアクションを起こした人と、卒業してからアクションを起こした人とでは同じアクションでも、取り分が大きく変わってきます。

なので、肩書は買った方がいいし、肩書きがあるうちに行動した方がいいと思います。

うちの新入社員に「瀬戸ちゃん」という子がいますが、彼の経歴は「学生時代にエッフェル塔の個展の責任者をやりました」という最強のものになっているので、これは一生使えるフックです。

学生時代に、というのがすごく大切で、そういう経歴を取りに行くことをおすすめします。

というわけで、
「キンコン西野がコンビ結成時に仕掛けた戦略」
というテーマでお話させていただきました。

大きく2つで、1つは「確率論」、そして2つめは「肩書き」です。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。


※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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