空気を読む負け組と、大局観で決断する勝ち組 byキンコン西野
このnoteは2019年12月12日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供:野崎 弘明 さん
おはようございます。キングコングの西野亮廣です。
お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。
朝の準備をしながら、お弁当を作りながら、メイクをしながら、車の運転をしながら、スーツを着ながら、聴いていただきたいなと思うんですけど。
今日はですね、
空気を読む負け組と、大局観で決断する勝ち組
というテーマでお話したいと思います。
その船は目的地に辿り着くのか?
空気を読むって言葉がありますよね。
場の空気を読むっていうことですね。
「あいつ空気読めないよね〜」とか「俺は空気が読めるから」とか、どういうわけか空気を読むっていう能力が過大評価されているというか、過大評価しているというか。
多くの人が、空気を読む、読まないで、優秀かどうかを決めているきらいがあるな、と思っているんですけど。でも空気を読むって、言ってしまったらまわりにあわせるってことじゃないですか。
ドレスコードをまもるってことじゃないですか。
たとえばね、目の前にみんなが乗り込んでる大きな船と、誰も乗ろうとしていない小さな船があったときに、みんなが乗り込んでる大きな船をえらぶことが、空気を読むっていうことになってますよね。
要は、多数派側、人数が多いほうに着いていけばいいだけの話だから。
でも、そんなものは犬とか、カルガモの親子でもできるわけじゃないですか。別段、たいした能力ではないというか。
むしろ空気を読めるっていうことを誇ってる感じってヤバイなって思う。
それはそんなにすごいこと?って思っちゃうんすね。
あくまで空気を読むってことは、多数派側にまわるっていうことだからね。
生きていく上で実際に必要な能力って「大きい船か小さい船があって、大きい船を選ぶ」っていうことではなくて、「その船が目的地にたどり着くのか?」を見極める能力で。
見なきゃいけないのは、
どっちのほうに人が流れているか?
ってことではなくて、
その船の定員はオーバーしてないか?とか、
積荷のバランスは大丈夫か?とか、
航路に誤りはないか?とか、
救命ボートの数は足りてるか?とか、そういった部分ですね。
どれだけ大きな船でも、タイタニック号を選んでしまったら仕方がないわけで。
くれぐれも必要な能力は、
大きな船と小さな船、どっちの船が大きいですか?たくさん乗ってますか?
ってそれを選びましょうってことではないですね。
当然、ドレスコードがありますからね。空気を読むっていうのは。
「いいかんじのレストランで、それなりの洋服を着ましょうよ」ってことでもあるからさ。
空気を読むっていうのは能力としては必要なんだけど、時と場合によりというか、空気を読むことが必ず正解ではないってことを、まず僕たちはとらえておかなきゃいけない。
じゃあ、生きていく上で持ち合わせておかなくちゃいけない能力は何かって言うと。
空気を読むではなくて、大局観。
将棋とかやられる方は使われる言葉かと思うんですけど。
大局観っていうのはなにかっていうと、
ものごとの状況や成り行きに対する見方や判断ですね。
さっきの例で言うと、
船のサイズに対して定員がすこしオーバーしてるんじゃないか?とか、
荷物はあの積み方だと数時間後には崩れるな。とか、
この航路だと2日後には氷山にあたっちゃうな。とか。
あの救命ボートの数だと、船が沈めば6割の乗客は死ぬな。とか。
そういった感じで、一部分のヒントから全体的な状況を割り出す能力ですね。それが大局観。
大局観が全体的な状況の見方、とする一方で、
空気を読むっていうのは、瞬間的な見方、判断ですね。
その瞬間、その瞬間だけなんですよ。
なので、空気を読むっていうのと、大局観で決断するっていうのは、似て非なるもので。ほぼ対義語ですね。
切り口を変えると「あんたの決定権、責任はどこにあるのか?」って話になってくると思うんですけど。
大局観は自分に責任があって、
空気を読むっていうのは自分以外のみんなに責任がある。
なので、空気を読むほうがラクなんですよ。圧倒的にラクなの。
考えなくて済むし、思考量が少なくて済むし。
たとえ、ダメだったとしても、その失敗はみんなのせいにして逃げることができるから。
僕が選んだんじゃないです、と。
大きい船を選んだのは僕なんじゃないです、と。
大きい船を選んだのはみんななんです。
という風に逃げることができるから、責任を取らずに済むから。
それに、みんなが選んでるから攻撃の対象にもならない。
くれぐれも例えとしてだすだけで、好みだとか、文化の話になってくるので、これに関しては勝ち負けの議論ではないんですけど、大局観っていうのと、空気って言葉の輪郭をハッキリさせるために具体例をあげると。
「ひな壇にでろよ」っていうのが空気を読むですね。
一方、「エンタメはテレビの大きい画面ではなく、スマホの画面で今後みられるようになってくるから、大勢の前にでる瞬発力よりも、たったひとりで場を持たせる持久力を身に付けたいのでYouTubeをやります」っていうのが大局観で判断する、です。
ほんとにくれぐれも、説明の輪郭をハッキリさせるための例えであって、
ひな壇よりもYouTubeのがすぐれてる、っていう話じゃないですよ。
言葉の意味をわかりやすくするために、
ひな壇とYouTubeのたとえをださせていただきましたが、
どっちがすぐれてる、という話ではない。
もっといい例えがなかったかな、と思って若干後悔しているんですけど。
これはもう僕が瞬発力がないということなのかもしれないな。
整理しますね。
なので、空気を読むということに酔いしれちゃダメだって話です。
多数派側の正解って、シビアなこと言うと、一昔前の成功体験なんで。
時代がこれだけのスピードで移り変わってしまうので。
一昔前の常識は簡単に非常識になって、一昔前の正解は簡単に不正解になってしまうので。
くれぐれも持ち合わせておかなきゃいけないのは、
空気を読むっていう能力ではなくて、大局観で決断する
っていうことだと思います。
というわけで、
空気を読む負け組と、大局観で決断する勝ち組
というテーマでお話させていただきました。
それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。
※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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