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違う意見を聞けない人 byキンコン西野

このnoteは2020年10月17日のvoicyの音源、『西野亮廣ブログ』の内容をもとに作成したものです。
voicyの提供:毎日おいしいお弁当をありがとう 今日も家族のために頑張る さかもとせいじ さん

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。


今日は、
「違う意見を聞けない人」
というテーマでお話しします。

僕は数年前にテレビの「ひな壇」に出ることを辞めました。

理由は二つです。

一つ目の理由は、「得意ではないから」

「スポーツが苦手だから、その分、勉強を頑張ります」みたいな感じです。

 
二つ目の理由は、「これから鍛えるべき筋肉はそこじゃないと判断したから」

これは、その当時もお話ししたのですが、「そもそも『ひな壇』という文化は何故、生まれたのか?」というところから掘り下げて考えてみると、僕が知るかぎりでは1980年代には、その原型はあったんですね。

たけしサンがやられていた「元気が出るテレビ」なんかは、出演者が二段に分かれて並んでいました。

しかし、ひな段形式の番組はそこまで多くはなかった。ところが、2000年代に入ると「ひな壇」が急増します。

理由はいくつかあると思いますが、一番大きな理由として、薄型テレビの普及が考えられます。

テレビが薄型になり、テレビ画面が大きくなり、画面が大きくなったもんだから、登場人物が多くないと、画面のバランスが悪い。
もしくは、登場人物が多くても、一人一人の表情が確認できるようになった。
その時、「ひな壇」という形が重宝されたわけですね。

ところが、ある時、スマホというものが現れた。人は、スマホでテレビ番組を見るようになり、YouTubeを見るようになった。

スマホ画面は「横5センチ」とかいうレベルですから、「ひな壇」が面白い面白くないという議論ではなくて、単純に、「登場人物が多いエンタメは見にくいです。
表情が確認できない。

こうなってくると、求められるスキルは、「大勢の中で前に出て行く力(瞬発力)」ではなくて、「一人で画面を持たせることができる力(持久力)」である、と。

というわけで、「一人で画面を持たせることができる力(持久力)」を身につけようと思ったわけです。

……今聞くと、「そりゃそうだよね」という話かもしれませんが、当時は日本中からフルバッシングです。

同業者からも「ひな壇、出ろや!」と散々言われて、結果、好感度低い芸人1位になっちゃったのですが……これ、変な話だと思いませんか?

ただただ「なるほど。西野はそういう生き方をするのね。僕は僕で、ひな壇を頑張ります」というだけの話だと思うんです。

ところが、多くの人は、そうはならず、叩いてしまった。

僕は正直に言うと「嫌い!」となっちゃう理由も、よく分からないんです。

ただ、「違う意見」というだけなのに、どういうわけか「人格否定」にまで発展してしまう。

「違う意見=なるほど」ではなくて、「違う意見=嫌い」になってしまう。

ツイッターなんかを見ていても、「意見」と「人格」を切り離して考えることができる人が圧等的に少ない。

「意見」と「人格」を切り離して考えられない人の未来、かなり厳しくないですか?

一度、相手が自分とは違う意見を出しそうものなら、「嫌い」になってしまう。

となると、その相手が、その後、メチャクチャいい意見を言ったとしても、その時には、もう「聞く耳も持たない」という状態になっているわけですから、自分の人生の選択肢、考え方が極端に減ってしまう。

今なんて、ものすごいスピードで時代のルールが変わるから、選択肢が少ない人が生きれる時代じゃないんですね。


分かりやすいのが、「芸人やったら、ひな段に出ろや!」と大声で言っていた芸人は、軒並みYouTubeの進出が出遅れてしまって、現在、苦戦を強いられている。

クラウドファンディングや、オンラインサロンも同様。

「否定してしまった手前、できない」みたいな落とし穴にハマってしまっている。

「なるほど、そういう考え方もあるんだね」「今回は意見が分かれたね」でイイと思うんです。

というか、そういった感じで「意見」と「人格」を切り分けて、「違う意見」を持つ人の声にも耳を傾けられる状態にしておかないと、選択肢が減って、時代に対応できなくなる。

あと、「Aを選んだということは、Bを否定している」と考えてしまう人も、かなり厳しい。

「キンコン西野は、ひな壇に出ないです」というだけの話なのですが、それが「キンコン西野、ひな壇批判!」となっちゃう人。

これも本質は同じだと思っていて、「違う意見」を聞く能力が極端に低下してしまっている。

「Aが好き」ということと、「Bが嫌い」というのは、まったく別問題なので。

「Bもいいと思うけど、僕はAを選びます」というケースがあるわけだから。

 
既婚者が、未婚者に対して、「なんで結婚しないの!?」と詰問する場面、皆様も何度か見たことあると思うんです。

いや、ええやん。

その人の人生で、その人が、その生き方を選んだだけやん。なんで、自分の意見以外はアウトになっちゃうの?

そして、そんなこという人に限って、離婚します。
既婚者の35%は離婚します。


一言でまとめると、「『なるほどね』という言葉を持て!」という話です。
意見と人格を混同させてしまうと、後々、絶対に自分の首が絞まるので。

僕、苦手な意見はありますが、「嫌いな人」って、ほとんどいないんです。

今、パッと出てこない。「意見」と「人格」を切り分けて考えたら、「嫌いな人」なんて、「執拗に嫌がらせをしてくる人」以外、ほぼ発生しないハズ。

「私、○○のことが嫌いやねん」と軽々しく口にしちゃっている人は一度、振り返って考えてみてください。


今日は【違う意見を聞けない人】について、お話しさせていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。


※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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