20190929_西野の親はどう育てたのか

キングコング西野の親は、西野をどう育てたのか?

このnoteは2019年9月29日のvoicyの内容を文字起こししたものです。

どうもこんばんは。キングコングの西野亮廣です。
お笑い芸人をやったり、絵本作家をやったり、
国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をやったりしております。

今夜は、『西野の親は、西野をどう育てたのか?』というテーマでお話したいと思います。

この番組は、オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の提供でお送りします。

よくインタビューとかで、「どういう育てられ方をしたんですか?」みたいなことを聞かれるんですね。
父ちゃんと母ちゃんが、僕をどうやって育てたのかっていう。

これは結構インタビューだけじゃなくて、
お客さんからとか、現在、お父さんお母さんをやられている方からも結構聞かれるんですけど。

天然の母ちゃん

振り返ってみると、
まずそもそも自分の父ちゃんと母ちゃんがどんな人だったかというところからお話すると、

母ちゃんはもうすごく天然で。

例えばそうだな、うち4人兄弟なんですね。
兄ちゃん、姉ちゃん、僕、弟で。
男で言うと、父ちゃん、兄ちゃん、僕、弟なので、西野家には男が4人いるんですよ。

結構大変だったのが、当時はみんな白ブリーフだったんですね、時代的に。
で、母ちゃんが1回家族会議をしようということで、
男だけ集められてですね、「何だ?何だ?」っていうことで集められた時に、

母ちゃんが開口一番言ったのは、
「とにかくパンツの区分けが非常に難しい」と。

お兄ちゃんのパンツをお父さんのところに入れてしまう時もあるし、
あっくん、僕はあっくんって呼ばれているんですけど、あっくんのパンツをお兄ちゃんの引き出しに入れてしまうこともあると。

で、これは全部白ブリーフなもんですから難しいっていうことで、
パンツの前のゴムのところに、名前を書いていいかって。
一目で分かるように。

それは僕らも、父ちゃんのパンツとか、兄ちゃんのパンツとか、まちがって履きたくなかったですから、
もう満場一致で、「あっどうぞどうぞ」って言ったらですね。

もう母ちゃんがすぐに行動に移してですね、
僕らのパンツを取って、サインペンを取って、ゴムのところに、
「西野」「西野」「西野」って、名字を書いちゃって。

「やばいなこいつ」っていうのを子供ながらに覚えてますね。

あとはそうだな・・
1回、大阪のビルでですね、
母ちゃんとレストランに行った帰り、エレベーターに乗ったんですよ。

8階から1階に降りるエレベーターの途中で、
7階の途中ぐらいでエレベーターがガコンって止まっちゃったんですよ。

怖いじゃないですか。僕、正直子供なんでね。

「これ、ロープが切れて死んじゃったらどうしよう」みたいな。
やっぱりそういうことを考えるんですね。
で、「どうしようどうしようどうしよう」ってテンパッてるんですけど。

母ちゃんはやっぱり落ち着いたもんで、「ちょっとどき」って言って、
非常のボタンを押してですね、警備会社に繋がるやつですね。

で、警備会社の方が「どうされましたか?どうされましたか?」って聞いてきて、普通だったら状況を伝えると思うんですけど、
「いま閉じ込められてます」とか、「8階と7階の間で急に止まってしまったんです」って状況を伝えると思うんですけど。

うちの母ちゃんは「どうされましたか?」という問いに対して、

「1階までお願いします」と行き先を伝えて。

つまり、最先端ですね。
最先端の音声認識機能として、あの非常のボタンを使ってました。

非常に天然な母ちゃんですね。

一方で、父ちゃんはすごく真面目で、寡黙で。

褒められて育った子供時代

で、この父ちゃんと母ちゃんの西野亮廣の育て方なんですけれども、
もうこれはですね、本当に褒められたんです。

本当に褒められて育ったっていう。
「すごいね」とか「やるね」とか、ずっと褒められて褒められて育った。

1回ね、僕は軽石っていうのを手に入れて、白い石ですね。
あれで家の前のアスファルトに、
チンコとかウンコとか落書きしまくってたんです。

そしたら近所の人たちがやっぱり怒鳴り込んできて、
「これは公共の場だぞ、何してんだ?!」みたいなことで、父ちゃんと母ちゃんが玄関先で怒られたんですね。

で、近所の方が帰って、
父ちゃんが僕のところに来て、さすがにこれは怒られるかなと思ったら、

翌日ですね。
父ちゃんが会社から大量のコピー用紙を持って帰ってきて、
「お前はそんなに絵が描きたいんだったら、ここに描いた方がもっと描きやすいぞ」ということで、
絵を書いたことを怒らずに、もっと描かせてくれた。

これはやっぱり、当時からずっとあって、
「何かやりたい、何かモノを作りたい」ということに関して、お金の面でブレーキ掛かることがたくさんありましたよ、うちはそんなに裕福じゃないので。

だけれども、あの手この手で、とにかくやらせてくれた。

この育て方っていうのがね、正しいのかどうなのかわからないですよ。
結果、僕はこんな変な仕事についてるんで。
危なっかしい仕事についているので。

正しいかどうかはわからないですけれども、
少なくとも僕は親に感謝しているし、
西野亮廣っていうのは、そうやって止められずに、むしろ褒められて、
「もっともっとやれやれ」って言われて、育てられたっていう経緯がありますね。

くれぐれも僕の育ち方が正解だったって言ってる訳では決してなくてですね。
「どうやって育ったのですか?」という質問が来るので、「こういう風に育ちました」というお話でした。

というわけで、この辺で終わりたいと思います。

それでは、素敵な夜をお過ごしください。
西野亮廣でした。

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