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「信用」の取り扱い方についてbyキンコン西野

このnoteは2020年2月7日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供:松田 有里子さん

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

今日はですね、
信用の取り扱い方について
というテーマでお話したいと思います。

理屈が通らない場合がある

めちゃくちゃ勉強になったことがあったので、共有します。

影響力はお金に変わるから慎重に扱わなきゃいけないと思っていて。

そう考えたときに、吉本興業もやってるから大声で言いにくいんですけど、
「インフルエンサーマーケティング」っていうのは本質的じゃない。

「○○円払ってくれれば、うちのインフルエンサーに宣伝させます」というビジネスは、影響力を削っていく作業だから長持ちしないと僕は思っているんですね。

そんななかで、僕、キングコング西野亮廣は、なんちゃってじゃなくてガチンコインフルエンサーで。

僕がブログで「この本が面白かったよ」って書こうものなら、その本はamazonランキング1位ぐらいはパッと取っちゃうんですね。

簡単に「これは良かったよ」って言えない。

だって、みんながそこに時間と金を払っちゃうから。

だから、なおのこと僕は自分の影響力をめちゃくちゃ慎重に扱っています。

それは自分が携わらせてもらっているプロジェクトも然りで、自分が携わっているからといって手放しでお勧めしちゃいけないと思うんですね。

原作・脚本を担当させて頂いた舞台『「えんとつ町のプペル」~THE STAGE~』もそうで。

初日の神戸公演で完成したものを観終わった後に、個人的には「すっごくいいな」と思った箇所と「ん?ここは改善点だな」と思った箇所はあって。いちお客さんとしてね。

その「ん?」と思った部分をAとすると、そのAの部分を包み隠して「最高でしたああ!」って感想をつぶやいてオススメしちゃうのは詐欺に近い行為だと思って。

なので、オンラインサロン内で「Aに関しては、ん?と思うところがありましたが、それ以外は最高でした!」っていうことは正直に言ったんですね。

自分が携わらせてもらっているプロジェクトだし、そこに汗が流れていることは予想できるので、正直にそういったが形で批評するのはなかなか覚悟のいることなんです。

でも、そこは隠すべきではないし、ディスっているわけじゃなくて改善点を洗い出す作業だから前向きな議論だと思うんですね。

もちろん初日の公演観劇後に「Aに関してはちょっと思うところがありました」ってお客さんとしての意見・感想を運営サイドにもお伝えさせていただいたんです。

僕が、「ん?」と引っかかった部分に関しては、やっぱりお客様も「ん?」と思ったようでサロン内でもそういった声がちょこちょこがあったんですね。

そういう声があるのはすごくいいと思うんですよ。そういった意見が言えなくなる空間のほうが絶対にまずいと思っていて。

だから、僕も「言っていいですよ」っていう雰囲気を作るために自分から率先して言ったんですね。

「確かにおっしゃる通りAは最悪でした」「あそこは改善した方がいいですね」っていう意見をくださる方もいたのですが、中には「映画ひどかった」っていう不満を僕にぶつける方がいらっしゃって。

その文面って、明らかに感想・意見の類じゃなくて不満の類だったんです。

僕からすると「だから事前にAはひどいよって言ってたじゃん」っていうことと「何よりAに対するクレームを、僕に言われてもなあ」っていう気持ちがあったんですね。

映画『えんとつ町のプペル』は、僕は制作総指揮、つまりすべての責任を持つ立場にあるんですね。今日もこの後アフレコやって、キャラクターの動きのチェックがあって、音楽のチェックもしなきゃいけない。

それら音楽が悪かったら僕のせいだし、キャスティングが悪かったら僕のせいだし、僕は脚本も書いてるから、ストーリーがひどかったらもう僕のせいだし、すべて僕のせいなんですよ。

映画『えんとつ町のプペル』は制作総指揮なんで。

舞台『えんとつ町のプペル』ってのはそれとは違って、僕はあくまで原作・脚本担当なので、原作・脚本以外の責任は取れないんですね。まぁそりゃそうですよね。

でもコメント欄を見ていたら「Aがひどかった」という不満があったし、他にも「3階席の手すりが邪魔で観にくかった」とか「a 席と b 席が同じ値段ってどういうことなんですか」というのもあって。

劇場の構造だとか、券売方法に関しての不満もあったんですね。

もう一度言いますが、責任逃れしてるとかじゃなくて、原作・脚本の僕にそれを言われてもなぁという気持ちはやっぱあるんです。

東野圭吾さん原作の映画の挿入歌に対するクレームだとか、映画館スタッフの接客と伸び態度に対するクレームを「これはいち感想です!」って東野圭吾さんに言っているような感じですね。

「そこは責任とれないんだよなあ」っていうのがで原作者の本音で、そこの責任が取れないから、僕はお客さんとして観に行った時に「挿入歌がいまいちでした」「劇場のスタッフの態度はひどかったですよ」っていうことを事前にお伝えしたんですね。

これはあくまで例え話ですよ。

自分としては、きちんと正直にいい部分と悪い部分を分けて宣伝したので、影響力の使い方を誤ったとはやっぱ思えないんですね。

だけど、現実問題、Aに関する不満、後は劇場の作りとか券売方法に対する不満が、運営サイドではなくて僕にぶつけられている。

これが不思議で仕方がなかったんですよ。

だって、僕は『えんとつ町プペル光る絵本展』っていう個展を自分が主催する時もあれば、他の方が主催する時もあって、他の方が主催した個展に関するクレームは当然主催者にいくんですね。

「スタッフの態度がおかしい」というクレームが、間違っても原作者のキングコング西野亮廣にいくことはない。

つまり個展に関しては、西野が原作者、主催者は○○さんといった感じで割り切って捉えてもらっているんですが、舞台がどうやらそうなっていないと。

「なんでだろう」と思っていた矢先、コメント欄に「西野さんはAとそれ以外を切り分けて考えているけれど 、Aを切り分けて考えることができないんです」っていう声があってなるほどなぁと思いました。

僕はプロだから「ここがガンでここを潰せば健康になる」という見方をするんですが、「それらを切り取ってみることができない人もいる」と。

これはすごく勇気のある正直な意見なんだと思いました。

個展は問題箇所を切り取って考えられるけど、舞台って切り取ってみるのが少し難しいみたいで、切り取ってみることができない人からすると『えんとつ町のプペル』っていう作品の責任は僕に来るんだと、原作・脚本とか関係ないんだって話です。

チケット代がちょっと高いというクレームが僕が原作・脚本担当であろうとそれが『えんとつ町のプペル』であれば僕に来ちゃうということですね。

それぐらい『えんとつ町のプペル』っていうのは西野の作品になっちゃっているんだという話です。

つまるところ、これはもう理屈が通用しない領域で、ウソをついていないのに信用を落とす場合があるという話です。

めちゃくちゃ勉強になりました。

関係が深まれば深まるほど、クレームを言うという行為には勇気が必要になってくる。

その時自分に責任がなくても、結果的に自分印がとイメージとしてついてしまっている仕事に対する不満の矛先が、自分に向いているということがあるので、僕もめちゃくちゃ気を付けますし、皆さんもぜひ気をつけてみてください。

理屈が通らない場合があるので。

というわけで
信用の取り扱い方について
というテーマでお話させていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。


※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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