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「執念」は見える by キンコン西野

このnoteは2020年1月27日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供: 小笠原 治さん

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

今日は、「『執念』は見える」というテーマでお話したいと思います。今日の内容は数値化できない事象ですが、「勝負の分かれ目はここだぞ!」というとても大切なお話です。

舞台「えんとつ町のプペル」にみえる執念

先日、現在公演中の舞台『えんとつ町のプペル』を見に行かせていただいたのですが、そこでまず一番強く僕の胸に飛び込んできたのは、演出家の児玉明子さんの『変態性』と言えるような『執念』でした。

僕が初めて舞台を観させていただいたのは、最初の通し稽古の時で、もちろんその時はまだ、美術セットも衣装もそろっていない状態でしたが、明らかに、児玉さんのお仕事に血の匂いがしました。児玉さんがこの作品に費やした『時間』や『想い』というのが、透けて見えたんです。「夜な夜なこの舞台のことをずっと考えていたんだろうな」ということが伝わってきました。

ちなみに、僕は『スピリチュアル系』みたいなものには一切興味がないので、そっち側の人間でないということは先にお伝えしておきます。

ただ、これは表現するのが難しいのですが、時々、立ち止まって動けなくなる作品というものに出会います。美術館などに足繁く通っている人なら経験したことがあると思われますが、「なんだ、この作品?!」と、金縛りに遭うような感覚というのがあるんです。

そこにあるのは、上手い下手の議論ではなくて、明らかに、その作家の作品に込めた『執念』なのか、『怨念』なのか。とにかく、『念』のたぐいのものが存在していて、そこにはもう磁場みたいなものが発生しています。

時々、クラクラすることすらある。

そこで昨日、オンラインサロンに、それについて具体的な例を挙げながら記事を書きましたが、実はその内容は、自分が提供しているある作品の「ここは素晴らしいけれども、ここは全然納得がいっていない。」というものでした。その納得がいっていない理由というのは、『念』みたいなものが全然入っていないということです。

最後の最後に必要なもの

ここで今日、皆さんにお伝えしたい話をします。

その道のプロの中でも、現在進行形で結果を出し続けている人たちがいて、そういう人の元には、毎日たくさんのプレゼンターがやって来ます。僭越ながら、僕も毎日たくさんプレゼンを受ける側にいるのですが、その人間から見ると、企画書であろうが、音楽であろうが、デザインであろうが、ラフスケッチであろうが、そのプレゼンターが、そこでプレゼンするものに込めた『執念』というのは、一発で見破られます。

そこにかけた『時間』や『愛情』というのは、一発で見破ることができる。

どれだけ表面を整えていても、そこに費やした『執念』は筒抜けで、「あ、こいつ片手間でやったな…」というのは、結構すぐにバレるんです。

僕は音楽をやっている人間ではないのですが、例えば、音楽を上げてこられた時に、「あ、この音楽家さん手抜いたな」「よくある仕事の一つとして、この作品と向き合っているんだな」というのは、すぐに分かります。それを判断するのが、音数なのか何なのか、具体的に説明することはできないのですが、本当にすぐに分かります。

「『執念』みたいなものが、透けて見える」って、嘘みたいな話に聞こえますよね。でも、これは全然、嘘ではありません。

例えば、よく聞く話として、長年書店に勤められている書店員さんは、「売れる本というのは、読まなくても表紙を見ればだいたい分かる。オーラが違う。」ということを仰います。やっぱり、何千冊何万冊見てきた人というのは、そこの匂いを嗅ぎ取ることができる。

正直、僕にはこれはできないのですが、書店員さんには、「あー、この本は売れるなぁ~」というのは、本を並べる瞬間に分かるのだそうです。

他にもこの点が顕著なのは、映像編集です。例えばプロの現場では、「この1分半から1分55秒、ホンマにお前つないだ?」みたいな言葉が、普通に会話として飛び交っています。映像を見た瞬間に、「あれ?急に、このシーンだけ愛情がないな。」と感じるように、その映像に込められた『優しさ』や『愛』、『執念』みたいなものがばれているんです。

例えば『ゴッドタン』という番組では、スタッフさんが本当に心の底から芸人のことを愛してくれているということがひしひしと伝わってきます。片手間の編集ではなくて、「本当に、放送ギリギリまで編集してくださっているんだろうな」ということがよく分かる。とにかくこの芸人を面白く見せるために、あの手この手でやってくださったということが、映像から感じられるのです。

その『想い』みたいなものって、すごく伝わってくるじゃないですか。あれはきっと、視聴者の方も嗅ぎ取っているだろうと思います。

おそらく多くの人に心当たりがある近しい話としては、初対面の人と向き合った時に、話さなくても、相手のおおよその性格や育ちって分かることがありますよね。そして、だいたいそれは合っています。あの感覚と同じです。

おそらく僕らは、仕草や目つき、発声などの微妙な差をくみ取って無意識のうちに統計を取っているのです。なので、数をこなせばこなすほど、その先の情報が正確に見えてきます。

つまり、この話で伝えたいことは、「もし、あなたが売り込みたいものがあるのならば、最後の最後の仕上げまで、絶対に手抜いてはいけない」ということです。

仕上げのヤスリをかけて、「もうこれ以上やっても、もうほぼ形は変わらねーよな」と思っても、そこにかけた『時間』や『想い』は必ず見つかります。最後の最後の詰めの部分で、「こいつ、ヤスリがけサボったな」というのは、必ず見透かされてしまいます。「相手がプロであればあるほど、ごまかしなどは絶対にきかない!」という話です。

そして、ここで少しだけシビアな話をさせてもらいます。

もしあなたが、妥協したレベルのものを出して、ごまかそうとしたとします。一見きれいに整っているし、周りと比べても遜色がないようなものですが、自分の中ではどこかで、「だいたいこれぐらいでいいでしょ」という思いがある。

仮にそういうものを提出したら、その瞬間、あなたは「あぁ、この人はこういう仕事をする人なんだ。」と思われてしまい、一気に信用が落ちて、二度とその仕事を任されることはありません。二度目があるのは、「『執念』は絞り出していて、残すは技術だけ」という人のみです。「大体これぐらいでいいでしょ」というお仕事をした人には、もう二度とチャンスが回ってきません。

それはそうですよね。「大体これぐらいでいいでしょ」と思っている人に、「もっとやる気出そうよ!」という義理はひとつもないので、「はい、さよなら」と言われてしまって、終わりです。なので、ここは非常に気をつけた方がいいと思います。

今日は、『想い』や『念』といった感覚的なことについて語っていて、ビジネスの話が好きな人からすると、少し胡散臭く聞こえるかもしれません。しかし、「ここが最後の最後のキメ手だぞ!ここは甘く見ない方がいいぞ!」という非常に重要なポイントだと言えます。

というわけで、「『執念』は見える」というテーマでお話させていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。


※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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