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キンコン西野が語る「ファンタジー」の正体

このnoteは2020年6月6日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供:吉井 秀範 さん

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。



昨日、 youtube で「有料オンラインサロンTOP10 (2018-2020)」という動画を見つけたんです。

これが面白いというか、興味深い内容なので、ぜひ探して見ていただきたいのですが、

内容は要するに、2018年から現在に至るまでの2年間のオンラインサロンの会員数を軸に、繁栄と凋落をグラフ化したものです。

企業の時価総額とかユーチューバーのチャンネル登録者数とか、同じパターンをこれまでに見たことがあるかも知れませんね。

「『フィッシャーズ』上がってきた」みたいな。
それのオンラインサロン版ですね。

これが面白いのは、そのサロンオーナーさんの人気というよりも、時代が反映されていて、

例えば、2018年はまだ『ビットコイン』系のオンラインサロンが人気だったりとか、「稼げます」系のサロンが支持されていたりするのですが、

これを新しく生まれたサロンがまくっていたりするので、その攻防がちょっと面白いんです。

かくいう僕のサロン『西野亮廣エンタメ研究所』は、大して動きがなく淡々と会員数が増えて、 地味といえば地味なグラフになっているのですが、

一つ特徴的なのは、『西野亮廣エンタメ研究所』は時代がどうなろうがあんまり浮き沈みがなかったんですね。

これは僕らが「ファンタジー」という浮世から離れたジャンルを取り扱っていることも理由の一つにあると思います。

僕らは「ファンタジーを創って届ける」ということが活動の軸にあり、そのためにどういうシステムを組めばいいのか?資金繰りはどうすればいいのか?広告はどうすればいいのか?集客はどうすればいいのか?

これらをどうしていくかについての議論を、日々サロン内で繰り返しているんですね。そして、ファンタジーというものを取り扱っています。

このラジオでは僕らがメインで取り扱っている「ファンタジー」そのものについてはお話ししたことがなかったので、皆さんにとってはもしかしたらあまり興味のない話題かもしれませんが、今日は「『ファンタジー』の正体」というテーマでお話ししたいと思います。

ファンタジーは「なんでもアリ」の世界じゃない

まず、「ファンタジー」と聞くと、多くの方が「何でもありの世界」のように捉えるのですが、実はそうではありません。

厳密に言えば、何でもありにしてしまうことはお客さんにあまり刺さらないし、届かないと言った方が正しいかもしれません。

例えば、キャラクターを書くときは骨の位置と関節の位置及び可動域を把握しておかなければなりません。

脚のスネがぐにゃって曲がってしまうと、そこに意味が発生してしまうからです。このキャラクターはなぜスネが曲がるのか?という。

そこで「ゴムゴムの実を食べたゴム人間だから」という理由があれば、引き続き物語を読み進めてもらえるのですが、そういったものがないと「骨折してるの?骨折してないならどうしてスネが曲がるの?」という変な疑問が生まれてしまいます。

ファンタジーとは、お客さんが既に持っている情報を「間借り」する形で届けているので、情報がズレてしまうとよく分からなくなるんです。

ファンタジーは存在しない世界なのですが、その世界の中で整合性がとれていないと、ウソをついてしまうと、ちょっとマズいのです。

他にも、映画『えんとつ町のプペル』の話をすると、黒い煙に覆われて空を知らないえんとつ町は「12」という数字を知りません。「12」という数字で区切られることがないんですね。

例えば僕たちは、時間を「12時」とか、1ダースを「12」と、区切ったりしますよね。

ところが、えんとつ町はそうではなく、えんとつ町の時計は一番上が8時なんです。

なぜえんとつ町には「12」がないのか。 

それを話すには、なぜ僕らの世界はそもそも「12」という数字で区切られているのかを説明した方がいいと思うのですが、1年って365日ですよね。雪が降る季節があって、次に雪が降る季節がやってくるまでの時間が365日であると。

それでもって、月の満ち欠けが一周するまでは、約30日。この365日を30日で割ると、「12」という数が出てきますね。

1月2月3月という形で、年間12回、月が満ち欠けするわけですね。

つまり、「12」という数字は天体に由来していると。星空の存在を知らないと割り出せないわけです。

星空の存在を知らないえんとつ町は、数字で区切ろうと思うなら、例えば両手の指の本数の10や、親指を抜いた両手の指の本数8になるのが、自然であると。

ただ、『えんとつ町のプペル』には「12」という数字を知っている組織が出てくるんですね。その時初めて、「なぜ」となる。

「なぜこの組織は、「12」という数字を知っているの」という、その時初めて、「なぜ」が生まれるのですが、これっていうのは、「えんとつ町には12がない」というルールを作ったから、12 を知っていることに対してなぜが生まれるということです。

このように、僕らが住む世界と明らかに違うルールではあるのですが、ファンタジーの世界の中ではルールの整合性が取れていなければならないのです。

では、作家がルールを作り上げるために必要なものは何か、答えは知識です。

人体を書くならば骨、筋肉、関節の仕組みを知らなければならないし、飛行物体を書くならば、航空力学を学ばなければなりません。

ここで知識がないと説得力が伴わず、物語が入ってこないし、『えんとつ町のプペル』の「12」のような、「ならでは」の展開が生まれないんですね。

「ファンタジー」って、何でもありとか自由自在のように捉えられていますが、その実態は、地層のように重なった知識と、数式と、理屈です。ファンタジー作家がやたら物知りであるのは、そのためです。

僕の師匠は、『後藤ひろひと』という劇作家なのですが、むちゃくちゃ物知りなんです。とにかく知識人です。ものを書くためには、調べ物をむちゃくちゃしなきゃいけないんです。

なので、ファンタジーは多くの方が思われているような「ゼロイチ」の作業ではないのです。ゼロから作り上げられているのではなく、理屈の積み重ねであると。

この前サロン内で「物語を作りたいから、量子物理学 or 物理学を教えてくれ」と言ってZoom 会議を生配信したのですが、

そこで仕組みをしつこく質問する西野に対して「もうそこは西野さんのオリジナルで言ったらいいんじゃないですか」というコメントを頂いたのですが、そういうことではないんです。

多分、「オリジナル」というものの捉え方が全然違っていて、実はこれは僕たち日本人特有の考え方であり、悪く言えば、日本人が抜けている部分なのですが、

例えば、海外で個展をしたときにめちゃくちゃあるのが「このキャラクターにはどういった意味があるんだ」とか、「『ゴミ人間』のメッセージは何なんだ」とか、「このシーンの青い光は何を意味してるんだ」という質問がバンバン飛んでくることです。

そんな見方あんまりしなくないですか?

僕らは、「ゴミ人間」というキャラクターが歩いているのを見て、このキャラクターのメッセージってなんですかという見方はあんまりしないですよね。

「なんかゴミのキャラクターなんだ」みたいなことで受け入れてしまっているじゃないですか。だけど、海外では違うんです。

彼らはそれに対して、いちいち質問を持っています。

彼らは「ファンタジー」をもっと理屈で捉えていて、理屈がないと気持ちが悪いんですね。

アートが一番分かりやすいと思うのですが、キャンバスに絵の具をばしゃって投げて、「アートです」と言ったところで、通用しないんですよ。

そこに理屈がないといけないし、表現の一々が、その理屈を説明するものになっていないと「ただ絵の具をこうしただけじゃん」になって刺さらないんです。

まとめると、「ファンタジー」とは、なんでもありの自由自在のものでは決してないということです。

『西野亮廣エンタメ研究所』では、そういったものを取り扱って届けることをしております。興味がある方はぜひ覗いてみてください。

というわけで今日は、
「キンコン西野が語る『ファンタジー』の正体」
というテーマでお話させていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。

※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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