画力を上げる唯一の方法byキンコン西野
このnoteは2020年6月30日のvoicyの音源、『西野亮廣ブログ』の内容をもとに作成したものです。
voicyの提供:地方公共個人を目指す男 すずきやすのり さん
どうも。キングコングの西野亮廣です。
お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。
今日は、
「画力を上げる唯一の方法」
というテーマでお話しします。
今日は、「絵」の話をしたいと思います。
僕はかれこれ10年以上、絵本作家をやっています。
職業柄、眼に映るものを注意して見る癖がありますし、ある対象物の魅力をお客さんに伝える為には、どの角度から、どう切り取るのが一番イイのかなぁと考えてたりします。
かれこれ10年以上、絵を描いてきて、まだまだ素人に毛が生えた程度の実力ですが、それでも現時点での結論はあって、それは、「理屈を知っておいた方がいいけど、理屈で描いた絵は伝わらない」ということです。
説明しますね。
たとえば、太陽から対角線上に光の線が伸びて、その線上に、円形や六角形の雪の結晶のような光が何個か連なっている絵って見たことがあると思います。
僕も、絵本を描く時に、ポイントポイントで、あれを使います。
https://nishino.thebase.in/items/27168870
あれは「フレア」とか「ゴースト」といったりするんですけども、「ゴースト」とはよく名付けたもんで、あの光、実際には存在しないんです。
生で直接太陽を見ても、あんな雪の結晶のような光が太陽から対角線上に連なって見えることは無いんです。
生で、太陽を見ても、ただ太陽だけが眩しく光っているだけです。
じゃあ、僕らがよく見ている、あの雪の結晶のような光は何なんだ?という話なんですけれど、あれはカメラで光を撮った時に現れる現象なんですね。
カメラのレンズって、何枚ものレンズの組み合わせで作られていて、強い光はレンズの表面で反射するんです。
組み合わさっているレンズの間や、カメラ内部の空間でも光が反射する。
それによって生まれているんです。
つまり、現実世界には、あんな光は存在しないんです。
なので、カメラなんてものが存在しなかった江戸時代の浮世絵には、「フレア」や「ゴースト」なんて描かれていないんですよ。
あの時代には、「フレア」や「ゴースト」なんて存在していないんです。
あの時代から太陽はあったのですが、あの時代を生きた人達は、太陽から対角線上に連なった雪の結晶のような光を見ていないんです。
だって、実際には存在しないから。
たけど、現代人はどうだ?
昼間にガンガン光っている太陽を生で見てます?
見てないんですよ。
僕らは太陽を何で見ているか?というと、インスタグラムとかで見ている。
現代人が見ている太陽というのは、「レンズ越し」なんです。
だから、その名称は知らないまでも「フレア」や「ゴースト」の存在を、僕らは当たり前のように知っている。
こっちが僕らにとっての「リアル」なんです。
実際には存在しないものの方が「リアル」なんです。「日常」なんです。
だから、「フレア」とか「ゴースト」とかが上手く描かれた絵を見た時に、「リアル感、やべえ!」みたいな感想を抱いちゃう。
でも、本当の本当は、それはリアルでも何でもないの。
そんなものは地球上に存在していないんです。
つまるところ、僕たちは世界を理屈通りには見ていないんです。
もう一つ、面白い話があります。
僕、オンラインサロンというものをやっておりまして、毎朝2000文字〜3000文字の記事を投稿しているのですが、時々、それとは別で、サロン内でツイートのようなものをすることがあるんです。
別に、それは対したネタじゃなくて、表に出すまでもないようなことを、仕事合間に、ふと思ったことを呟いているだけなのですが、昨夜、facebookのオンラインサロンの方にフラッと投げた「とある2枚の画像」が意外と評判だったので、ここで紹介したいと思います。
その「2枚の画像」というのは、僕が今、制作している『みにくいマルコ 〜えんとつ町に咲いた花〜』という絵本の制作途中のイラストなんですけども…、僕のカラーの絵本って、映画みたいに分業制で作っているんですね。
一枚の絵を僕を含む多くのスタッフの間でグルグル回して、手直しを繰り返していくんです。
で、この「2枚の画像」というのは、僕が手直しを入れる前と、入れた後の2枚なんですけれど、劇場の舞台袖から見たステージの景色を描いた絵なんですね。
一枚目はスタッフさんがあげてきてくださった絵で、光の加減だとか、もろもろ、理屈でいうと正解はコッチなんですよ。
ステージ上にいる芸人には正面から光が当たって、背中がちゃんと影になっている。
舞台袖からステージ前の物理的な距離はありませんので、ステージ上にいる芸人の輪郭がハッキリと見える。
などなど、もう完璧なんです。
でも、僕は劇場出身の人間です。
これまでに、何万回も舞台袖からステージにいる芸人を観てきたのですが、舞台袖から観たステージって、こんな理屈通りじゃないんです。
ステージ上にいる芸人には、たしかに正面から光が当たっているんですけど、背中は影になっていないんです。。
むしろ、ステージに立つ芸人、スタージに出て行く芸人の背中って、光っているんです。
この正体は「憧れ」だと思います。
そして、ステージまでは確かに物理的距離は近いのですが、本番中のステージって、遠いんですよ。
簡単には立てない舞台なので、遥か彼方なんです。
一歩踏み出したところで近くような場所じゃない。
ステージまでの5メートルには、数十㎞、数百㎞あるんです。
これは、「そのステージに立つまでの苦労を知っているから」だと思うのですが、舞台袖にいる演者およびスタッフは、皆、それを知っている。
その目線で手直しさせていただいたのが、こちらの2枚目の画像です。
芸人の背中は光っていて、5メートル先のステージは遥か彼方。
芸人の輪郭は光で滲んでいます。
理屈でいうと間違っているのですが、劇場の舞台袖の景色を知っている人間から見ると、こっちの方が「リアル」だと思います。
(※二枚続けて見ると、比べやすいかな?)
【1枚目】
【2枚目】
とまあ、こんな感じで、いつも絵本を作っています。
▼『みにくいマルコ ~えんとつ町に咲いた花~』のサイン本はコチラ↓
もし、お子さんとかが絵を描く機会があれば、そこで、その子が感じたことを、そのまま描いた絵が真実なので、下手に理屈で正さない方がいいと思います。
というわけで、
「画力を上げる唯一の方法」
というテーマでお話しさせていただきました。
それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。
※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
んでもって、ビジネス書に掲載するレベルのコラムを毎朝投稿しています。
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