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勝負は「抽象化」で決まる by キンコン西野

このnoteは2020年2月16日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供:ヤマグチ タミオさん

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

今日は、
「勝負は「抽象化」で決まる」
 というテーマでお話したいと思います。

西野が読みたいと思うビジネス書

僕は、その人が手がけているビジネスの「副産物」としてのビジネス書には興味があるのですが、ビジネス書の執筆が「本業」の方が書くビジネス書には、あまり興味がありません。

これと似たような意味で、「いい言葉」を紡ぐことを仕事にしてる人の「いい言葉」には、まったく興味がないのです。道端で販売している、相田みつをの二番煎じどころか、100万番煎じのような「名言もどき」みたいなものには全く心が動きません。

「お前、『いいこと』言おうとしてるじゃん!」と思ってしまいます。そこでは、「いいこと」を言わないとマネタイズできないという構造になっています。

その時点で、「お前のその言葉は、『名言大喜利』になっているので、ちょっと嘘じゃね?」というような、月並みなツッコミを入れてしまいます。

僕は「意見」や「良い情報」に関しては、有名無名に関係なく取り入れたいので、「結果を出してから言え」という線引きをするつもりはないです。ビジネス書の執筆が本業の方が書くビジネス書の中にも、時々アタリがあったりもします。

ただ、さすがに「名言」は、その辺に無料で転がりまくってるので、「お前の声をきかせてくれよ!」と言いたくなってしまいます。

しかしこれは、「『名言を言おうとしている人の名言』は、地球上に必要ない」という話ではないです。もちろん「名言を言おうとしてる人の名言」に救われている方はたくさんいらっしゃるので。

シンプルに、「それが僕の人生に必要がない」というだけのことで、その職業を否定しているわけではありません。これは、「僕の人生には、トリマーやネイリストという仕事は必要ないが、世界には絶対必要」という話と同じです。

前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

相田みつをの本質は何か

今、SNSや Youtube で、「名言を言うこと」をほぼ仕事にしてる人たちがいます。『現代版相田みつを』の人たちです。

そのような人たちを見ていると、その多くに対して「相田みつをの本質的な部分を転用したらいいのに…」と思います。

実は、相田みつをさんが紡ぐ言葉自体は、別に飛び抜けたものではありません。だって、「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの。」ですよ。こんな言葉、言い回しが違うだけで、同じようなことを色々な方が言っています。

だから僕は、この「言葉自体」は、そんなにすごいとは思いません。別に、相田みつをのオリジナルではないし、もっと言えば、『名言』なんてもはやAIにでも言えます。人が感動したという言葉のパターン認識をとって、その言葉を挙げていけば『短めの名言』はAIでも紡ぐことができます。

なので、実は「いい言葉」それ自体には、それほど価値はないと言えます。相田みつをさんにしても、「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの。」という「言葉」に対しては、僕はそんなにキュンと来ないです。

ただ、彼の天才性というのは、「いい言葉を紡ぐ」という部分ではないところにあります。彼の天才性は、独特のフォントで前向きになれる短めの言葉を紡ぐという、「ビジネスモデル」を発明したところにあるのです。

ここを見誤ってはいけません。

相田みつをに憧れて、自分も相田みつをのような活動しようと思ったときに、相田みつをの言葉を「いい言葉」として捉えている人と、ポストカードやカレンダーなどに「二次利用ができる形の言葉」として捉えている人とでは、全然違うアプローチになってきます。

他にも、例えば、「自分も松本人志のようになりたい」と思ったときに、松本人志の活動を「大喜利をする人」と捉える人と、大喜利をかっこいいものにして「大喜利を一般化させた人」と捉える人とでは、全然違うアプローチなってくる。

芸人になりたいと思ったときに、漫才師やコント師を「ひな壇に座る人」と捉える人と、「ドキドキさせてくれる人」と捉える人とでは、全然違うアプローチになってきます。

このような「物事の重要な部分だけを抜き出す作業」を、『抽象化する』と言います。この『抽象化する』段階で、その後のアプローチが変わってきます。

何かに憧れて、「自分もああなりたい」と思うことはすごく自然なことです。ただその際、くれぐれも「冷静に『抽象化』した方がいい」というのが、今日の話です。

憧れてる人を『抽象化』するとき、多くの人が憧れている人の『手段』を抜き取ってしまっていて、『理念』や『姿勢』みたいなものを抜き取れていません。しかし、『手段』を転用してしまうと、憧れてる人の二番煎じ以下になってしまいます。

例えば、松本人志の「大喜利する人」というところを抜き取ってしまうと、
「大喜利する」ということが、松本人志みたいになるときの絶対条件になってしまいます。そうすると、もう大喜利をしても、松本人志さんの二番煎じ以下になるので、基本的には、松本人志さんには絶対勝てません。

その上、同じような「『手段』を転用した人たち」が、わんさかいるレッドオーシャンで戦わないといけなくなります。

ここは、とても大事な点です。

結論としては、「自分のオリジナル作りたければ、『抽象化』の精度を上げろ!」ということです。転用した先でみんな競い合っているけれど、『抽象化』の段階でおおむね勝負は決まっています。

『姿勢』ではなくて『手段』を抜き取り、その先で切磋琢磨しても、あまり大きく展開していかないことが多いです。

なのでくれぐれも、『抽象化』の精度は上げておく方がいいでしょう。

というわけで、
「勝負は「抽象化」で決まる」
というテーマでお話させていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。キングコングの西野亮廣でした。


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