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得度するということ。

友人のお寺で何人かの方を得度するということで
いろいろ準備が大変だけど嬉しい、という話を
その人がしてくれました。

確かに授ける側になると準備は大変ですね。
受ける側もいろいろ大変ですけど、
でも大変おめでたいことでもあります。

私は得度の時にも剃髪しましたので、
得度式の後にその頭を見た先生方や友人の大学生阿闍梨から
次々とおめでとうございますと言われて、
ちょっと面映い気持ちだったのを覚えています。

得度というのは、仏門に入ること。
仏教の教えに従ってこれから修行し生きていくと表明することです。

なので、得度というのは仏教者として新しく生まれ直すようなもの。
名前も新しくいただきますしね。

ちなみに、親からもらった名前を変えるのは法律的な手続きが
結構大変だったりするのですが、出家して僧侶となった時は
比較的すんなりと戸籍名を法名に変える手続きを受け付けて
もらえたりします。

一応得度したら僧、と言ってもいいようです。

本来的には得度の前に受戒して生活を整え、しかるのちに
得度して出家し、さらに出家者のための戒律を授かるという
流れになります。

得度式は出家の儀式なので、髪を剃り俗服を脱いで法衣をつける
ということを行います。
世俗の髪型をやめ、世俗の服を脱いで
世俗との縁をここで断ち切ることを示しているのですね。

最近「在家得度」とかいうよくわかんない言葉を聞きますけど、
在家で出家する、ってのは両立しない概念なんで、
おかしな表現だなと思います。

なんかこの言葉「肉食ベジタリアン」みたいで
歯の浮くような違和感しかないんですよね…。

ちなみに、在家で仏道修行をする人は男性は優婆塞、女性は優婆夷。
サンスクリット語の「ウパーサカ」「ウパーシカー」の音写です。
清信士、清信女と訳されます。
役行者は役優婆塞とも言いますが、出家せずに修行していたからです。

中国風の言い方だと居士。
これも家庭にいながら仏道修行をする人のこと。
お釈迦さまの在家の弟子維摩居士が有名です。

お気づきだと思いますが、戒名の信士信女、居士はここから来ています。

役優婆塞も維摩居士もそのへんの僧侶や菩薩よりも優れた修行者。
仏道修行にはこういうカテゴリーもあります。

けっこう多くの在家から僧侶になった人が、一時
「得度ブルー」状態になったと話してくれました。
自ら望んで決意してそうするのに憂鬱な状態に落ち込むのは
マリッジブルーと似ています。

これはひとつのシステムを出て別のシステムに入ることが
自分で望んでそうしているとしても
非常に高いストレス状態であることを物語っています。

得度は血脈の流れを出て法脈の流れに入ること。
脈々と継承してきた多くの先師の流れに連なり
血ではなく法でつながるということです。

ケネディ大統領の就任演説に
「国がなにをしてくれるかを問うのではなく、
 あなたが国になにをできるかを問うてほしい」
というところがありますが、
得度するという道を選んだなら、仏さまや仏法になにを
してくれるのか期待するのではなく、
仏さまや仏法に対して自分がなにができるかを考えたいものです。

以前、僧侶になってからは願いの叶う内容が変わって、
仏さまにお会いするしかたが変わったと
いうお話をしましたが。

法を護持し、次代につなげるのが僧侶。
受ける側から渡す側になることの重みを忘れてはいけないと思います。

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