見出し画像

読み授けってなに?

その時その場に居合わせなくても受け取れるものっていうのが
実はけっこう好きです。
電話よりメール派だし、リアルよりオンライン好きだし。

あでも、ゲームはオンラインよりもコンシューマーがいいかな。
オンラインゲームはその時その場にいないといけないですしね。

でも密教は人から人へ。
これに関してはやはり重要なことだな、と思っていますよ。

先日の心経法報恩謝徳会にあたって
般若心経の読み授けをしたのですけども。

読み授けってなに?という質問がありました。

これは以前より何回か書いていますけど。
真言密教においては印や真言、さまざまな作法、供養法の修し方、
お経や声明もつぶさに阿闍梨さまからお授けされてからでないと
行ってはいけないというルールになっています。

このへんに書きました。

「実践を伴う密教では、学び理解した上で体得したものをお持ちの
 先学の教えが、理解の深度を深めて行くときには不可欠と
 考えられていた」というのが一番わかりやすい説明かなと思っています。

最近はいろんな本が出ていたり
インターネットで調べられたりするので
在家の人でも興味があれば情報を入手することはできます。

それで覚えて使っても、一定の効果はあるかもしれません。
実際お経や真言は「読誦するだけでも功徳がある」とされている
ものも多く、ただお唱えするだけでもご利益はあるものだからです。

でも、きちんと阿闍梨さまから教えていただいたものに比べると
なんというか、「熱量が低い」という感覚があります。

ちなみに、いろんなお寺でご本尊の前にその方のご真言を
張り紙で書いてあったりして、それを見てお唱えしてね
という形になってる所が多いのですが
これは一応お寺のお坊さまが「お伝えしよう」と思って
示されたものですので、簡易的な伝授になってるという感じがしますよ。

密教においては、阿闍梨さまがその人の機根をよく見て
その人にふさわしいものをお授けしてくださいます。

将来僧侶として生きていこうという修行者と、
いつもお参りしてくださる在家の方とでは
お伝えする内容にも違いがあるわけです。

基礎的な理解から、より深い理解へ。
この人はどの深度まで教える必要があるかな、ということを
阿闍梨さまはいつも考えながらお授けくださるのですね。

初学者は初学者なりに。
すでに勉強が進んでいる人はその人に合わせて。

でも、最初の最初はまず、一つ一つ読み合わせながら
お伝えしていきます。

これが「読み授け」。

コール&レスポンス、リピートアフターミーみたいな感じで
お伝えすることが多いですね。

般若心経のような短いお経はいいですが、
観音経や理趣経といった長いお経はけっこう時間がかかりますよ。

阿闍梨さまからお授けいただいたら、あとは自分の修練。
折に触れお経を読誦し、真言をお唱えし、印を結び、修法して
忘れないように自分の中にそれを保ちます。

密教の学びは「写瓶」と言われます。
お師匠さまから弟子へ、まるで瓶の中の水をそっくり別の瓶に
移すように仏の教えを余すことなく伝えること。

知識やテクニックだけでなく
その方の精神性や息吹まで受け取る、
というのがその本質なのではないかなと思います。

その「熱量」は、もしかしたらお大師さまから
脈々と受け継がれてきたもの。

その熱をアクティベートする、それが師資相承ではないかと思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?