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お告げ信仰がなぜお勧めできないか。

のっけからコワモテな調子ですけど。

こういろいろと難しい世の中になってくると、

お告げやメッセージ欲しい気持ち、わからないわけじゃないです。

でも、やっぱりお勧めはいたしかねる。

と言わざるをえないかな、と思うのですよ。


これも最近の傾向だと思うんですが。

お参りに来られた方とか、ご案内した方とかに

「仏さまから私にメッセージありませんか?」

と聞かれることがよくあります。

前にも結構書きましたけど。

仏さまは常にメッセージをくださっています。

こちらがそれに気付けるかどうかが大事なところではありますが、

お参りや修法は「お告げ」を受けることを目的にしてはいない

ということも重要です。


何かの時にふと伝わってくることはありますが、

それは仏さまが伝えようと思われたり、知ったり見たりしてもいいと

お考えになったことを伝えられてるだけという気がします。

しかし、いろいろやってみて困り果てて、どうしようもなくなった時に

お尋ねすると、方向性を指し示していただけることはあります。


おみくじがこういう時に有効です。


また、神さまや高次の存在などのお言葉を伝えてくれるという

霊能力者やチャネラーがいらっしゃいますが、

そういった方々がそういう分野の専門家なのではと思いますね。

一番いいのは自分でメッセージを受け取れること。

でも、とあるお寺にある小さな祠にそういうことに敏感な何人かの人と

お参りしたところ、受け取った内容が全員違ってたということがありました。

これは結構あることで、受け取る側の資質にもよるでしょうが、

いろいろ観察してみると、

そういう存在が伝えたいことは人と場合によって違うらしい

という感じがします。

そのものとその人の縁によって受け取ることが違うんでしょうね。

しかしそもそも仏道とは、仏法に則った生き方を選んで実践し、

さとりの智慧を得て成仏するのが目的なわけですから、

仏法に照らして自分で選んで進んでいくものです。

基準は自分の中にある。

お告げは神仏であれ、その声を伝える誰かであれ、

自分以外の何かを指標とすることになります。

それは自己信頼と自己価値を引き下げる方向に働きます。

本来清浄な、如来になることのできる可能性を持つ

素晴らしいご自身の本質を、ディスカウントしてはいけません。

時に頼ることがあってもいいかもしれませんが、

常に決定権を自分が持っていることが大事です。

以前、とある神社で神さまかご眷属にお叱りを受けたことがあります。

「もうあちこち詣って何かをもらおうとしなくていい。

 それはさもしいことだからやめておけ」

それは貪りというものだな、と深く反省したのを覚えています。

外側に求めると、充足することがありません。

内側に豊かな宝があると信じて問いかけてみましょう。

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毎月24日はお地蔵さまのご縁日。

この日に小さな法要を営み、

生きとし生けるあらゆるものへの祝福

この世界にあるあらゆる諸霊へのご供養

全ての大地から生まれるあらゆるものへの感謝

をお祈りいたします。

お地蔵さまへのお願い受け付けてます。

締め切りは4月20日です。

宗派宗教にかかわらずお申し込みいただけます。


お問い合わせ、お申し込みは下記アドレスまで。

enshu0615*gmail.com (*を@に置き換えてください)

折り返し申し込み要項をお送りします。

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