見出し画像

機関車の性能を考えてみる : DD51(中編)


この記事は、DD51形に関する記事の第2回である。
前編はこちら

DD51の最近の活躍

かつてはどこでも見ることができたDD51形だが、2020年現在、JR旅客会社ではすでに旅客列車での定期運用はなく、JR東とJR西で臨時列車や工事列車の牽引、蒸気機関車の補助などでわずかに運用を残すのみとなっている。
JR貨物所属機も名古屋周辺での運用を残すのみとなり、それも2021年春をもって終了予定である。
DD51形の時代の終わりは、すぐそこまで近づいている。
今や鉄道趣味者にも大人気で、蒸気機関車を駆逐するものとして目の敵にされていた登場当時とは隔世の感がある。

そんなDD51形だが、ここ2、3年で最大のトピックといえば、やはり山陰迂回貨物列車であろう。

2018年7月上旬、東海地方から九州地方にかけて過去類を見ない規模の豪雨があり、瀬戸内地域を中心に大きな水害・土砂災害が発生した。
「平成30年7月豪雨」または「西日本豪雨」と呼ばれるこの災害では、鉄道も各地で不通になった。
特に影響が大きかったのは、山陽本線の不通である。山陽本線の被害は甚大であり、被災当初は復旧には何ヶ月かかるかわからない状態であった。
山陽本線は東海道本線に次ぐ貨物列車の大動脈で、JR貨物の輸送する貨物の2割が山陽本線を通る。すなわち、山陽本線が利用できなければ、JR貨物は収入の2割を失うことになる。

JR貨物はトラックと貨物船を手配して当座をしのぐ一方、他の路線を使って貨車列車を走らせる検討を始めた。
山陽本線を使わずに関西ー九州間に貨物列車を走らせようとすれば、2015年に最後の貨物列車が廃止され、以後まったく貨物列車が走っていない山陰本線を使うしかない。
JR貨物とJR西日本は、山陰本線に貨物列車を走らせるため、山積する問題を一つずつ解決していった。

山陰本線を走れる機関車がない
→JR貨物愛知機関区のDD51形3両を持ってくる
予想される迂回区間が尼崎から新山口までと長すぎる
→伯備線を早期に復旧させ、迂回区間を倉敷から新山口までに短縮
JR貨物の運転士に運転経験がない区間がある
→JR西日本のDD51形を借りて運転訓練
貨物列車用の停止位置や制限速度の標識がない
→徹夜で標識を設置
山陰本線にはJR貨物の鉄道事業許可がない
→走行可能であることを調査で確認の上、国土交通省に臨時の事業許可を申請

そして8月28日、ついに迂回貨物列車が運行開始。
10月に山陽本線が復旧するまで、関西ー九州間の輸送を支えた。

迂回貨物の運行経路は上の図のとおりである。不通区間のある倉敷~新山口間を伯備線(倉敷~伯耆大山)山陰本線(伯耆大山~益田)山口線(益田~新山口)経由で迂回した。赤い線がDD51形の牽引区間で、青い線は電気機関車の牽引区間である。


さて、その迂回貨物であるが、
DD51形1両がコンテナ貨車6両または7両を牽引する形で1日1往復運行された。
これがどのくらいの輸送量かと言うと、被災前の山陽本線における1日の輸送量の100分の1である。

わずかに100分の1である。

迂回貨物列車が実現したのは、DD51形にほとんどの主要路線で走行できる優れた汎用性があったからこそであり、現役のDD51形がなければ実現は極めて困難であっただろう。
一方で、DD51形はいろいろと問題を抱えていた機関車でもあるのもまた事実であり、迂回貨物列車においてもその輸送量をはじめ、その問題は障害となっていたのである。

中編ではその問題と、解決に向けた試みを取り上げていきたい。

汎用性の代償

当時の山陰本線の信号や踏切は、10両編成程度の列車には対応していた。山陰本線には10両編成の「トワイライトエクスプレス瑞風」が走るためである。

ならば、なぜ機関車1両+貨車9両にできなかったのか。

結論から言うと、DD51形はとにかく勾配に弱く、勾配路線では貨車をたくさん牽引できないのだ。

益田と新山口を結ぶ山口線には険しい峠越えがある。
この峠越えの登り坂の傾きは25パーミルである。25パーミルとは、1km進むごとに25m登る勾配である。大したことがないように思えるが、鉄道にとっては急坂である。
その25パーミルの登り勾配で、DD51形はコンテナを満載したコキ100系を7両(列車重量350トン)しか牽引できないのだ。

一方、国鉄の代表的電気機関車であるEF65形は22.6パーミルの瀬野八(山陽本線 瀬野〜八本松間)で12両(600トン)を牽引できる。
JR世代の電気機関車であるEH500形なら25パーミルの奥中山峠(いわて銀河鉄道線(旧東北本線)いわて沼宮内〜一戸間)で20両(1000トン)、短時間ならば25パーミルの関門トンネルで26両(1300トン)も牽引できる。

なぜDD51形の牽引力は低く設定されたのか。
それは「D51形並みの牽引力」という目標値そのものが低かったためである。

先に挙げた奥中山峠では、蒸気機関車時代も1000トン貨物列車が運行されていたが、現在EH500形が1両で登るところをD51形は3両必要としていた(※1)。
すなわち、D51形(と、同等の牽引力を持つDD51形)は、EH500形の3分の1の牽引力しかないのである。
※1 なお、3両つなぎのD51形が峠を登る通称「奥中山の三重連」は当時非常に有名であり、全国から撮影者が押し寄せたという。

DD51形の牽引力目標が低く設定された理由は以上のとおりである。

では、牽引力が低い直接の理由は何だろうか。
それは前後の台車のみに動力があり、中間の台車に動力がないので、動輪上重量が不足しているためである。

JR貨物所属のDD51形(再掲)
運転室の直下にある台車が無動力の台車である。

DD51形はD51形だけでなく、C57形・C61形も置き換え対象としていたことは前編でも述べた。
これは
「DD51形は、C57形・C61形が走る路線ならどこでも走れる機関車でなければならない」
ということを意味する。
すなわち、DD51形の軸重(車軸1軸あたりの重量)は、C57形・C61形並みの14トンに収める必要があった。
1000馬力級のエンジンを2基搭載し、軸重14トンに収めるには、6軸が必要だった。
一方で、液体式ディーゼル機関車は、変速機からドライブシャフトを台車に伸ばして動力を伝えるので、3つ以上の台車を駆動するのはスペース的に困難であった。

ここで、2つの選択肢が考えられる。
案A 3軸台車×2の配置にして、全軸駆動で牽引力を確保する。
案B 2軸台車×3の配置にして、真ん中の台車は無動力とする。
性能だけを考えれば、案Aの方が優れているが、実際に設計・製造されたのは案Bであった。


これはいくらか私見を含む考察であるが、
・以前3軸台車の機関車を試作した際、カーブを曲がりにくかった(※2)こと
・3点支持とすることで必要な車体強度を下げ、車体を軽量化できること
・案Bでも要求性能は満たしていること
が理由と思われる。

※2 蒸気機関車や旧型電気機関車には3軸以上の台車が当たり前のように存在しているではないか、という意見もあるかもしれない。しかし、これらの機関車は先輪を設けることでカーブを曲がりやすくしていた。先輪には動力がないので、全軸駆動を目指す案Aにはそぐわない。

DD51形は確かに牽引力の要求性能は達成していた。しかし、ギリギリの達成であることは否めなかった。その結果、雨や雪でレールが滑りやすくなるとよく空転を起こすことになった。

では、実際どの程度空転しやすいのか。
DD51形の勾配区間での運転について、先述の山陰迂回貨物列車の運転士らがまとめた、上り列車(新山口→倉敷)の運転資料を参照してみよう。

山口線宮野~仁保~篠目間の運転
(中略)
・急勾配区間に進入後は線路が直線であっても断続散砂を行って空転を未然に防止する。
・空転をしてしまうと登坂走行速度が低下するので、空転を未然に防止することが大事である。
・断続散砂の方法(散砂時間・インターバル時間など)は、もっとも空転が発生しなかった方法を運転士各人が共有し、その方法で行うようにする。約1秒間散砂ペダルを踏み、およそ3~4秒間隔を空けるようにするのがよい。
・空転しやすい箇所を運転士全員で共有し、その箇所に重点的に散砂を行う。
(後略)

出典:季刊ジェイ・トレイン 2019年冬号 「検証・迂回貨物列車」

DD51形は勾配区間では空転しやすく、滑り止めの砂をほぼ常に使用する必要があったことがわかる。実際に空転が起こる区間では、5km/h程度まで速度が落ちることもあったという。(参考動画

「万能機関車」の誕生

さて、DD51形の性能向上を妨げた「3軸台車が使用できない問題」であるが、DD51形の誕生から数年後、解決策が現れた。

「万能機関車」DE10形の誕生である。

JR東日本所属のDE10 1654号機(筆者撮影)


DE10形の用途は、支線の短距離旅客・貨物列車の牽引や、操車場での車両入換である。
支線ではDD51形が走る幹線よりもより軽い軸重が求められる一方、入換では大きな牽引力、すなわち大きな動輪上重量を求められる。
2つの要求を同時に達成するのは、4軸の機関車では困難であった。
そこで、世界でも他にほとんど例のない3軸台車+2軸台車の5軸駆動ディーゼル機関車が誕生したのである。
それを可能にしたのは、カーブ対策を施した3軸台車である。

「奥出雲おろち号」を牽引するDE15 2558号機(DE10形の除雪対応型)の3軸台車(筆者撮影)
この写真では見にくいが、写真左側に3つ目の車輪がある。


普通、車軸は台車のフレームにばねを介して固定されていて、同じ台車についている車軸は常に同じ方向を向いている。
しかし、DE10形の台車は各車軸がカーブに合わせて別々の方向を向けるようになっていて、3軸台車でありながら3つの1軸台車であるかのような動きをすることができる。

この機構によりDE10形は全軸駆動を実現し、その最大牽引力は19500kgfとなった。これはDD51形の最大牽引力の16800kgfを上回る。
DE10形のエンジン出力はDD51形の6割程度であることを考えると、全軸駆動の威力の絶大さがうかがい知れる。

国鉄ディーゼル機関車の悲運

DE10形の成功を受け、国鉄は3軸台車を搭載した2種類の本線用機関車を計画した。
「DE50形」「DF51形」
である。

DE50形はDE10形の拡大版で、2000馬力のエンジンを1基搭載し、DE10形と同様の3+2の5軸駆動でDD51形のパワーとDE10形の牽引力を両立する計画であった。実際に試作機を用いた牽引試験で得られたデータを比較すると、DE50形は40km/h以下の低速域ではDD51形を上回る牽引力を発揮することができた。

DF51形はDD51形の拡大版で、1500馬力程度のエンジンを2基搭載し、3000馬力のパワーで2つの3軸台車を駆動することでDD51形の1.5倍の牽引力を発揮する計画であった。

しかし、DE50形の試作機が完成し、試験を行っていたときにオイルショックが発生、石油消費を減らすために電化を進めることになった。そのため、DE50形は量産されず、DF51形は試作機の製造さえされなかった。
また、国鉄の経営状態も悪化し始めており、国鉄は限られた経営資源を需要のある新幹線や特急電車・通勤電車に振り向けざるを得ず、新型ディーゼル機関車を開発し、量産する余裕は失われていった。

津山まなびの鉄道館で保存されているDE50 1号機(筆者撮影)


「DF51形」の生産が実現しなかったのは、性能を高望みしすぎたためではないだろうか。
DE10形のエンジンをそのまま積み、2700馬力、3軸台車×2の6軸駆動とし、蒸気発生装置をはじめとする旅客列車用装備を外し貨物専用とする、といった妥協をしていれば、登場の機を逃すことはなかったのではと私は思う。
たとえDF51形のエンジンがDD51形と同じであったとしても、DD51形よりかなり運転しやすくなったのではないだろうか。

このように、後継機が量産されず、抜本的な改良も行うことができないという状況の中で、DD51形は決して十分とはいえない性能を振り絞り主力ディーゼル機関車として走り続けた。
そして、1987年の国鉄民営化を迎えることになる。

次回の後編は、JR時代のDD51形について取り上げたい。
後編はこちら↓
https://note.com/ensais/n/n7af1aad9af6d

参考文献

石田周二, 笠井健次郎「電気機関車とディーゼル機関車(改訂版)」2017年 成山堂書店

J-train編集部「検証・迂回貨物列車」季刊ジェイ・トレイン2019年冬号 イカロス出版

石井幸孝,岡田誠一ら「幻の国鉄車両」2007年 JTBパブリッシング

白川省三, 白井伸明, 麻場貞男「日本国有鉄道納DE50形液体式ディーゼル機関車」日立評論 53, 5, 37-41, 1971

高橋政士、松本正司「国鉄・JR機関車大百科」2020年 天夢人

渡辺淳吉, 山名順圭「日本国有鉄道納DD51形液体式ディーゼル機関車」日立評論 45, 4, 47-56, 1963

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?