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小話?「三右衛門の仕業」

みなさんは「有原三右衛門国義」という人物をご存知ですか?
ご存知ないと思います。
三右衛門を知る人は今やほとんどいません。しかし、かつては三右衛門は富山ではよく知られていた人物でした。

三右衛門は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武士です。正確な生没年は伝わっていません。

伝承によると、三右衛門は武蔵国、今でいう東京都・埼玉県のあたりで生まれたとされています。
有原一族は在原業平の末裔ともされてますが、これが真実かどうかは定かではありません。

三右衛門は、髪が長く、背が高く、力が強く、武芸に秀でていたとされています。
顔立ちについては、「非常に美しかった」「非常に醜かった」と、正反対の話が伝わっています。

三右衛門の前半生については、父の代に領地を失い、流浪の身であったとされていますが、それ以上のことはわかりません。

そんな三右衛門に、最大の転機が訪れました。
後醍醐天皇の幕府追討の綸旨を受け、新田義貞の鎌倉征伐軍が上野国で挙兵したのです。
新田軍が武蔵国に入ると、三右衛門は真っ先にこれに加わり、幕府軍と戦いました。そして、鎌倉の合戦で抜群の武功を立てたことで、ついに武士に取り立てられたのです。

その後、足利尊氏が後醍醐天皇から離反すると、三右衛門は足利方につき、各地を転戦しました。
最終的に越中国、現在の富山県に領地を与えられ、そこに移住したと伝わっています。

この三右衛門、武芸には優れていたのですが、一方ではこんな話も伝わっています。

三右衛門が訪問した家では、高価な物がなくなったり、壊されたりということが頻繁に起こりました。
誰もが三右衛門を疑いましたが、三右衛門が物を盗んだり壊したりする現場を目撃した者は誰もおらず、犯人はわからないままでした。

この故事から、富山では長らく、犯人がわからない悪事について「三右衛門の仕業だ」という言い回しがあったそうです。

有原三右衛門国義について、理解していただけたでしょうか?

さて、ここでみなさんには、残念なお知らせがあります。
ここまでの話は、すべて嘘です。

三右衛門の伝承は富山県を中心に分布しておりますが、1960年代の学者による研究で、
○三右衛門どころか、武蔵国の有原一族に言及した当時の文献が一切存在しない
○三右衛門の伝承が現れるのは江戸時代中期に入ってからである
ことが判明したのです。
このことから、三右衛門が後世に創作された人物であることがほぼ確実となりました。

有原三右衛門国義について、理解していただけたでしょうか?

さて、ここでこの記事を読んでいる読者のみなさまに、残念なお知らせがあります。
ここまでの話は、すべて嘘です。

この話は、私が2018年12月9日に見た夢を元にしています。
ですから、三右衛門の伝承などというものは実在しません。
この夢を記録したメモを偶然見つけ、その内容がとても面白かったので、こうして公開したものです。

読者のみなさまも「三右衛門の仕業だ!」と叫びたくなること、ありませんか?

最後までお読みいただきまして、まことにありがとうございました。

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