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車輪の再発明、不滅のハンバーグ

偶然の発明

数年前のことだ。
私は何か料理を作ろうと冷蔵庫を覗くと、ひき肉と玉ねぎがあった。
そこで私は、この2つを同時に炒めたら美味しいのではないかと思い立ち、さっそく作ってみた。とりあえず味付けは塩胡椒で。
この料理は予想した通りとても美味しいものであったが、どこかで食べたことのある味のようにも感じられた。
さてこの料理、まとまりがなくてスプーンでも食べにくいという問題があり、どうにか改善できないだろうかと考えた結果、一つの結論にたどり着いた。
「塊状にすれば食べやすくなるのではないか」
その直後、その料理に「ハンバーグ」という名前がついていることに気がついた。

「車輪の再発明」ならぬ「ハンバーグの再発明」である。

「車輪の再発明」にも良い面はある

「車輪の再発明」という言葉は一般に、既存のものが存在するにもかかわらず、そのことを知らなかったためにもう一度それを作ろうとすることを意味する。労力や時間を無駄にすることとして、あまり良い使われ方をしない言葉だ。
しかし、私は「車輪の再発明」は悪いことばかりではなく、少なくとも2つは良い面があると思う。さっきのハンバーグの例で説明したい。


その1 その形である必然性がわかる

私はハンバーグの存在も、ハンバーグの作り方もハンバーグが美味しいことも知っていた。
しかし、なぜ肉を挽き、玉ねぎをみじん切りにするのか、なぜこねて丸めるのかを理解していなかった。私はあえて遠回りすることによって、そのことを理解することができた。

この「第一の良い面」については、いろいろなところで言及されており、あえて私が述べる必要もないのかもしれない。しかし、もう一つは私にとってより重要な面である。


その2 希望を与えてくれる

なぜ「車輪の再発明」が希望なのか、疑問に思う人もいるだろう。これについてもハンバーグで説明したい。

ある日、世界から突然一切のハンバーグが消え去り、ハンバーグについてのあらゆる文章、絵、写真が失われ、すべての人がハンバーグのことを忘れてしまったとする。
こうなってしまえば、ハンバーグはこの世から永遠に失われたかのように思われる。
これから先、ハンバーグを食べることはできないのだろうか。もはや私たちはひき肉をコロッケや麻婆豆腐にしか使えないのだろうか。

否!

冷蔵庫の中身。
調理法の組み合わせ。
美味しさへの探究。

名前や見た目は違うものになるだろうが、私たちがかつてハンバーグと呼んでいた料理は、再びこの世に生まれることができるのだ。

これは希望以外の何物でもないと思う。

今日の冷蔵庫

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今日も冷蔵庫を開けると、ひき肉と玉ねぎがあった。

せっかくだから、ハンバーグにしようか。万願寺とうがらしもあるので、ピーマンの肉詰め風にしようか。

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