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①.食品衛生責任者の資格ゲット ②.「半歩先を読む思考法」を読んで

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①.食品衛生責任者の資格ゲット
本屋と合わせて、喫茶を営業するためにはこの「食品衛生責任者」の資格が必要ということで、昨日この資格を無事ゲットしてきました。この資格は喫茶だけでなく、普通に飲食店を営業するために必要な資格とのこと。調理師学校等を卒業した方は不要で、新たに個人で開業する方は必ずこの門を通過しなければなりません。
といっても、難易度はめっちゃ簡単で、受講予約して、丸一日座学していればよいだけ。去年は受講者数が少なかったようですが、今年は個人で何かしら飲食店を営業しようとしている人が増えているみたいで、受講予約はかなり先までいっぱいでした。しかも電話予約は不可で直接会場まで行って予約せねばならないという、、、私が予約しにいったのは3月頃だったので、約半年も待ったことになります。そもそもこの講習会開催の数が少ないのと、コロナの関係で昨年は中止していたぶん今年に負荷がかかる、しかも会場には半数ほどしか収容しないこと、法改正で今まで営業していた方も受け直す必要があったりなど、、、、そういういくつもの理由が重なり予約を取るのがかなり大変でした。もし今回のタイミング逃してたら、本屋オープン日に間に合うかどうかギリギリでしたね。
学んだこととしては「清潔をキープする責任があること」「仕入れ情報等は必ず記録をすること」「食中毒を出さないこと」の大きく3つ。
どれも結局は最後の「食中毒を出さないこと」に繋がるのですが、そのためにまず清潔は欠かせない。そして仕入れ情報の記録付けは、もし食中毒を出してしまった場合の原因を探るためには必ず必要。怠るとそもそもの責任を放棄しているぶん、食材や容器の製造側が原因だったとしても全てお店側の責任になりかねません。
食中毒はどれだけ対策しても食材の確率の問題もあるのでどうしても発生率をゼロにはできないのが現状。静岡県で昨年の食中毒発生件数は12件あったそうですが、これは食品衛生協会内では多いと認識しているとのこと。一度発生するということはお客さん100〜200人くらいはかかっているということで、お店側の損害は特大級のダメージ。1人当たりの損害賠償は平均10万7000円だそうです。加えてお店に調査が入り原因を突きとめられ対応を終えるまでに1週間ほど営業停止となるわけで、、、ゾッとしますね。そのために保険に入りましょうという宣伝告知もされましたが、小規模店であれば年間の賭け金は8000円ほどというかなりの格安。でも協会に入ってね、入るには6000円いるよという、、、なんかうまく言いくるめられた感はありますが、、、まぁ検討します。
私の店舗ではコーヒーがメインになりますので、比較的気を留めるところは少ないですが、今後スイーツを出したり、お酒の提供も視野に入れているので気を引き締めようと思った次第です。

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②.「半歩先を読む思考法」を読んで
今回の本の感想は、私の尊敬する落合陽一さんが7月に出したばかりの本「半歩先を読む思考法」です。
私が落合さんにはじめてお会いしたのは確か2017年あたりの西麻布での講演会でのこと。だいぶ小規模の講演会だったので、落合さんとの距離が近く、より密な感じで彼の視座に触れることができました。当時は恥ずかしながら落合さんを存じ上げなかったのですが、講演を聞き一気に興味を惹かれたのがきっかけで、落合さんの日々の視点にアンテナを広げるようになりました。とはいえ思考速度と言葉の速度がほぼ同時で、光の速度のごとく次へ次へと行くので、度々難易度高く置いてけぼりにされながらも、彼の行く末が気になり、必死でその世界観を追いかけるようになりました。
私は研究者でもメディアアーティストでも教授でもないのですが、ギリギリ経営者という点でのみ共通(経営の規模はかなり違いますが)。あとデザイナーでもあるのでアート的な感受性は多少は備わっているとは自分では思っています。
当時の講演会で彼は「全ての自然現象はプログラミング化できる」と仰っていました。それを聞いた私「おぉすげぇ笑」感想を言葉にすると情けないほどに何も出てこない。これは自然とデジタルの境目がいずれなくなるということか?そこから見える世界は人間の新たな境地か?などと鼻息が荒くなったのを覚えています。
彼の掲げる「物化する計算機自然と対峙し、質量と映像の間にある憧憬や情念を反芻する」というアーティストステートメントがあるのですが、この文面だけでは彼のやろうとしていることはおそらく一般人にはさっぱりだと思います。そこは直接目の前で話を聞ける機会に出会えたのは大きい。だからといって私が解説できるわけでもないですが。言語化できないのに彼のやろうとしていることにものすごく魅力を感じるという不思議な状態なのです。このステートメントを噛み砕いた表現が本の中ありました。文を借りると「計算機の中と外、それぞれの自然が一体化した大きな自然を想像しながら、そのとき、私たちの自然観や世界観がどのように変わり、どんな「問い」を見出すのか考えてみましょう。」これならだいぶわかりやすいかもしれません。「新しい森羅万象」とも書かれていました。実に面白い!本書はそんな彼の考え方の一端に触れる本となっています。難しい部分もありつつ、この本は落合さんの日々のツイッターを遡ることもしていますので、彼の作品に対する解説というよりも、彼の日々の視点、考え方がメインの内容ですので、同世代の私には意外と共感する部分が多かった。なんだ、落合さんも普通の人じゃんと思うことも多々あり、彼の研究者としての人柄が出ている本でもあります。
本書の中でとても魅力的に感じた表現をいくつか紹介します。
○論理的に説明しようとして、説明しきれなかったことこそが、それでも心が動いたことこそが、自分にとって重要な感覚であり、感情を大切にして生きるということは、いろいろな体験を経て、あらゆることに説明がつくようになっても、説明がつかないものを探究し続ける、心の若さを保ち続けることなんだ。
○人生の長さを考えると「長く続ければ美しくなるもの」の組み合わせ。そして若いときに絶頂がないものは組み合わせで長く若さを保つことができると思っている。
○「分かりにくいもの」は「分かりにくいものです。考えるところから一緒にやりましょう」と常に全ての物事に対して思考の窓が開いている人はそれでいいと思う。できればそういう社会にしたいと思う反面、アートが馴染んだ社会でない限り、エンタメはお客さんにある程度擦り寄るから、この前提は崩れがちだと思う。
○この世界にある様々な美しいものに手触りを取り戻す過程
定期的に道具を通じた世界との接続を切り替えて世界の存在を知覚するために必要なものはなんだろう。僕はカメラの他には万年筆のインクやペン先を替えることで知覚を切り替えることを習慣にしているけれど、一度自分が接している五感をリセットすることで新しい感覚に切り替えていく必要があるのだろう。美しいものに手触りを取り戻すために、美しいものに出会うための道具を切り替える。世界への愛を再認識する。そのために必要なものを日々探している。
どの表現もとても共感できるし、素敵な表現だと心から思います。私も日本がアートが馴染んだ社会になればいいなと思いつつ、自分の「素敵なバイク乗りを増やしたい」という本懐に向けて走り続けたいと思いました。
落合さんがやろうとしていることは周りからすれば「それ何の役に立つん?」「何の意味があるん?」「誰のためにやるん?」「誰が求めてるん?」っていうつまらない感想を抱く人も多いかと思います。そう言う人は考える心、感じる心、美しさを知る心を培ってから出直してきてほしいと正直思います。「何を偉そうに。お前も何もわかってないんやろ?」と言われれば「ごめんなさい。でしゃばりました。」と謝るだけです。
私も「本屋なんて儲からんぞ」「何で本屋?」「本とバイク合わせてどうするん?」「好奇心×感受性×美意識って何?ようわからん」「誰が求めてるん?」「お前のエゴやろ?」という声が今にも聞こえてきそうです。それでも私の心を動かすのは今も昔もバイクであり、バイクに乗る人と乗らない人との境界線をなるべくなくしたい。そのために私は本屋が最適だと考えたから「本×バイク」でもって「バイクと出逢える本屋」をコンセプトにしたわけです。
落合さんが「テクノロジー×アートの先進性」で成熟社会に希望を創り出したいのなら、私は「バイク×本のプリミティブさ」で人間らしい感性を失わない社会を創り出したいと表現できるのかもしれません。


今回はこの辺で。

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