猫を棄てる感想文 私の場合

 父親と息子は、海にいろいろ捨てに行くものなのだろうか。立て続けに二つ思い出した。ひとつは松本人志が何度かテレビで話しているもの。ダウンタウンのファンなら知っているだろう。親父に捨てられそうになった、というあれだ。親父が息子である人志を捨ててこようとしたのである。俺はお前を捨てて帰る、と父親が明言したわけではなく、そして実際にはもちろん一緒に帰っているので、本当の胸の内はわからないが、幼かった人志は確かにその恐怖を感じたという。
 もうひとつはフィクションだが、三島由紀夫の『青の時代』の序盤に出てくる、主人公の男性の幼い頃の思い出だ。今、手元に本がなく、私の記憶に残っているままに書く。少年は、文具屋に飾られていた販促用の巨大な鉛筆のオブジェがどうしても欲しかった。普段は厳格な父親が店主に掛け合い、もらってくれた。ところがその後まもなく、彼はそれを持って父と船に乗ることになり、父は息子に命じてそれを海へ捨てさせた。
 この二つに比べると、春樹少年と父親のエピソードは穏やかである。それでも、三者三様に、これらの捨てる、あるいは捨てられる体験から影響を受ける。本人が捨てられそうになった松本が、表面化した傷としてはいちばん小さかった。これ以外にも、父親についてやや複雑な表情で語っているのを聞いたことはあるが、深刻な不仲だったわけでもなさそうだ。亡くなった時の感慨は、一般的な息子のそれであるように一視聴者には感じられた。
 三島の『青の時代』は、実際の詐欺事件である光クラブ事件を題材にしている。大きな鉛筆を捨てられた少年は、大規模で巧妙な詐欺を働く東大生へと成り果てるのである。鉛筆の件は三島の創作だろうが、人格形成の歪みの原因として並々ならぬ説得力があった。
 3人の中で最も悲惨な道をたどることになったこの鉛筆少年と、春樹の葛藤には共通項がある。学校で好成績を修めるよう強いられたことだ。実は『青の時代』で主人公がどのような過程を経て東大に入ったのかはあまり覚えていない。それなりに勉強したことは間違いないだろうが、本人の志と周囲からの圧力がそれぞれどの程度だったのかがよくわからない。いずれにせよ、今で言えば偏差値の向上を当然是とする環境にあったことは確かだ。
 春樹も、取り巻く環境は、というより父親の考えはそうであった。一方、春樹は「『頭の良し悪し』といった価値基準の軸で人を測ることはーー少なくとも僕の場合ーーほとんどない」。この齟齬により春樹は「無意識的な怒りを含んだ痛み」を抱くようになり、「今でもときどき学校でテストを受けている夢を見る」。気持ちがわかりすぎて、涙が出てくる。戦争についてこれだけ詳細に綴られている本書で、私がいちばん泣きそうになったのはここだった。彼らとはパラレルにというべきか、うちの場合は、母・娘である。どうしても自分語りにならざるを得ない。どの程度、詳述すればよいのだろう。
 ごく簡単に言えば、村上父子と同じパターンだ。母自身は決して裕福でない家庭で育ち、公立小中高校を経て、浪人して国立大学へ進学した。娘の私は幼稚園から塾に通い、お受験をして国立の小中一貫校に入学した。勉学に励むには最善の環境で、こんな恵まれた少女時代を送りたかった、と母は感じていたのかもしれないが、あいにく私は勉強が嫌いで、小1から中間、期末テストがあった学校を、恵まれた、という風に感じることはなかった。
 6年生になる直前に、地下鉄サリン事件があった。幹部や実行犯の多くが東大をはじめとする高偏差値の大学を出ていることがセンセーショナルに報じられた。その中のひとりは小中学校の先輩だった。勉強しすぎてああなったんだ、と子ども心に思った。
 鉛筆少年は犯罪者となったが、東大までは行った。春樹もなんだかんだで早稲田大学に進学した。私も、勉強は一貫して嫌いだったが、いつしか開き直ってしまっていた。嫌いでもやれる、と。情けないことに、大学に行かないという選択肢は、私の中にはなかった。高校の途中で、どうにもこうにも大学受験レベルに達しそうもないと悟った理系科目を全て切り捨て、英語と国語と日本史に絞ったら、それまでと比べて非常に気が楽になってしまい、楽しいとまでは言わないが、淡々と勉強した。
 本書を読んで驚いたことがある。熾烈を極めた戦闘として書かれているバターン半島攻略戦について、初めて知ったことだ。他の地名や年号には見覚えがある。1937年南京戦、いわゆる日中戦争だ。1939年第二次世界大戦、日本が参戦した1941年からが太平洋戦争。レイテ島、あった、あった。ミッドウェーから戦況が格段に悪化、なんだか語呂合わせがあったな、『菅野の日本史』で何回も読んだ……と思ったのだが、バターンという地名だけは全く記憶になかった。
 これが、私にとっての戦争である。入試に出るので覚えなければならない事柄。どうかしていると自分でも思う。何人もの尊い命が奪われた、決して繰り返してはならない惨事。頭ではそう理解しているが、それはそれとして入試の時は大変だった、というのもまた揺るがざる本音だ。幼い頃には、祖父や祖母からよく体験談を聞いたはずだが。知識が入ることで立体的になるのではなく、平面的になってしまった。
 世界史は入試科目でなかったので、逆に生々しい。ホーチミンを訪れたことが2回あるが、戦争証跡博物館には三度足を運んだ。一度目の滞在の時、2日連続で見に行ったのだ。戦地の写真も、枯葉剤の影響を受けた子どもたちの写真も、目を背けたくなるほど悲しいものだったが、見なければならないのだと強く感じた。どちらが勝っても負けても戦争の悲惨さに変わりはないが、とはいえベトナムがアメリカに勝ったという事実もまた、衝撃的だった。
 村上春樹さんには申し訳ないが、ホーチミンので見た写真ほどには、この本は戦争の生々しさを私に突きつけはしなかった。本当は、申し訳ないことでもないのだが。完全に、受け手である私の問題だからだ。日本史上のあらゆる出来事について、私は今後もずっと、入試の時は大変だった、以上の思いを抱くことができないのだろうか。打ちひしがれて、自分の異常性を改めて確認することはできた。
 これ以上の自分語りも恥ずかしいが、腹をくくった受験生がどうなったか一応述べておくと、慶應義塾大学法学部に合格した。大学は私が選んだが、学部は私には特に希望がなく、母に勧められるままに法学部を受けた。母の希望は私が法曹になることだったが、私は入学早々、法学への適性がないことを悟った。就職活動への適性もなかった。ただのわがままと言われたらすみませんとしか答えようがないが、結局、東京大学の大学院に進んだ。今度は教育学だ。案の定というか、研究職への適性もなかった。修士号だけ取得してやめて、家庭教師で食いつなぎながら、現在に至る。母との関係は悪くはない。春樹さんの父親は俳句を詠んだそうだが、うちの母は短歌を詠む。変わった趣味だと思っていたのに、気づけば私も歌歴7年ほどだ。私は俳句も詠む。ヒトラユーゲントの俳句は私もいいと思う。そして、母も私も、村上春樹の大ファンだ。教育ママは本来村上春樹なんて読むのだろうか。中途半端な母親だ。読んだら回すと約束したから、迅速に読んで、迅速に感想文を書いた次第である。


 

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