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委託~ 武満 徹「カトレーン 」

2006/11/ 2

 人間は、あらゆるものを委託しつつある。そして、それにつれて己自身を失いつつある。

 法律、冷暖房器具、医薬品、情報機器、コンピューター、保険、自動車、等々・・・我々 の様々な能力を委託する、それらの、いわば分身、外部生命体とも呼ぶべきものら。

 これは、かつて地球上に無かった形式の「進化」である。己自身の 能力を売却し、その 売却益を資本に、様々なものに投資し、利殖を行うことによって、進化を遂げてゆく。

 法律を整備することによって、人間同士の紛争の仲介をさせ、社会の安定を図る。すな わち、それは、我々自身の有する「調整能力」を不要なものとし、棄却され、退化するこ とを意味する。

 人間同士の和解は無機的になり、魂と魂がふれ合う必要も無く調和が保たれる。 ”法律 さえあれば””法律が守ってくれる”・・・本当にそうなのか? 実は、今、誰もが密か にそう自問している。

 その一方で、「自由」いや「快楽」への止められぬ欲求 が高らかに宣言され、その欲求 と法律がぶつかり合うことで、「守られている」という安心感は、次第に「抑圧感」へと 酸化してゆく。
 私は危惧している。

 かつて、数々の人々が「自由」から逃走し、自由を蹂躙しながら周囲を飲み込もうと、 集団的な暴走を開始したことがあった。「抑圧感」を一掃するために、面倒な自由を棄て、 単純明快な権力を定義してその庇護を受けようとする暴走が用意されつつある。かつては 戦争という破局が用意されていたが、今回はいかなる破局が用意されているのだろうか。

 医薬品を開発することによって、我々は様 々な病に対処することができる。中には、我々 自身の免疫力を直接鼓舞するものもあるのかもしれない。わが国は世界でも名だたる「長 寿」の国である。今後それを守ってゆくのは、食生活ではなく、医薬の力なのだという。

 加えて、様々なサプリメントの利用によって、ビタミン、その他必要な元素を直接補う ことも可能である。通常必要な栄養素は、食物から摂る必要が薄れている。食物は、「食 べる」という純粋な快楽へと還元されてゆく。

 我々の生命維持能力は、それらのものに支えられている。いずれ、全てを委ねることに なるのだろうか?

 そして、我々が未来に向けて選んだ委託先である、コンピューター。

 それは、我々の本質であり最後の砦である「意思」を委託されつつある。一体「意思」 の退化とはいかなるものなのか―――想像さえつかない。しかし、携帯電話の小さな画面 に目を釘付けにしながら流れる人々の群れの姿に、「意思」の退化した挙句の、幽霊のよ うな人類の姿がうっすらと浮き出ている気がする。

 我々は、己のあらゆる部分を次々に委託し、己の負担軽減を追い求めるかわりに、次々 と「自由」を売り渡してはいないだろうか?マルクスは「疎外」という概念から階級闘争 の原理を引き出したが、もっと違った結末が、しかも遥かに恐怖に満ちた結末があること を知らなかった。我々自身が発明し、我々自身が増殖したマテリアル―――それらによっ て、人間社会が崩壊に導かれ、人間自身も瓦解するという結末を・・・。

 我々の発明した新しい「進化」は、本当にこの先人間自らによってなされるものなのだ ろうか。それとも、巨大な外部生命体によって仕組まれてゆくものなのだろうか。そして、 その時、人間は人間であり得るものなのだろうか。

 我々が売り渡そうとしているものは、「自由」なのではなく、もしかしたら、「存在」 そのものなのかもしれない。

 武満の作品には、無機質なものがほとんど感じられない。むしろ自然の息吹のようなも のを常に感じさせる。底知れぬ深さを有する海のようなこの曲の底を流れているものは、 音楽なのだろうか、それとも沈黙なのだろうか。

 私は彼の作品に人間の意志を感じない。存在すら感じない。

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