パチンコ屋で身についたこと

自分が、パチンコ屋に出入りし始めたのは、40年くらい前です。まだ寛容な時代でした。
40年くらい前の話から、今に至る話をだらだらと書いてみました。

40年くらい前
僕のパチンコ屋デビューは、小学生の時でした。ラーメン屋の息子の友達の親父さんの指揮監督下、床に落ちた球拾いからスタートしました。
子供だけで通い詰めたら、1週間しないうちに「お父さんいないときは来ないでね!」とパンチパーマのお兄さん店員に限定的出入り禁止を通告されました。
80玉X5日=400玉。その時に勝利は、大体1600円くらいでした。4人で分けて一人320円。毎日80円のジュースを1杯飲めました。

30年くらい前
高校時代、私は、再びパチンコ屋さんに行くようになりました。理由は、部活が弱く、公式戦も1回戦負け。引退してやることがなくなったからです。主に、スーパープラネットのリーチ目拾い、上野界隈まで遠征し、モーニングかに歩き乞食をしていました。
7枚交換のパチスロで1回当てて作った5000円(当時パチスロは350枚出たらおしまいです)で、パチンコに突っ込む。運が良ければ、増えます。
パチンコは、羽ものでじっくり増やすか?デジパチで一発勝負。どっちも予算5000円の熱い戦いでした。

30年くらい前②
大学生時代は、マージャンが忙しく、パチンコ、パチスロは、バイト代の入ったあとの一時の資産運用みたいな感じでした。
やり方を知っているだけで、せっかく稼いだ5万円を1日で溶かすダメな立ち回りをしていました。
そうなると、遊びに行けなくなります。
仕方なく図書館で、池波正太郎全集を読んだり、リスクの少ないマージャンをしたり。
気づいたら雀荘に入り浸りでした。パチンコ屋に行く頻度が一番少ない時代でした。

25年くらい前
大学を卒業して、僕は、フリーターをしていました。親には、高い志を語り、パチスロ攻略雑誌を熟読し、目押しで勝てる台をじっくり打ち、着実に勝っていました。無税の年収300万円でアリとキリギリスのキリギリスみたいにただ遊んでいました。

20年くらい前
爆裂機のあたりから、勝てなくなります。また、バイト先でもどんどん後輩が入ってきて、ベテランフリーターの肩身が狭くなります。大学の動機も名刺に肩書がついたり、家庭を持ったりして、ちゃんとした大人になってきました。
自分の負け経験から、パチンコ屋は儲かると思って、あるパチンコ屋に就職をさせてもらいました。
親元を離れ、いきなり地方都市のロードサイド店で球を運ぶ生活が始まりました。東京弁が当たり前の東京都民が仁義なき戦い広島代理戦争のような言葉を話す客ばかりの関西のド田舎のパチンコ屋で球を運んだのが、自分のパチンコや店員デビューでした。
お客さんは、いい方が多かったです。

20年くらい前②
しばらくして玉を運ぶ生活に慣れてきたころ、関東進出のメンバーとして都内のオフィス物件を探すようにオーナーからの指示を受けて、私の間接部門としてのキャリアがスタートしました。
都内でオフィス物件を手配し、今度は、事業用地を探すことがミッションになって、僕は、居ぬき、更地、貸しビル問わず、パチンコ用地を探しまくりました。
また、参考店舗として当時有名だったユーコーラッキー辻堂店、マルハン渋谷、楽園蒲田、パラッツォ葛西店、ダイナム四街道店など行って、打って、写真を撮って、オーナーの作りたいパチンコ屋像を想像しながら勉強しました。
福島、群馬、長野、山梨、静岡くらいまで地図を片手に大きいパチンコ屋を見たり、物件調査をしまくりました。
おかげで、数店舗、店舗開発実績ができました。
パチンコもスロットも調子がよく、年間600万投資し、601万回収。年間1万円勝ち程度。負けないパチンコライフを満喫していました。

15年くらい前
間接部門と営業部門の間の壁が小さい所帯でも問題になってきました。で、釘師の学校に行って、現場に戻らせてもらいました。
昼間は事務仕事、夕方からホール、夜中釘調整というライフスタイルです。
プラモデル作りは嫌いでないので、営業釘を叩くまえの基本のゲージづくりがめちゃくちゃ楽しかった。
思った割数でたまにぴったりと営業できると自分が天才なんだろうか?と自画自賛していたり。
しかし、疲労が重なると腰に来ます。
ぎっくり腰をおして、毎晩釘を叩くのは、まあまあつらかったです。ただ、人間は、環境になれるもので、さらしを巻いたりしてごまかしていくうちに、腰痛も克服できました。
パチンコ、パチスロについては、じっくり時間がないパチンコ、パチスロをするようになり、年間-60万くらいの負けライフがはじまりました。
ちょうど、人手不足の状況が2年くらいで解消されたので、僕の釘師の真似事は、2年くらいで卒業になりました。

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