「この歌を君のために歌うこと」(仮)②

 夏休みに入ってすぐの8月第一週に恒例のサークルの夏合宿がある。約一週間程、長野のスキー場にある宿泊施設に滞在して固定バンドや合宿だけの特別編成のバンドが練習を続ける。最終日の前日には各バンドの演奏発表があるのだが、そこではバンドの優劣ではなく、最優秀演奏者をそれぞれのパート(楽器)毎に全員投票で決定する。そして最優秀者に選ばれた奏者は自分と共演する演奏者を指名することができ、翌日の午前中の演奏会で好きな曲を披露することができる。前述したとおり、このサークルはボーカリストが極端に少なかったから僕は元々投票の対象ではないと思っていたが、「その他枠」で何と1位を獲得した。努力賞的なコメントが多かったけど、やっぱり評価されるのは嬉しいし、自信になる。

 さて問題は何を、誰と演るかだった。スキャットで受賞したのだから、やはりそのタイプでないと評価に対する裏切りになってしまうのか、と悩んだけど、やっぱり「やりたい」ことをしようと思った。夜の打ち上げで真理子さんに近づき、相談した。
「僕、やっぱりチェット歌いたいと思って。」
「うん、待ってたよ。私だけの秘密にしておくのももったいない。少し驚かせてやろう。」

 8月とはいえ、高原の朝は涼しい。はかなげな冷気が真夏の強い日差しによって徐々に打ち消されていく空気の撹乱の中で僕らの演奏は始まった。曲は「I've Never Been in Love Before」。アルバムのアレンジに忠実に僕のボーカルから始まり、すぐに真理子さんのピアノが絡んだ。客席がどよめくのが見えた。やがてオリジナルではトランペットのソロに続くそのちょうど2小節前辺りで、真理子さんと目があった。打ち合わせでは真理子さんのソロと決めていたのだが、真理子さんの目は確実に自分の背中を押していると感じた。僕は咄嗟にチェットのソロをなぞるようにメロディーをスキャットした。それはトランペットの歌まねとも違う何かなんだけど、今だに自分でも説明がつかない何かだった。ふと前を見ると、僕たちの演奏を聴いている先輩達は笑顔だった。「おい、お前らそういう関係なのかよ」とか随分囃し立てられたけど、僕らの演奏を批判する声はなかった。

 「やったね。絶対あなたなら出来るって思ってたのよ。見た?、客席の笑顔。このサークルは音楽で戦争しているみたいなとこあるけど、本当は音楽は平和をもたらす。」
実際なんだかこの時の自分は別人になっていた気がしていて、もしかしたら1956年のチェットだったのかもしれないとさえ思う。この時に咄嗟に演ったスキャットは、今では僕の特徴の一つとも言われるものだけど、こんな感じで、考えて編み出したものではなかったのだ。また、真理子さんの言った「音楽は平和をもたらす」ことの力を知ったのもこの時だったと思う。

 合宿から帰ると残りの夏休み中しばらくサークルのメンバーとは交流のない日々が続いた。僕はバイトに明け暮れ、時々好きなアーティストのライブに行ったりして過ごした。大学の夏休みが終わるともう10月で、キャンパスには秋の色合いが混じり始めていた。そんなある日、学食で真理子さんに会った。

「悠人くん、今度家に来ない?」
「え、いきなり…。良いんですか?」
「馬鹿ね、変なこと考えないで。見せたいものがあるんだよ。」
その週の土曜日の午後に真理子さんの家を訪ねた。この日が僕らの本当のスタートだった。

(続く)

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