「この歌を君のために歌うこと」(仮)⑥

 その当時、僕の音楽生活の中心はもう真理子さんとのDUOになっていたけど、まだサークルでの活動も続けていた。スタンダードを中心に演奏したり、アレンジにチャレンジするのは刺激的だったし、特に同級生の代は馬の合う友人も多くて、音楽の話やその他のいわゆる大学生がするようなやんちゃも楽しんでいた。さて、8月に入ったら2回目の夏合宿だ。真理子さん達4年生の代は就活優先といった理由で最終日の前日から参加するのが通例だった。実は真理子さんは就活をしていなかったのだけど、「私だけいると説明するのが面倒だから」と言って、他の同級生達と一緒に合流した。場所は去年と同じで、施設も一緒。仲間との演奏は楽しかったが、僕は真理子さんの不在に少し虚しさを感じていた。というより、1年前のことばかり考えていた。

 真理子さんの参加の理由は、実は合宿だけではなかった。その週末に車で30分程で辿り着ける森に囲まれた高原で小さなフェスが開催されることになっていて、僕らは祥平さんのつてで参加の機会をいただいていたのだ。「森フェス」というそのままの名前で、出演者はメジャーデビューしているプロ数組と、これから有望と見られているアマの混成で、音楽関係者も参加すると聞かされていた。ただ、テーマがエコとか自然だったりするので雰囲気は随分のどかだったと思う。僕はこのために友人から車を借りていて、合宿が終わってから真理子さんと一緒にフェスの前日に現地入りし、運営を手伝った。森に囲まれた野球のグラウンドぐらいの広さのスペースにはもともとステージのような施設があり、そこにPAを持ち込んでライブスペースとしていた。客席にあたる広場には特に椅子もなく、参加者がビニールシートを敷いたり、簡易椅子を持ち込んでライブ鑑賞する形だった。フジロック始め野外のフェスがかなり一般化しているので、こういった形式に観客は随分慣れていて、各々が自分のやりたいように参加していて、月並みだがピースフルな光景だった。

 ライブ当日はほとんど雲のない晴天で、日光の強さは若干うるさいが、時折流れる森からの風がそれを優しく打ち消し、観客を十分にリラックスさせていた。

僕らの出番はお昼過ぎ、1時からの40分間。MCも交えて6曲を演奏した。解放的なステージの気持ち良さは思った以上で僕らの演奏はいつも以上に迷いがなかったと思う。最後の曲はラストの定番になっていた「あの森の奥に小さな泉を見つけたこと」だった。メンバー紹介、といっても自分と真理子さんしかいないが、が終わるか終わらないかのタイミングで真理子さんがイントロを入れてきた。その瞬間、僕の中に微かな電流のようなものが走った。最初のコードが世界を開き、その響きに導かれたように歌が続く。
「あの深い深い森に僕は足を踏み入れた」
今まで何度も歌ってきたこの言葉を放つと、僕の周りは本当に深い森になった。
「僕は孤独だと言ったのは君。だけど君だって孤独だってことは僕も知っているさ」
そう、僕らは孤独同士なんだ。
そんな調子で僕は歌詞に導かれるまま深い森の中を一心に歩き続ける。

「ねえ、あの泉が見えるかい」
目の前に湧き水が見える、いやこの大きさならば泉と言ってよいだろう。
「この微かに沸き続ける美しい水。君にはどう見える」
希望のようなものではと思う。そして探し求めていた何かであると感じ、心に中にほのかな暖かさを感じることが表現されていく。そして、
「この泉はまぼろしではない。この泉を無くしてはいけない。この泉を忘れてはいけないって思うんだ」
サビにあたるこの部分で僕の胸の中に小さな痛みが走る。恐らくはこの泉が無くなってしまうことの恐怖に。

 一転、2コーラス目では、この泉に対するアンビバレンツな気持ちが歌われる。
「この泉を見つけたことは奇跡だろう。多分僕はこの泉を見つけるために生きてきた。だから僕だけの秘密さ」
「だけど僕は泉を人に知らせるだろう。その気持ちを抑えられはしない。そのために自分がなくなっても良い」
自分の心の中がどうなっているのか分からなくなるが、でもなぜだかそうしなければいけないとさえ思っている。
「この泉はまぼろしではない。この泉を無くしてはいけない。この泉を忘れてはいけないって思うんだ」

 3コーラスでは森を出て行く決心が描かれる。
「この愛しい泉よ。僕が見つけた一番大切な泉よ。僕は行く。行かねばならない。それは君を忘れないため」そして、
「この泉はまぼろしではない。この泉を無くしてはいけない。この泉を忘れてはいけないって思うんだ」
まるで呪文のようにこのサビが繰り返される。

 「泉を忘れないで」
歌詞は3コーラスまでで、最後はこう結ばれる。このシンプルなリフレインはいつも真理子さんと息の合った着地点を見つけて終えるのだけど、この時は随分長く続いた。メロディーと言葉が一体になったこの音楽が高原に浮かんでいる快感から僕は離れることができなかった。でも終わった。そして、歌い終わった時に、この歌が何を伝えようとしているのか僕は気づいた。

 気がつくとほとんどの観客がスタンディングで拍手してくれていた。森が僕らを祝福してくれている様にも見えた。ステージを降りると何人ものお客さんが近づいてきて、僕らの演奏に対する嬉しい感想を伝えてくれた。そして「あの森の奥に小さな泉を見つけたこと」についてのシンパシーみたいなことを熱く語ってくれた。今まで経験したことのないリアクションに僕は戸惑いつつ、だけど本当に嬉しかったのだけど、一刻も早く真理子さんと話したかった。真理子さんも同じように観客と話をしていた筈だが、僕の目はすぐに左手の森の切れ目のようなところに向かって1人で歩いて行く彼女の姿を見つけた。

(続く)


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