チェット

「この歌を君のために歌うこと」(仮)①

 本番15分前。この時間が本当に苦手だ。いつも逃げ出したくなる。でも今日はいつもと違う。あの歌を初めて披露するんだ。あの人に届くように歌いたいと思うと少しだけ勇気が出る。そう今日はこの歌をあの人のために歌えば良いんだ。

***

 真理子さんと出会ったのは大学のジャズサークルの新入生歓迎ライブの時だった。僕が入部したのは学内では硬派と言われていたサークルで、先輩達は普段はとても気さくな優しい人達だったけど、ステージ上では皆別人のようにジャズを演奏していた。演奏する側もなにか楽器で人を威圧しようとしているところがあるし、客席のサークルメンバーもみな辛口の評論家のような態度で演奏を聴く雰囲気だった。真理子さんはその時もう3年生になっていて、いくつかのバンドを掛け持ちするピアニストだった。真理子さんのソロは極端に短かった。16小節ひと回しで他の楽器にあっさりバトンを渡してしまう。因みに他の演奏者は平気で5分ぐらいソロを演奏し続ける。皆んなまるでプロのような演奏をする。でもとにかく長いから結局どんなフレーズがあったのか記憶に残らない。小さいジャブを永遠に打ち込まれてフラフラになるような気分だった。比べて真理子さんのソロはまるで主旋律のようだった。不要な音はひとつもなかった。バンドの演奏が終わった時、僕は真理子さんのソロを歌のようにそらんじることができた。

 僕はチェット・ベイカーに憧れて歌を歌うようになった。そんなに沢山のレコードを聴いていた訳でもないけど、初期のチェットの歌声は僕の心に染み込んで来るような優しさ、親密さを感じていて、こんな風になら自分は歌えるんじゃないか、と幻想した。その後読んだ伝記から彼が相当波乱に富んだ人生を生きていたことを知り、幻滅しかけたこともあったけど、今は逆にそんなこと全てが晩年のチェットの歌やトランペットの音につながっていると理解している。

 ボーカル志望の新入生は僕だけだったし、そもそも先輩の中にもボーカルだけ演る人はいなかった。だからセッションに加わるために僕はスキャットを訓練した。スキャットで戦う感じだった。自分の中に「戦う」という姿勢があるんだ、と初めて気づいていたし、それはそれで演奏後の満足を感じることもできた。いつしかチェットのレコードに針を落とすことも無くなっていた。

 春の日差しが猛々しい夏の光に変わりだした7月のある日だった。僕は2限をサボって昼寝でもしようかと部室に近づいた。すると部屋からThat old feelingが聴こえてきた。部室に備えてあるアップライトのピアノで奏でられているこのメロディーは一聴して真理子さんが演奏していると分かった。
「真理子さん、That old feeling。」
「田島悠人くん、だっけ。そう、私初めて聴いたジャズのレコードがチェット・ベイカー・シングスなのよ。意外と軟派でしょ笑」
「え、そんなことないですよ。なんか一瞬で真理子さんのピアノの謎が解けた気がします。」
「何それ。」
僕らは半日チェットのことを話し、僕は真理子さんの伴奏でスタンダードをチェットのように歌った。
「あなた、情熱のスキャッターじゃなかったんだね笑」
「それは世を忍ぶ仮の姿です。ホントはこんなに優しく歌うことができるんです。」
「うん、あなたの声は本当に優しい。感じるよ。伝わるよ。」
思い出した。この日が僕の真理子さんのピアノとの共演、初演だったんだ。

(続く)

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