「この歌を君のために歌うこと」(仮)⑤

 僕らの初めてのライブ、バレンタインライブは友人とお店の常連さんでありがたいことにほぼ満席になった。といってもキャパは20席程度なので集客をそんなに苦労した訳でもなかった。僕らのオリジナルはこの時点では10曲にも満たなかったので、1stではスタンダードのカバーを、2ndでオリジナルを中心に演奏した。感想は好意的なものが多かったがオリジナルは取っつきづらい、スタンダードは文句ない、みたいな傾向だった。祥平さんは「また演ってみようか。2ヶ月後にスケジュール入れないか。」と言ってくれた。次回は4月の日曜の昼ライブになった。

 真理子さんの曲、そしてアレンジは2つのメロディーの絡み合いが中心ではあるけど、別の視点から言えば、和音との戦いでもあった。
「私、そもそもメロデイーを作ってコードを当てる、とかその逆とか、そういった曲の作り方をしたことないんだよね。」
「だけど、共同演奏する、今は悠人くんだったりするけど、には伝える必要があるからコードネームを当ててるの。あとはサークルで演奏している内に特にスタンダードのコード進行、和音の強さに気づいたということも大きいかな。だから、自分にとっては最近になって学んだことでもあるの。」
真理子さんの曲を初めて僕が聞いた時に感じた個性の理由はこういったところにあると思っている。

 さて、真理子さんの曲は、最初の和音によってメロディーが舞う空間を規定する。そして、また違う和音によって別の場面や世界に展開して、メロディーは例え同一であっても別人のように踊る。この和音の作り出す場面はある時は地平線が見える程の広大なものであったり、またある時はヨーロッパに古くからあるような建物に囲まれ複雑に曲がりくねった小道であったりとかなりの具体性を感じさせた。和音の展開は曲のリズムも作り出す役割もある。問題はこの和音の役割が重くなると真理子さんのメロディーBへの集中を削ぎ、それによって僕のメロディーAとのバランスを崩し、曲の面白さが表現できなくなる、というか伝えたいものが見えなくなってしまう、ということだった。真理子さんがもともと作っていた曲はある程度完成形になっていたけど、やはり所どころ成功している部分と修正が必要な部分が混在していた。初めてのライブで実際に人前で演奏したからこそ見えた課題もあった。なので4月までの2ヶ月間は練習というよりはひたすらに実験のようなものを繰り返していたと思う。これは場合によっては答えを見つけることの苦しさも伴ったけど、何か新しいものを創り出す喜びに満ちていた。実際、この2ヶ月を含む祥平さんのお店での「実験」で僕らの音楽の多くのプロトタイプが生まれている。

 一方、歌詞については、この時期、僕はまずは真理子さんの文学的言い回しを自分のものにし、自由に動くメロディーに乗せることにほとんど囚われていた。あまり歌詞の意味について真理子さんと話すことはなかった。ただ、上手く歌えることによって自分の中に言葉が沁みて行くことに気づいていた。少なくともこの言葉たちを自分の声に乗せて外に出すことはしっくりくるし、何故か時々幸せな気持ちにもなっていた。

 4月のライブも成功だったと思う。そのおかげで翌月の夜のレギュラータイムの出演につながり、祥平さんのお店ではほぼ毎月1回のペースでライブを演らせてもらった。また他のお店への出演のチャンスも生かすことが出来て、僕らの音楽は随分骨格がしっかりしたことを実感した。僕はとにかく夢中になって歌い続けていた。ふと気がつくともう初夏の匂いが僕らを包んでいた。そして忘れることのできないあの夏の日が近づいていた。

(続く)

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