「この歌を君のために歌うこと」(仮)④

 僕らは初めスタジオに入ってレパートリーを増やしていったのだけど、知り合いずてに紹介されて初めてデュオでライブをやった東中野のジャズライブハウスのマスターが僕らの音楽を気に入ってくれて、営業時間外の昼間を僕らに無償で提供してくれたのは本当にありがたかった。

 マスターは白髪の混じった髭が特徴で、初め、ちょっと気難しい感じを受けるが、とても面倒見が良くて、何人かの有名ミュージシャンがこのライブハウスから始まった、と聞いた。知り合いに連れられて僕らがマスター、祥平さんというお名前なんだけど、と初めて会ったのは12月に入って最初の木曜の夕方だったと思う。薄暗い店内には歴史の匂いがした。比較的大きな音で鳴っているモダン・ジャズは世紀を跨いでずっと同じように流れ続けていると理解できた。

 その日はライブもなくて、常連のお客さん数名がカウンターにいるぐらいの入りだった。そこで僕と真理子さんはオリジナルの曲を作っていて、ライブの場所を探していることをストレートに話した。すると祥平さんは振り返って、お客さんに一言二言話をしたと思ったら、
「そこのピアノで君たちの曲を演ってみても良いよ。」
と言ってくれた。
僕らは、少なくとも僕はいきなり曲を披露するとは思っていなかったので、少し狼狽えたのだが、「ふふふ、こうなるか。」
と真理子さんは立ち上がってすぐにピアノに向かって行ってしまった。

 この時に演奏したのは真理子さんが最初に披露してくれた曲とあと2、3曲ぐらいだったと思う。あの曲、「あの森の奥に小さな泉を見つけたこと」という曲名だが、これは随分練習していたので、自分としても及第点だったと思うけど、他の曲は少し間違えたり、展開を飛ばしてしまったりした。真理子さんの曲はどの曲も構成が複雑なのでうろ覚えだと失敗する。もちろんかなり緊張もしていたので声も上ずっていたところもあったと思う。でも演奏が終わるとカウンターからパラパラとため息を伴った拍手が起こった。祥平さんは「随分面白い曲を作るんだね。」と言った。お客さんの1人も「もう少し練習すればお金取れるんじゃない。」と言ってくれた。「君たち、このピアノ、使っても良いよ。もちろん昼間の営業時間外だけどね。」この日から週に2、3日は通っただろうか、曲のアレンジや練習を繰り返している内に年を越してしまった。

 昼にお邪魔している時、祥平さんは掃除や飲食物の補充、準備なんかをしながらほとんどの時間一緒にいてくれた。でも僕らの音楽にはほとんど口出し、というか感想を言ってくれなかったので少し不安になってきたところもあった。ところが1月も中旬に差し掛かったある日、練習を終えて片付け中の僕らにこう言った。
「それそろ曲も揃ってきたし、曲の水準も良い感じにまとまってきてるように聴こえるよ。日曜昼の時間帯で良かったら1回出てみないか?」当時祥平さんのお店はレギュラーの平日夜のライブ時間帯以外に日曜は昼間も提供されていて、そこは新人とか企画ものとか比較的縛りのない場になっていた。それは分かっていたけど、僕は僕らの音楽を祥平さんが評価してくれたことが嬉しくて、その提案も僕らに対する優しさなんだろうと感じた。
「そうだな、来月のスケジュールに入れるよ。ちょうどバレンタインが日曜だからこの日をプレゼントするよ。」
逆に友人を呼びにくいかも、と思ったのは僕だけだったのかもしれないが、真理子さんも予定に問題がなかったので、この日でお願いすることになった。

 この日は寒波の襲来で日中でも氷点下に近いひどく寒い日で、お礼を言ってから出た店の外には小雪が舞っていた。僕らは傘をささずに歩いた。時折頬に舞い降りる雪は僕にはなぜか暖かく感じた。真理子さんも嬉しそうに僕の少し前をずんずん進んで行った。こんな感じで僕らは縁や恩に恵まれて、他の例は実はあまり知らないのだけど、比較的順調に進んでいったのだ。

(続く)

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