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「やりたいこと」と「仕事」は一致してなくてもいい

まるで、コペルニクス的転回だった。

人間、まわりの環境によって世の中の見え方が変わってしまうということをすっかりと忘れていた。ある人からすれば当たり前かもしれない。でも、僕にとっては衝撃だった。

「やりたいこと」と「仕事」は必ずしも一致しなくてもいい。

そんな事実に、はたと月次面談の中で気付かされた。

転職して編集者となり3ヶ月が経った。前職の時からずっとなりたいと思っていた編集者。執筆経験はあるけれど編集経験はほとんどなかった。だから、この3ヶ月必死に食らいついた。毎日失敗続きだし、自分の力の無さに呆れるばかりだったが、「自分がやりたいと思って選んだ道」だと言い聞かせた。大変なこともたくさんあるけれど、これまで携わってきた職種の中では一番楽しいと思えている。

だが、自分がこの先編集者としてどんな姿になっていたいのか自分に問うても、その姿を鮮明に思い浮かべることができなかった。「作り手の思いを受け手に正しく伝えるための力」が欲しいと思って編集者の道を選んだ。たしかにその力は微力ながらついた。ただ、時間を投資できるスキルセットが変わっただけで、編集者になったからといって自分の中身がガラリと変わるわけでも無い。

僕は編集のスキルを磨いた先に一体どうなりたいのだろう。

どうしてそんな悩みが湧いてきたのか。絡まった思考を紐解いてみると意外とその答えはあっさりと出た。

僕の周りにはじぶんのやりたいことがそのまま仕事になっている人が多すぎたのだ。ここ1年ほどで、職種であれ、事業であれ、自分のやってみたいを形にしている人ばかりにありがたいことに囲まれるようになった。やりたいことを仕事にできているというか、仕事がそのままやりたいことになっているというか。「生きている時間がほぼ働く時間になって、それで幸せだぜ!」って人に触れまくっていた。もちろん、仕事がそのままやりたいことになっている人たちは本当に素敵だと思うし、自分の生産活動とやりたいことやモチベーションが紐づいてるのは素晴らしいことだと思う。

そんな彼らとずっと一緒にいたから、僕自身も編集者という職種でじぶんのやりたいことを成し遂げなければならないと思い込んでいた。編集の仕事は好きだ。だけど、それは僕の人生の一部でしか無い。編集という仕事以外の余白の部分がまだまだ多くて「生きること=働くこと」と言えるほど、人生と編集がオーバーラップしていない。

その余白部分に多分、誰に何を言われようと良い意味で「自己満足」できるものが隠れているのだと思う。やりたいことっていうのは、お金にならないからなーと諦めていて本当はやりたいけど、そうじゃないと見て見ぬ振りをしてるものかもしれない。というか、そんな気がしている。

周りにいる人が素敵すぎて、今しているいる仕事がそのままやりたいことだと思ってたけど、どうやら僕はまだ違うみたい。

世間では、今日入社式。「やりたいことなんかわかんねぇ」と思いながら入社式を迎えた人もたくさんいるだろう。だけど、「仕事」と「やりたいこと」がもう直結してるなんて稀だし、アラサーになってもそうじゃない僕みたいな人もいるから、あまり気負いせずに社会人を楽しんでほしいなと思う。

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