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情報に押しつぶされないためには、シラけつつノること

知識をつけることは、壁の向こう側をみることにも、そこから動けなくなることにもつながるなあと思う。

僕は大学時代全然本を読まなかったので、しっかりと大学で勉強してきた人の足元には及ばないかもしれないけど、社会人になってからほどほどには本を読んできた。

一定以上本を読みまくると、そもそも論とか結局さとか、そんな考えに陥りやすくなってしまうなと最近気づいた。

これには良い面も悪い面もある。

何かを考える時、本質的に似ている部分を見つけると、表面上では捉えきれない類似性を発見できる。歴史的に見てもそうした発見が、思わぬ進歩をもたらしてきた。

例えば、数学の世界でずっと難問をされてきた「リーマン予想」という仮説がある。「リーマン予想」は150年以上解かれることの無かった究極の問題とされてきたが、これを解くきっかけを発見したのは、数学者ではなく量子物理学の博士だった。

ここまで、難しい発見は日常ではないにせよ、本質的な構造を見つけることは、思考の飛躍には大切だ。

一方で、極論思考に陥りすぎると、逆に思考放棄につながってしまう。どうせほにゃらら、と決めつけすぎると、知的探究心が満たされなくなるし、多分生きる気力も少しづつ減ってしまうんじゃないだろうか。

知識はよりよく生きるためには必要だが、知識が自分を捕らえてしまうこともある。そんな時大事にしたい考え方を今日教えてもらった。

それは、シラけつつノること。

シラけるというのは、極端にいえばこの世の全てって粒子じゃんみたいな、考え方。ノるというのは、ノリノリだぜ!みたいなことじゃなくて、まあ、粒子と言えどもこれはスマホでこれは本だよね、と現実をあきらめつつも受け入れる考え方。

僕は、この一定は諦めようぜ、みたいな考え方はすごくいいなと思った。全部受け入れるのも大変だし、かといってシニカルになりすぎるのも辛い。知識を蓄えつつ、どれだけ諦められるのかは、情報溢れて疲れがちな世の中で結構大事だよなあと思う。

諦めるって言うとあんま良くない響きに聞こえるけど、一定の諦めはむしろ良いことなんじゃないか。そんなことを思う火曜日です。

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