2023/09/01 ライスワークとライフワーク

天職(ライフワーク)は簡単には見つからないものだ。
自分はすでに平均寿命の半分以上を生きてきた中年だけど、未だに見つけられていないと思う。見つけられないまま人生を終える可能性も高い。
自分だけでなく、きっと多くの人が天職を見つけられないまま人生を終えているのだと想像する。天職を見つけられるのは僥倖なことなのだろう。

もちろん、天職は他人ではなく、自分が決めるものだ。
生活のために嫌々やっている仕事(ライスワーク)を天職(ライフワーク)だと思い込むのも一つの方法かもしれないけど、そんなに単純でもない。
自分がつく嘘は自分があっさり見破る。無理に嘘をついても、続かないし、必ずボロが出る。他人からもすぐにバレる。

ライフワークを見つけることができたとしても、そのライフワークだけで生活することは難しい。才能や運や環境などが必要だ。
ライフワークに取り組み(ライフワークだと思い込んだ人も含めて)、夢破れた人たちは星の数ほどいるだろう。その人たちは「夢なんて見るもんじゃない」と吹聴するドリームキラーに転生して、成功者を嫉妬する。

しかし、ライスワークだけで人生を満たすことは不可能だ。
ライスワークを我慢して割り切り、余暇に活路を見出すというワークライフバランス指向は合理的なのかもしれない。
でも現実の世界はライスワークで圧倒的に長い時間やプレッシャーを強いられる人がほとんどで、多くの人には絵餅のような発想だ。
ヨーロッパの人たちは労働の価値観が違って、バカンス文化もあるから可能なんだろうけど、残念ながら日本人にはまず無理だね。話にもならない。
割り切った労働しかしない社員を抱えられる企業も少ないだろうし。

時代もだんだんと悪くなってきた。
40年間を我慢してライスワークをやって、残りの20年間をご褒美の引退生活を送るというライフモデルはもう持続不可能だ。
40年間も雇用できる企業はごく一部だし、社会保障はジリ貧だから。
かつては機能した社会システムの制度疲労は目に見えている。
人生トータルでのワークライフバランスも無理な時代になった。

諦めてライスワークに生涯を捧げるか、諦めずにライフワークを探し続けるか、の二択しかないのだろうか?

ライスワークとライフワーク(仮)を半分ずつとするのも一つの方法だ。
一日単位でも季節単位でもいい。
午前にライフワーク(仮)の頭脳労働、午後にライスワークの肉体労働ができたらバランスもいいなと最近考えているけど、本当にできるのだろうか?
そもそも都合の合う仕事を見つけられなかったり、実際にやってみて失敗する可能性も高いけど、一度挑戦してみる価値はあるかなと思う。