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20代女が大腸内視鏡検査を受けた話

血便が出た。2020年秋のことである。

便のようすがどうにもおかしいことには気付いていた。
2か月ほど豚肉についている脂肪分のようなものがポコポコ出ることがあったり、お腹に溜まりがちになったガスをトイレで放出すると、ピンク色のさらりとした液体が出てきたりした。
ちゃんとしたバナナ型の便が出るのはまれになっていた。
最初は驚きこそしたが、すぐに慣れた。

慣れが早かったのは、便がおかしくなる理由がなんとなく分かっていたからだ。
6月ころから暴飲暴食を重ねていた。みるみる10kg太った。

三連休があれば毎晩マクドナルドへ駆け込み、ふたり分のLセット(もちろん三角チョコパイまで含めてひとり分だ)を買ってビールで流しこみ、食後にお菓子もきっちり食べ、お腹ぱんぱんの状態で「死にたい」と思いながら眠りについていた。
毎週月曜日に「こんな生活はやめよう、今日からダイエットだ!」と意気込むものの、金曜日には断念していた。

何回目だかわからない「今週から痩せるぞ!」を週はじめに唱え、水曜日にはマック見っけしたとある週の木曜日、仕事中に腹痛があった。
お酒を飲んだ次の日はお腹を下すことが多いので、ちょっくら便器で気張るかねと涼しい顔でトイレへ。
ふっとお腹に力を込め、お腹に溜まったガスを出し、立ち上がり便器を振り返った。

鮮血が出ていた。

脂肪のような便やさらりとピンク便には慣れていた暴飲暴食ガールもこれにはぎょっとして、トイレで「うそやろ!?」とひとりごちた。

暴食し、「死にたい」と思うことはあっても、いざ自分の体に異変が起こるとすぐに病院へ行った。
「自分まだ生きたいと思ってんだな」となんだかふわりとした気持ちになった。

お医者さんは温厚そうな50代くらいの男性。
いくつか問診を受けた。腹痛はあるか。食欲はあるか。どんな便が出るか。
血は初めて出た後も数回出ており、写真に収めていたのでそれを見せた。
「じゃあお尻の中を見ますので、ベッドに横に寝そべって下脱いでください」とさらりと言われた。
こういう流れになることは予想はつきそうなものだが、内心「ええ!?」と思った。

言われたとおりにすると、「じゃあ入れますねー」と何かしらがお尻にイン。
「痛いですか?」と訊かれ、BL漫画の受けのようなせりふを返した。

「痛くはないけど、気持ち悪いです」

ニューノーマルに変化しつつあるこの世界では、「嫁に行けない」ということばももう古いだろうか。
あてもないのに、そう思った。

便を採取し、これを検査にかけるとのこと。
また、血液検査のため採血もされた。
血液検査は3日、便は1週間程度で結果が出たが、いずれも異常はなかった。
ウイルス性のものではないらしい。
そうなれば当てはまるのは自然治癒するような軽度なものか、潰瘍性大腸炎か。

「受けなさいとは言わないが、異常が出てるのは確かなので受けたほうがいい」と言われ、大腸内視鏡検査を受けることになった。
予約が埋まっており、検査は1月に受けることになった。
そのあとかかる費用を知ってぎょっとした。安くはない金額である。

内視鏡検査を受けるには、本人がウイルスを持っていないかを調べる必要があるとのことで、また採血された。
健康診断を受けたばかりであったので、この短い期間に苦手な採血を3度もされたことに若干の恨みを覚えた。

年は明け、検査日が近まった。

このnoteを書こうと思ったのは、この間に何回も「大腸内視鏡検査 痛い」や「大腸内視鏡検査 ブログ」やらで調べまくったからである。
「検査で鎮静剤増やしてもらったら、ウトウトしてる間に終わった! 結果は大腸がん!」というやけに明るいブログを見つけてしまい戦慄したが、いろんな文章に勇気づけられた。
ヒットする件数を1でも増やしたいと思った。
前置きが長くなったが、これから検査を受ける皆々様にこの記事が届けば幸いである。

遅くなったが、わたしのことを少々。
20代後半女性。会社員。ひとり暮らし。
コロナ禍で趣味がままならなくてずっと腹が立っている。
歯医者に罹る時は、「歯医者 ◯◯市 痛くない」「歯医者 ◯◯市 怖くない」で調べまくるようなビビリ。だが…

結論から言う。

大腸内視鏡検査は、痛くない!!

さて、検査の前日である。
この日は食事制限を命じられていた。
何も食べてはならぬというイメージがあるが、20時までは普通に食べてもよい。

ただし、食べられるものが決まっている。
検査時に大腸に便が残っているとカメラで見にくい。
繊維質の食べ物である野菜全般やきのこ類、納豆、玄米は食べてはいけない。
その代わりに肉や魚、白米やうどんはOKである。
(このあたりは医師の指示に従ってください。)
こうなるとなかなかに食事選びが難しかった。

当日食べたもの
朝 ランチパック(たまご)
昼 白米 鮭 ゆでたまご(食べたらだめという記事も見つけた) ヨーグルト
夜 素うどん サラダチキン

お酒ももちろん禁止である。
検査は土曜で、その準備日である前日は金曜だった。
コロナ禍で居酒屋にはしばらく行っていないが、金曜は酒を飲み散らかす女なので歯を食いしばって耐えた。
検査が終わったらしこたま飲んでやろうと思った。

体験ブログでは、「麻酔でウトウトしている間に検査が終わる」というものが多かったので、寝不足ならば睡魔に簡単に持っていかれるだろうと、夜1時半頃に就寝した。

検査当日は朝7時から2時間かけてこまめに下剤を飲む。
1800mlの水に粉を溶かし、最後にとろみのある液体を混ぜ完成である。
下剤は初めて飲んだが、とろっとしたポカリのようであった。
後半になると飲むのがキツくなってくる。腹痛はなかった。
飲んでいるうちに液体状の便が出始める。
ふんといきむとばしゃっという具合である。
看護師さんいわく、安静にするのではなく動くと便が出やすくなるというので、洗濯物を干すなどした。

はじめは便がばしゃばしゃ出て気分爽快だったのだが、1時間ほどすると二日酔いのようなむかつきがあった。
それもしばらくするとおさまり、液体状の便は10回出た。

13時半に病院へ。ちなみに町医者。
上司に「大きな病院じゃないんだぁ…」と意味深に言われたことで更にビビリが増した。

着いて間もなく着替えさせられ、すぐ診察台へ。
先生が到着後、点滴を開始。
カメラが入る。

痛みはない。
思わず近くにいた看護師さんに「結構入ってます?」と訊いたほどだ。

しかし問題がひとつ。
まったく眠気がこない。点滴はしっかり刺さっている。
睡魔のsの字もない。

そのせいで検査中の記憶はしっかりある。
ときどき、下腹を中からきゅっとつねるような痛みはあったが、しょっちゅう腹を下している腹下しマスターからするとなんのそのである。
一度だけぐりぐりという痛み。これも下痢でトイレで死を覚悟したことが何度かあるマスターには効かなかった。

だが、検査の怖さはここからだった。
強烈な便意がきたのだ。

早くこの診察室を出てトイレへ駆け込み、大も小もどばーっと出したい!と思った。
「先生! あとどれくらいで終わりますか! うんこが! うんこが出そうなんです!!」と叫ぶところであった。
その思いがピークへ到達し、爆発寸前であったとき。

すぽっと尻からものが抜ける感触があった。
便意は消えた。
おそらくカメラを引き抜く際、それを強烈な便意と錯覚したのであろう。
看護師さんが必死にお尻を拭いてくれ、もわっとした匂いが少し立ち込めた。どうやらカメラを抜く際に便も一緒に出たようだ。
恥ずかしさはなかったが、今これを書きながら申し訳なさが込み上げてきている。
(わたしの下剤の飲み方が悪かったのか、便が少し大腸内に残っていたらしい。診察の時に聞いた)

麻酔が抜けるまでベッドで横たわり休ませてもらった。
その間も一切眠気はこず、目は閉じてしっかり起きていた。
わたしの検査が終わって間もなく、40代くらいの男性(声で判断しているのでおそらく)の検査をしているようだった。
この病院は、午前と午後の診察の合間に大腸内視鏡検査を行っていると聞いた。
先生は、看護師さんは、いつお昼ご飯を食べているのだろうかと、ベッドでもぞもぞしながら思った。

午後の診察を待つ客が集まり始めたところで、いちばんに呼ばれ診察結果を言い渡された。

ポリープをひとつ取ったこと(ぐりぐりはこの時だったのか?)。
組織検査の結果は月末に出ること。
おそらく潰瘍性大腸炎だということ。
炎症が起きている範囲はまだ短く、薬で治していくということ。

ポリープを取ったので、費用は2万円だった。
給料日直後の財布に沁みる値段であった。

帰りにおいしいものとお酒をたくさん買って晩酌する予定だったが、1週間は禁酒となってしまった。
ぼんやりしながら、電車に乗って帰った。

幼い頃から病気はあまりしなかった。学校を休むときはたいてい仮病だった。
高校の頃、部活でまとめる力もないのにリーダーに任命され、苦しくてドロップアウトしたくて胃潰瘍になりたいと思っていた。不謹慎だが、病名が欲しかった。
そんなことをふと思い出した。

少しの高揚感を感じながら、ふらりと電車を降り、帰りにうどんを買った。

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